Ep.16 戒め (Commandements)

文字数 3,337文字

 『レ・ザンジュ(天使チーム)』から『レ・ジュモン(悪魔チーム)』に入隊した俺は、組織について色々と知ることとなった。
 物心ついた時から所属していた組織の名前が、『ル・ゾォ(動物園)』だということも初めて教えてもらえた。どおりでファミリーネームが動物なわけだ。
 今までは組織名も知らず、稼ぎの全てを組織に上納し、お礼に養ってもらっていた。普段はパルクールの練習をしながら、小銭を抜いた残りのお金は組織に。
 生まれた時からそのような暮らしだったので何の疑問も抱かず、むしろ自分の苦手な物乞いや絵描きをせずにこうして自由な時間がもらえることに深い感謝を抱いていた。
 けれども、自分が『ル・ゾォ』の一員になった途端、やはり自分は、地べたを這いずる虫の一匹に過ぎなかったのだということを思い知らされた。アリが人間の名前や生態を知らないように、俺も組織について何も知らなかったのだということを思い知らされた。
 今までの生活は、動物園の豚と一緒だ。ただ檻に入れられて、餌をもらって生活をしているだけだった。喧嘩で勝っても、それは檻の中での動物同士の戦いに過ぎなかった。
 だが、これからは違う。飼い慣らされていた生き方から、飼い慣らされている人たちを見下ろす生き方へと変わるのだ。
 天使から悪魔へ。
 俺は、いきなり、違う種族へと進化したような気がした。 

 『レ・ジュモン』における仕事、盗みに入るまでの流れは、大体こんな感じだ。
 まず、『ル・ゾォ』のボスであるウンバロールから、下部組織『レ・テネーブル・ド・モンマルトル(モンマルトルの闇)』の隊長であるパジェスが依頼を受ける。
 依頼を受けたパジェスが、エリザベータとともに情報を調べ、作戦を考える。
 作戦が立てられたら、俺とレンドルフが実行する。
 失敗した時は、ゲラルハとパジェスがフォローする。

 俺は、獲物が誰なのか、どのような日に、どのようにして忍び込むのかなどを考える必要は一切なかった。ただ情報を教えられ、パジェスの計画を覚え込み、誰にもバレずに美しく侵入し、華麗に獲物を奪う。それだけを考えればよかった。
 俺は、いつでも死ぬ覚悟を持って作戦を実行したが、思った以上にパジェスの作戦は完璧で、失敗をしても危険に陥ることはほとんどなかった。

 ただ一度だけ、印象に残る任務があったので話しておこう。
 ある晩、マルセイユに遠征した時の出来事だ。
 その日は『ル・ゾォ』の敵対組織の一つと、ヌドランゲタ(イタリアンマフィア)の『リッカルド・ファミリア』が港で取引をしていた。俺は綿密に練られた作戦通りに彼らの船に忍び込み、換金されたばかりの麻薬が入ったアタッシュケースを盗んで逃げようとしていた。
 リュックの中にケースをしまい、コンテナの並んだ深夜の港を走っていく。
 と、突然、明かりに照らされた。
 眩しい。
 俺は、薄く目を開け、光の出どころを見た。
「なっ。俺の言った通りだったろ ?」
 低くて物騒な声のイタリア語が後方から聞こえる。イタリア語はわからないが、フランス語と少し似ているので、だいたいそんな感じの内容だとはわかる。
「その通りだったな、タンザ兄貴」
 前方のコンテナの陰から男が出てきて、俺の前に立ち塞がった。白いスーツを着ている。背の高い、いや、高すぎる男だ。二メートル五十センチ近い。手の長さは俺の身長よりも長そうだ。
 後方から現れた男は、二メートル二十センチはある。白いスーツを着ているところは同じだが、こちらは巨漢で、体重も二百キロは優(ゆう)に超えているだろう。男は、葉巻に火をつけ大きく一息吸うと、煙を吐き出した。もう葉巻は半分ほどの長さになっている。
「ふぅ。さて、ネズミを捕えて、マリオの手柄にしてやろう」
「ああ。プチっと捻り潰してやるぜ」
 手の長い男は、半身に構えて両腕を広げた。逃げたニワトリを捕まえるような動きだ。隙は少なく見える。
 だが、大男ほど動きが遅いものだ。少しフェイントをかければバランスを崩す。崩さなければナイフで切り裂いてやろう。
 コンテナを垂直に駆け上がってしまえば逃げる事もできたが、俺は刺激を求めていた。
 こんなバケモノと対峙することなんて滅多にない。しかも非合法な世界なので、何をしても警察に捕まることはないだろう。
 俺は、腰からナイフを抜き、ジリジリと男に近づいた。
 動き始めを見逃さなければ必ず勝てる。
 ピクリ。
 相手の重心が右前に動いた瞬間、俺は反対方向に動いた。狙いは相手の左脇だ。
 駆け抜けざま、左脇にあるぶっとい血管を切り裂いてやる。
「ジェット」
 後方の男がつぶやいたと同時に、俺の体は下から突き上げられ、垂直に五メートル以上も空中に飛ばされていた。全く予備動作もないまま、目の前にいた大男の手のひらが、包み込むようにして俺を下から叩き飛ばしたのだ。
 予想していない攻撃は意識を刈り取る。
 大きな男が左手を高く突き上げている光景を最後に、俺は病院のベッドで意識を取り戻した。

 目を覚ました俺に気づいて、パジェスが声をかける。
「よお。大丈夫か ?」
 慌てて身を起こそうとすると、身体中に激痛が走る。
「ああ。まだ起きなくていい」
 パジェスが笑う。
「骨折六本に内臓破裂だってさ。ひどい怪我だな」
「一体何が…」
 俺はパジェスに尋ねた。一切の記憶がないのだ。
「コック(ニワトリ)。お前は、敵に立ち向かっていってやられたんだ」
「おっ。起きたのか ?」
 レンドルフが病室の扉を開ける。
「シエンヌ・ド・ギャルド(番犬)が助けてくれたんだ」
「そう。大変だった。コンテナの上で、お前を助ける機会を窺(うかが)っていたら、振動とともに、お前が空中に飛んできてな。慌ててキャッチして、バレンヌ(くじら)の元まで行って、引き返して、囮(おとり)を引き受けてくれていたオルク(シャチ)と共に、命からがら逃げ帰ってきたってわけだ」
「助かったよ」
 俺は少し照れ臭かったが、お礼を言った。
「一目見て、あいつらはヤバいと思わなかったのか ?」
「すいません」
「オルカは、お前が落としたナイフを取りに、あいつらの間に自分から降りていったんだぞ」
「なぜナイフを ?」
「ナイフが証拠になって、うちと『リッカルド・ファミリア』が戦争することになったら本末転倒だからだよ」
 パジェスはしれっとしているが、俺は気が気ではない。
 あの恐怖にパジェスを自分が行かせてしまったとは !
 俺は血を吐いても謝りたいと思い、必死に起き上がろうとした。
「ああ。いい、いい」
 パジェスは俺を押さえた。手に包帯を巻いている。おそらくその時の怪我だろう。
「お前を『レ・ジュモン』に誘った時に誓ったよな。お前を命をかけて守る、と。ただ、その約束を果たしただけだ」
 パジェスは事もなげに言い、そのまま、優しい言葉遣いで続けた。
「ただな、俺たちはウンベルトさんの息子だ。親父の役に立つことをしろ。盗めといわれれば盗み、牙を突き立てろといわれれば突き立てろ。俺たちは盗みを専門としたチームであって、戦闘を専門としたチームではない。いくら力を磨いたとて、力に頼りすぎるな。いざという時にだけ行使(こうし)しろ。目立つ者は殺される。今回だって、お前が逃げずに立ち向かったせいで、仲間の誰かが死ぬかもしれなかった。ナイフを奪われていたら、これからの組織の計画がフイになるところだった。いいか。これからはどんなに挑発されても、極力、戦うことを避けるんだ。約束してくれ」
 もしこれで誰かが死んでいたら、悔やんでも悔やみきれない。俺は、なんて愚かだったんだ。
 内臓を絞り出すような声で俺は答えた。
「わ、わ、わ、わかりました」
 言葉にならず、目からは止めどもなく涙が流れ続ける。パジェスは、俺の頭をいつまでも撫でていてくれた。

 それ以降、俺は絶対に無茶をしないようになった。危ない時には逃げて仲間に助けを求め、けして戦うことがなくなった。
 チームとして成功できれば問題ない。大事なことは、自分がやることではなく、仕事を成功させることだ。
 無茶をしなくなった俺は、それからというもの、ピンチというピンチも、ケガというケガもなく、約九割の成功率で仕事を成功させていった。
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