Ep.01 黄金の懐中時計 (La Montre Doree)

文字数 832文字

 花の都パリ。
 美しく、誰もが憧れを抱く場所にも悪や汚(けが)れは存在する。
 だが、悪や汚れは場所のせいではない。全ての原因は、そこに住む人間のせいなのだ。

 とはいえ、住む者の全てが悪というわけではなく、全てが汚れているというわけでもない。ほんの少しの悪や汚れが、町全体のイメージを著しく損ねているのだ。
 パリで一番混沌とした地区といわれているモンマルトルにも、もちろん悪や汚れではない人間が多数存在している。

「おれはどちらかというと」

 モンマルトルの象徴であるサン・クレール寺院の頂上、尖った屋根に座り、ジダンというアクの強いタバコをふかし、街をぐるりと見回しながら、セロはひとりごちた。

「悪。だな」

 口の中にたまっていたタバコの白い煙が、ゆっくりと青い空に吸い込まれていく。眼下には、先ほどセロに財布を盗まれた紳士がオロオロとゴミ箱を探している様子がうかがえる。彼はどのような人間なのだろう。紳士の近くにいる誰よりも、紳士の財布を持っているセロの方が彼のことを良く知っている。
 保険証に運転免許証、グーグルの社員証に、ワインセラーとラーメン屋のスタンプカード、か。ふん。ずいぶん色々なもの(人生)が詰まった財布だな。

 セロはもう一度顔を上げ、喧騒も幻想も抗争もない青い空を見上げた。
 二十歳になったセロは、これから新たな場所へと旅立つ。

「俺は空を飛べるのか」
 はっきりとはわからないが、この世界には大いなる意志があるとセロは感じている。その大いなる意志から見たら、セロの姿も未来もゴミつぶ以下なのかもしれない。目立つために立てた赤髪も、イギリスの誇りを忘れないためのパンキッシュな格好も、女から賞賛を浴びるこの整った顔つきも、何も見えてくれやしないのだろう。
 だが、せめてこれだけでも目立ってくれないかな。
 大いなる意志よ。
 俺を見つけてくれ。
 俺は誰よりも高く、この空を飛び回りたいのだ。
 セロは腰にぶらさげた鎖付きの金時計を高く掲げ、太陽の光に反射させた。
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