Ep.28 背中 (Le dos)

文字数 3,441文字

 スーツを着直し、エレベーターで下に降りると、ウォーカーが一人、ロビーの柱にもたれかかっている。ワイングラスを軽く回して、ワインの表面に浮き出る波紋を見つめているようだ。準優勝者にしては、やけに孤独に見える。
 顔を合わせづらい。
 俺は気づかないふりをして会場に入ろうと思ったが、気づいてしまっているので、通り過ぎることが難しい。
 どうしようかと迷いながら近くまで歩いていくと、ウォーカーは、俺に気づいて視線を上げた。元気がないのを無理矢理笑っている。そんな表情だ。
「よぉ」
「おお」
 無理に明るく努めようとするウォーカーの表情が痛い。
「どうだった ?」
 ウォーカーは、いきなり直球を放り込んできた。
 普通、こんなに長い時間、部屋に二人きりだったということで、察してくれても良いものだが。
 こういうところが、こいつが不器用で、友達が少ないところだ。
 だが、どうせウォーカーとパジェスには報告しようと思っていたのだ。むしろ聞いてくれて助かる。
 俺は、ウォーカーに、こちらも、努(つと)めて明るく報告した。
「ニタルトと、付き合うことになったよ」
「そうか。おめでとう」
 ウォーカーは「そりゃそうか」という顔をした後で、言葉を止め、赤ワインで喉を潤し、再度言葉を紡いだ。喉にワインの通る音が痛い。
「幸せにしてやってくれよ」
「もちろんだ」
 ウォーカーは、何か、達観したような顔をしている。
 俺は、笑顔をうまく作れているつもりだ。
 ウォーカーは、ウォーカーに似合わない軽口を叩いてきた。
「しかし、セロはすげーよなー。二年ぶりに出て、いきなり優勝かよ。今からSNS始めて、この豪華なパーティ会場と自分の写真を載せまくれば、一気にセロのファンが増えると思うぜ。CMだってくる。そうしたら金持ちになって、セレブの仲間入りするかもな。SNSわからなかったら、僕が手伝ってやるよ。ニタルトも良い男を捕まえたな。外見もいいし…」
 これで適当に相槌を打って話を終わらせておけば、今日の出来事は、熱い友情物語。ただの美談で終わる。これからもそこそこに仲良く付き合っていけるだろう。
 それはわかっている。
 だが、俺の中の燃えかすが、どうしても火を消そうとしない。それどころか、ますます俺の中で燃え盛る。
 俺は、絶対に言ってはいけないとわかっていながらも、心を激しく占拠(せんきょ)している蟠(わだかま)りを、口から吐き出し、ウォーカーの耳に振動させた。
「そんなのはどうだっていいんだ」
 俺は戸籍が無い。バレたら、きっとマスコミから叩かれる。俺を持ち上げた人も、いきなり手のひらを返すだろう。そんな本物でない、浮(うわ)ついた栄光には興味がない。ウンバロールの栄光と、身近な人間との幸せと、空を飛ぶこと。興味のあることはそれだけだ。
 ウォーカーは、「それを言うのか」という顔をして俺を見た。俺の口はもう止まらない。
「それよりウォーカー。今回の試合、ホントのホントに全力で戦ったのか? ほんの一片でも、俺に遠慮をしたところは無かったか?」
「なっ…」
 ウォーカーはグラスを落とした。絨毯に赤いワインが滲(にじ)んで広がる。ウォーカーは、唇だけではなく、体中を、ワナワナと震えさせていた。
「ぼ…、僕 …。僕が…。僕が…、わざと負けたって、言うのかい ?」
「ああ」
 俺は、冷静を装(よそお)った。
「僕が…、僕が…」
 ドン。
 いきなりウォーカーに胸ぐらを掴まれ、俺は壁に押し付けられた。反射的に手首の関節を折ろうとしたが、ウォーカーの言葉を聞きたいので、俺はされるがままになる。
 「ああ。そうさ。僕は、お前に手加減をしたんだ。手加減をして、優勝を取られ、女を取られ、それでもこうして、お前の前でニコニコとしていたのさ。これで満足か ? あ ? なぁ。おい。満足だって、言ってみろよ !」
 ウォーカーが大声を張り上げる姿を初めて見たが、これはなかなかの迫力だ。いじめられっ子がキレる時も、こんな感じなのだろう。
 だが俺は、自分の強さに自信がある。逆に落ち着いて、ゆっくりと、低い声で、丁寧に言葉を放った。
「満足だ…、とでも、言うと思うか ?」
 俺は、ウォーカーを静かに睨(にら)みながら続けた。
「俺はな、お前と、完璧な試合がしたかったんだ。その結果が、負けだったとしても、悔いはねぇ。だがな、お前は、最後の最後で、俺に、手心を加えたんだ」
 言いながら、試合の最後を再び思い出す。はらわたが煮えくりかえってくる。
「この俺に。手心を、だぞ。俺の、俺たちの、本気の戦いに、お前は、泥を塗ったんだ」
 俺は青い瞳孔を開き、さらに強く睨みつけた。一瞬怯(ひる)んだ顔を見せたウォーカーだが、引き下がらない。
「そうさ。何度でも言わせてくれ。僕は、お前に、手心を加えたんだ。手心を加えたって、手加減をしたんだって、そう、言わせてくれよ ! 自分に言い訳をさせてくれよ ! 本気じゃなかった。本気だったら勝ててたんだよって。これだけ全てを奪ったんだから、言い訳くらい、させてくれたっていいじゃんかよ ! 親友だろ ? なぁ」
 眉も八の字になり、卑屈な顔をして、ウォーカーは、さらに俺に詰め寄ってくる。俺は、ただ、自分の言いたいことだけを淡々とぶつけた。
「ああ。親友だ。だからこそ、自分への言い訳は許さねーんだよ。自分を騙す人間は、今より強くなれる訳がねーし、強くなれねー奴を、親友だとも思わねー」
 ウォーカーは言葉も無く俺を見つめている。
「大体、最後のあれは何なんだ ? 幼稚園児だって、あんなミスは犯さねー
だろ」
 ウォーカーは言いづらそうにしていたが、自分の頭の中を整理したのだろう。ようやく、言葉を口にした。
「僕は…、ずっとムチャをしてこなかった。無難に生き、ギリギリの戦いを繰り返してこなかった。そのツケが回ってきたのさ。限界を越えようとして、どこまで体がついてくるのかが、わからなかったのさ。僕も、お前みたいに、人生で何度もムチャを経験していればよかった。そうすれば結果は変わっていたのかもな。あの一歩は、僕が始めてムチャをしようとして失敗した無様な結末だ ! そうさ。僕はずーっと、本気だったのさ。今回の試合だけじゃない。初めてお前に会ってから、ずーっと本気でお前に挑み、ずーっと本気でお前を追いかけているのさ。笑ってくれればいいよ」
「バカ言うな。お前は、俺を追いかけてんじゃねぇ。ずっと並走(へいそう)してるんだ。それに、いつだって、ムチャしてきてんよ」
「え ?」
「子供だった時には、絶対に勝てねぇ輩(やから)を三人も相手にして、一歩も引かねぇなんてムチャをしていた。家に侵入してきた相手を追いかける、なんてムチャもした。おまけに、『闇』にまで入るだなんて、ムチャもいいところだ。何より、金持ちの家に生まれたのに、ずっと俺なんかと友達でいやがる。あんなに汚かった俺と、いつまでも変わらねぇ態度で、こうしてぶつかってきやがる」
 ウォーカーは再び黙り込んだ。
「それに、今だって、ムチャしてんじゃねーか。この俺相手に、胸ぐらを掴むなんてよぉ。こんなムチャは、パジェスだってしやしねー」
「あ…」
「手、離せ」
 俺は、胸ぐらを掴んでいる手を軽く叩いた。
 ウォーカーは始めて気づいたようで、慌てて手を離す。
「俺は気が狂っているが、お前も気が狂ってんのは変わんねーよ。だから親友なんだろ」
 俺はネクタイを締め直した後で、もう一度、ウォーカーと目を合わせた。
「来年だ」
「え ?」
「お互いが納得してねーんだ。やるしかねーだろう。悔いが残っているお前と、負けたと思っている俺。来年のパリで行われる世界大会。どちらが勝ってもいい。そこで決着(けり)をつけよう。今度こそ、お互い、言い訳が一つもできねーくらいの完全燃焼で、な。燃え尽きようぜ」
 俺は身なりを整え、軽くスーツを叩(はた)いた後、ウォーカーの肩を抱き、そっと耳打ちした。
「一つ教えてやろう。親友との勝負なんだ。殺す気じゃねぇ。殺しに来い」
 もうすぐ俺がスピーチをする時間だ。俺は、そのまま、会場の入口まで歩いていった。おそらくウォーカーは、俺の背中を見ているだろう。
 俺は右手を上げた。
 パーティー会場にいる参加者は俺を見つけ、その堂々とした派手なパフォーマンスに、歓声と拍手を送ってくれていた。
 だが、俺の右手は、参加者に向けて上げたものではない。
 ウォーカー、ただ一人に向かってあげた右手だった。
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