Ep.22 ケリをつける (Un Reglement De Comptes)

文字数 2,354文字

 十月。いよいよパルクール世界大会の日がやってきた。
 ウォーカーが『レ・ジュモン(悪魔チーム)』に加入してから一年間、俺は、秘密裏にパルクールの特訓を重ねてきた。ウォーカーに勝つ絶対の自信がある。その成果を見せる時だ。
 『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル(光)』は、あれ以降も、自分以外は連続参戦しているようだ。ニタルト以外に、知らないメンバーも二人いる。
 他のチームのパルクールアーティストはいつも通り、遊び気分でリラックスした顔をしているが、俺は緊張した表情を崩すことができなかった。ここは戦場だ。ニタルトが眩しく映り、ウォーカーが強敵に見える。
 久しぶりの参戦ということもあって、俺のことを知っているマニアックなファンたちが、「握手をしてくれ」という顔をしている。
 しかし俺にとって、この一日は、人生を大きく変える一日だ。勝てば名誉とニタルトに告白する権利が手に入り、負ければ屈辱と失恋を抱えたまま一生を過ごさなければならない。余裕なんて、微塵も見せることができなかった。
 観客たちの大半は、「さすがに二年間試合に出場していない俺が、去年全勝したウォーカーに勝つことは難しい」という予想らしい。人気としては、一位がウォーカー。二位が現在の世界チャンピオン。三位が俺、というオッズだ。
 全てをひっくり返してやるよ。
 俺は、「相手を殺す」ほどの血走る気持ちを抑え、自分の中のベストパフォーマンスを、今日この時、決勝の、その瞬間に超えられるような感情の作り方につとめた。
 結果を出すには、常に「クエル(無慈悲)」に徹さなければならない。

 パルクールの試合形式はたくさんあるが、ルールは大会ごとに違う。この世界大会は、『チェイスタグ』と『スピードラン』という二種類の競技で勝敗が決(けっ)する。トーナメント形式だ。
 『チェイスタグ』は、いわゆる、追いかけっこ。障害物のある十二メートル四方のステージ内で、どれだけ長い間逃げられるかを競う。イヴェイダー(逃げる側)とチェイサー(追いかける側)は交代で一度ずつおこない、どちらがより長く逃げ、短く捕まえたかをタイムで競う。時間は、一チェイス(試合)につき、二十秒だ。
 『スピードラン』は、いわゆる、障害物競走。障害物を抜けながら、五十メートルのコースを三周し、その速度を競う。二つの同じコースが用意されてあり、それぞれが同時にスタートするのだが、『チェイスタグ』で得られたタイムボーナスの分、時間のハンデが与えられる。

 単純な速度では、ウォーカーに分(ぶ)がある。悔しいが、これは認めなければならない。けれども、創造性に関しては、俺の方が絶対に上だ。つまり、ギリギリの勝負になった時は、複雑なコースであればあるほど、俺が勝つ確率が高くなる。
 俺たちは、トーナメントの端と端になった。シード選手は三回戦からの参加になる。ウォーカーと違って、一回戦からのスタートだ。
 まぁ、何回戦からだろうとどうでもいい。どちらにせよ、四回勝てば、決勝戦にたどり着ける。ウォーカーと会うまでは、試合前の、慣らし運転だ。

 とはいえ俺は、一回戦から、慎重に試合を運んだ。実力差は明白だが、最初は、試合に慣れることが一番重要になる。俺は、少年時代から孤独に育ってきたので、他人の煽(あお)りや憎しみが全く気にならない。ただ、相手選手の体つきや動きを見て実力を測った後は、障害物を乗り越えながら、自分の体の動きについてだけ考えた。
 一回戦は、肩慣らしで終わった。あまりの実力差に会場がざわつく。
 二回戦で、そのざわつきは、さらに増えた。
 三回戦からは、いよいよ世界ランカーが登場する。二年前の時点でも既に実力差はあったが、さて、久々に戦う世界ランカーはどんなものだろう。
 実際に戦ってみて、俺は、自分の実力が確実に上がっていることを確信した。確かに、世界ランカーともなると、相手の身体能力は高い。だが、俺には、長い間の人間観察と、生きるための創造性があった。相手に合わせた完璧な戦略を立て、また、最後は相手をおちょくるようにして、俺は、世界ランカーに圧勝した。
 この頃には、もう俺のことをダークホースだなんて思っている観客は誰もいない。『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』の新人たちも、初めて目の当たりにする伝説に対して憧れを抱いている。朝会った時の、ただ、かっこいいだけの人という態度とは大違いだ。
 圧倒的な力による、圧倒的な相手の感情への蹂躙。
 まさに王に相応しい。
 四回戦では世界ランキング一位の男と対戦したが、彼は、俺に対して、完全に怯(ひる)んでいた。しかも、弱者に対していっぺんの容赦もない俺だ。スポーツマンシップもひったくれもない。
 四回戦は、三回戦よりも簡単に勝つことができた。

 ここまではアクシデントがあっても簡単に辿(たど)り着ける。朝起きて、トイレに行く程度の簡単さ。
 問題はこれからだ。
 「勝負は試合の前に決まる」という言葉通り、俺はコンディションを完璧に仕上げてここまで上がってきた。スタミナも十分に残っている。
 ウォーカーの三回戦と四回戦の試合を見て、本気の走りを見られたわけではないものの、多少の研究もできた。
 後は戦うだけだ。

 決勝戦は午後に行われるので、昼食休憩が入る。俺は、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』の輪には加わらず、エネルギーになりやすいバナナを三本と、アミノ酸ドリンクを飲んで、静かに一人、木の下で瞑想をした。
 ふふ。思えば遠くに来たものだ。あの時の小僧が、今では世界一を決める大会で、もう一人のあの小僧と対決しているのだから。
 俺は、完全にニタルトのことを忘れ、ただ、ウォーカーとの最後の戦いに備えて、静かな戦闘モードに突入していた。
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