Ep.14 光 (La lumiere de Montmartre)

文字数 3,120文字

「おい ! 知ってるか ?」
「それだけでわかる情報ってどこにあんだよ」
 十七歳の春、いつも寡黙なウォーカーは、やけに興奮気味に俺に話しかけてきた。手には新聞を持っている。俺の軽口も聞かず、ウォーカーは新聞記事を指さす。
「ほら。ここ見ろよ」
「あん ? 誰に口聞いてんだ ? てめぇが読めよ」
 仕方ないなぁという顔で、ウォーカーが新聞を持ち替えて音読する。
「四月十日、パリにてパルクール大会開催。参加者募集中。賞金千ユーロ(約十二万円)。年間チャンピオン百万ユーロ(約一億二千万円)。他にも上位入賞者には賞金が…」
「百万ユーロ ?」
 俺はウォーカーの手から新聞をひったくり、食い入るように記事を眺めた。
「ひったくんなら最初から自分で読めばいいのに」
 ウォーカーは勝利の苦笑を漏らした。俺はあまり字を読む習慣がないが、食い入るようにして新聞記事を見た。が、しばらく読んだ後でがっかりとした。俺は険しい顔をウォーカーに見せながら、ため息ついて新聞をばらまき、雑な動きでソファーに寝転がった。
「何すんだよ」
「お前、これ、ほんとにちゃんと読んだのか ?」
「ああ。もちろん。一緒に出ようぜ」
「俺もお前が言うなら出てやってもいいと思ったけどよ。よく見ろよ。住所と参加費が必要って書いてあらぁ。俺は住所もねーし、生活費以外は組織から金をもらってねぇ。出場は無理。所詮(しょせん)は金持ちの遊びだ」
「大丈夫。僕がなんとかする」
「お前が ?」
「ああ。住所は僕と同じ場所に住んでいるということにすればいい。参加費は貸すよ。僕たちなら絶対に優勝出来る。そうしたら、その賞金から僕に参加費を返してくれ」
 だったら話は別だ。組織も許してくれるだろう。
 俺は思わずニヤリとして、勢いよくソファーから起き上がった。
「パンテー。お前に借りる金、二倍にして返してやる」
 自分のパルクールの腕には絶対的な自信がある。先ほどウォーカーに酷い扱いをしたことなどコロリと忘れて、俺はウォーカーを勢いよく指差した。
「バカ言え。三倍だ」
 ウォーカーと俺は顔を見合わせ、大声で笑った。

 このパルクール大会は、パリで行われるのは初めてだったが、世界レベルの大会だった。ポイント制になっており、三ヶ月のトータルポイントで、世界上位三十名が決勝に勝ち上がることが出る。二人は、パリでおこなわれるフランス大会に出場した。
 こうして参加費を払って、正式に表舞台に出るのはどうにも落ち着かない。
 俺は会場をうろついた。
 こいつらは敵だ。
 俺は出場者を見て回った。
 なんだ、こいつらは。
「どうした ? セロにしてはずいぶん緊張してるみたいじゃないか」
 俺はウォーカーに疑問をぶつけた。
「なぁ、相棒。こいつら、本気で試合に出る気があるのか ? どいつもこいつもバゲット(フランスパン)にしか見えねぇぞ」
「そうみたいだな」
 俺は唯一の楽しみとして、子供の頃から息をするようにパルクールを続けてきた。そして今では、生活のために本気で取り組んでいる。そして、俺に追いつこうと必死で練習を続けているウォーカー。他の参加者とはパルクールを行う意識が違う。
 最初の一戦だけは緊張してスピードが鈍ったものの、蓋を開けてみれば、結果は当然のように俺が一位、ウォーカーが二位だった。パルクール発祥の地、ここフランスとはいえ、世界ランカーが一人も出ていない地方大会。
 二人は圧勝した。

「チンチン(乾杯)」
 二人は『シャ・ノワール(黒猫)』という店で祝杯を交わした。表向きは潰れているが、裏口から入ることができるこの居酒屋は、うらぶれものたちで満ち溢れている。年齢も気にする必要がなく酒を提供してくれる。真っ暗な闇の中で怒声や嬌声が聞こえる。いつも通りだ。俺はピャルーが愛飲しているアプサント(アブサン)を、ウォーカーはメーカーもわからぬ渋い赤ワインを飲み干す。
「やったな」
 俺はウォーカーと肩を組んだ。
「ああ」
 ウォーカーは、白目が目立ちすぎる目で、俺をじっと見つめる。
「わーってる。わーってるよ」
 俺は自分の賞金の中から、五十ユーロをウォーカーの胸ポケットにねじ込んだ。
「釣りはいらねー」
 俺はアプサントを一息で飲み干し、さらにもう一杯注文した。
「今日は気分がいい。ここにいる全員におごってやろーかな」
「ちょっと待て」
 ウォーカーは俺の腕を掴んだ。
「なんだよ」
 俺はウォーカーを睨(にら)んだ。
「相談がある」
 ウォーカーの目は真剣だ。俺は、持っている欠けたグラスをカウンターに置いた。
「なんだ ?」
「俺たちは、これからコンビを組んで、定期的にパルクールの試合に出ないか ?」
「お前は出たいのか ?」
「出たい」
「じゃあいい。出よう」
 こいつがやりたいならやってやる。
 俺は即決した。
「ホントか ! ありがとう !」
 ウォーカーは、俺を抱きしめて喜んだ。
「うぜーぞ。離れろ」
 悪口を言いながらも、俺は満更ではない気分になった。
「それじゃ、チーム名を決めよう」
「んなのぁ、めんどくせー。てめぇに任せる」
「じゃあ、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル(モンマルトルの光)』でどうだ ?」
「いいぞ」
 酒も麻薬もおんなじだ。気分によって美味さが変わる。俺は良い気分で、アプサントをもう一杯飲み干した。

 俺たち『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』は、電車で行ける距離の大会に次々と参戦し、パリにおいては連戦連勝だった。『クーデール(羽ばたき)』のメンバーには内緒にしていたのだが、徐々にメディアにも載るようになる。
 現在の『クーデール』はメンバーがガラリと変わり、ラパン(ウサギ)のオズワルトがリーダーを勤めている十五人前後のチームだ。パジェスとレンドルフはすでに辞めている。俺は、ニタルトとウォーカーが在籍しているので、まだ『クーデール』を辞めきれていなかった。

「見たわよ」
 練習の後、ニタルトが俺に擦(す)り寄ってくる。うなじの辺りからメスの匂いがする。
「パルクールの大会に出てるの ?」
「ああ」
 俺は勃起しそうな気恥ずかしさから、ぶっきら棒に答えた。
「ねーねー。私も出たいんだけど」
 ウォーカーは、ニタニタとしながら俺たちの様子を見ている。
「勝手にしろ」
 俺は嬉しさを心の中で噛(か)み殺しながら、振り返らないようにしてシュザンヌ・ビュイッソン公園を出ていった。
 
 ニタルトも加わり、三人一組(スリーマンセル)のチーム戦にも出られるようになったことで、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』の知名度は一気に上がった。ニタルトが足手纏いなので負ける試合も増えてきたが、国内最強チームの一つとしてファンもつき始めた。特に、俺とウォーカーは個人戦においてフランスで敵無し、好成績を残し、外国への遠征を一度もしなかったにもかかわらず、ウォーカーは世界ランク五十七位、俺は世界ランク四十一位にまで上った。
 こうして一部の人間の間だけではあるものの、世界的にも名前が知られるようになった俺は、「賞金のほぼ全てを組織に渡す」という約束と引き換えに、目立ってバレやすい置き引きやひったくりから完全に足を洗うことにできた。その他の組織に上納金を払うための仕事は、『レ・テネーブル・ド・モンマルトル(モンマルトルの闇)』で得た給料だけで事足りた。
 喧嘩っ早く、荒ぶれていた若い闘争心は、試合に出場することで満たすことができる。また、ファンができたことで、俺は、大勢の人から愛されることの喜びを学んだ。『闇(レ・テネーブル・ド・モンマルトル)』で死との向き合い方を覚えていき、『光(ラ・リュミエール・ド・モンマルトル)』で生との付き合い方を覚えていった。
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