Ep.52 遺言 (Le trésor)

文字数 2,267文字

 パジェスからのデータには、ファイルがたくさんついている。目立つのは、一番上に置かれている動画だ。俺は動画をクリックした。
 スマートフォンには、パジェスの、困っているけど元気を装(よそお)った顔が、画面いっぱいに映(うつ)る。
 俺は懐かしさで、胸がいっぱいになった。
「よぉ。セロ。元気か ? このメールは、俺の心臓が止まって十時間経つと自動転送される仕組みだ。これを見ているということは、俺はおそらく、もうこの世にはいないのだろう。こうなるのなら、生きているうちにしっかり会って、昔の様に、お前とじっくり話をしたかった。俺はうまくやれると思ったが、失敗した…か。初めて不安を感じたからこそこういうムービーを撮っておいたんだが、まさかこうやって、お前に見せることになるとはな。不甲斐ない兄貴で悪い」
 不甲斐ない ? そんなこと、俺が一度でも思ったことがあるとでもいうのか ?
 俺は、食いいる様にして続きを見た。
「だが、今回の相手は神だ。これだけ準備万端で挑んだ俺たちが勝てないのなら、誰が挑んでも勝算は無い無理ゲーだったのだろう。神への挑戦は、原爆を手で持って爆発させたら死ぬ。それくらい当然の死へと繋がる。敵討ちを取ろうなんて気持ちは、ありがたいがやめてくれ」
 そんなことを言わないでくれ。
 俺のために死んだというのに。
「元々のお前の夢は、俺たちのように秩序ある悪を形成することではなかった。それなのに、ずっと俺たちについてきて、献身的に支え続けてくれた。ありがとう。お前はもう自由だ。俺たちなんかの真似をせず、これからは、お前の好きな人生を過ごしてくれ。最後だから言っておくが、俺はお前に対して一片の怒りもないし、信頼を無くしてもいない。セロに幸せになってもらうこと。ただ、それだけが望みなんだ。お前には、俺の全財産を残そう。あ。それから、ウォーカーには絶対に会っておけよ。俺にとってレンドルフがそうであるように、ウォーカーはお前の片翼だ。ウンバロールも俺もいないんだ。どんな結論を出すにせよ、これからは、ウォーカーにだけは、必ず相談するんだ。それだけは約束してくれ」
 パジェスは後ろを振り向き、「ああ。今行く !」と返事をした後、もう一度画面を見た。
「リオン(ライオン)が呼んでるわ。じゃあ行ってくるな。セロ。俺の成功を願っててくれ。あ、これを見ているということは、俺はもう死んでいるということか。はは」
 パジェスにしては冷静ではない間違い。おそらく緊張しているのだろう。照れ臭そうに言った後、一転して真面目な顔になった。
「じゃあな。俺が死んだら、ウンバロールとエリザベータのことは頼むな。人間なんだ。みんな心は弱い」
 そう言って、映像は切れた。 

 はぁ。

 俺はベッドに寝転がった。
 仇は討ちたい。だが、パジェスが絶対に勝てないと言い切る相手、か。
 俺は、データに残っているファイルをざっと全て開いてみた。
 たくさんのパジェスの銀行口座と、繋がっている専門家たちの一覧。俺のために、本当に、南仏プロヴァンスに別荘も買ってくれている。名義も俺だ。一方で、組織についての情報や、今回の事件についての情報は一つも入っていない。
 次の空を飛ぶ方法は、何もかもを忘れて広い世界で生きろ、と。
 そういうことなのだろうか。
 確かに、仇を討ったところで、ウンバロールは治らない。パジェスやレンドルフが戻ってくるわけでもない。パジェスたちが、俺のせいでこんな事件に発展したのだという証拠を完全に隠蔽(いんぺい)してくれているので、憂慮(ゆうりょ)することも無い。組織でも、「もうこの件に関しては終わりにする」という方針を固めている。
 今まで二回も、パジェスの言うことを聞かないせいで、痛い目に合ったんだ。最後くらいは、言うことを聞いたほうがいいだろう。

 その時、ノートPCからガサゴソと音が聞こえる。
「あれ ? まだランプがついてるな。録画は終了したと思っていたのに」
 少し遠い距離でパジェスの声が聞こえ、近づいてきて、ビデオをいじくる音がする。
「あ。ここか」
 パジェスは顔をレンズに近づけ、少し黙った後、恥ずかしそうな顔をして言った。
「セロ。愛しているぞ」
 まっすぐな瞳。優しい声。愛の塊。
 映像は、今度こそ本当に切れた。

 俺は、余韻の中で、どうしたらいいのか分からなかった。
 なんという、なんという、やり切れなさなんだ。
 なんという、喪失感なんだ。
 痛い。
 心が。痛い。
 俺は、感情を抑制することが、もはや不可能になっていた。知らずに声が漏れ、体中に力が入る。
 うぉぉ。おおおっ。ううおおおおおおおおおおおおおっっっっ !!!!!!
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 俺の体は勝手に暴れまくり、ベッドを、机を、壁を、窓ガラスを、目の前にある全ての物を壊しまくり、ぶつかり回り、転げ回った。
 痛みがもっと欲しい !
 心に比例するだけの痛みを与えてくれ !!
 鍛えに鍛えた俺の体は無駄に頑丈だった。
 今までの人生をかけて育て上げてきたエネルギーよ !!
 跡形もなく消え去ってくれ !!
 俺は、自分の人生を否定するように暴れに暴れ、限界を超えて床に倒れ、血だらけになって次の日の朝を迎えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み