Ep.23 男と男の決戦 1 (Les Hommes Meurent)
文字数 2,886文字
最初の試合は『チェイスタグ』だ。決勝戦はステージが転換される。その為の昼食時間でもあった。
普通、決勝戦は、障害物が多いステージになりやすい。最高レベルの技術の応酬こそが、パルクールの醍醐味だからだ。だが審査員が、障害物の少ない、スピードのある展開を好むこともある。こればかりは、蓋を開けてみないとわからない。
俺は、指定されていた控室から案内され、試合会場へと向かった。会場の入口に辿り着くと、アナウンスが響き渡る。
「さぁ。今回の決勝戦は、我らがパリジャンの誇り、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル(モンマルトルの光)』同士の対決だ ! まず、青コーナーから勝ち上がってきたのは、赤い髪がトレードマークの超イケメン。生ける伝説。生涯無敗。セローッ !」
入場する。
ワーッ !!
「セロ選手は、本名も不明。ただ、二年前に突如現れ、二回だけ、パリで行われた大会に出場し、連続優勝。その後、一度も出場しておりませんでした。一説では、敵がいなかったので、落胆して試合に出なくなった、との話です。今回は、久しぶりの参戦になります」
「いやー、久しぶりの参加ながら、腕前はさらに上がっているようですねぇ。世界チャンピオンを相手にしていても、余裕がありましたよ」
「今回は、チャンピオンがウォーカーにどう勝つかという大会だと思っていましたが、大波乱でしたねぇ。さすがは伝説です。これは、目が離せませんね」
解説の一言一句に、観客のヒートアップぶりは激しかった。だが、俺は冷静に、ステージのことだけしか気にならなかった。
十二メートル四方のステージを見る。
段差に、壁、ロープ、網…。よし。凹凸の多いステージだ。
俺は、心の中でガッツポーズを繰り出した。障害物が多く、直線が少ない方が、スピードのあるウォーカーに勝てる確率が高いからだ。
天は、俺に味方をしている。
俺は投げキッスと共に、天高く左腕を突き上げた。人差し指を、力強く立てて。
観客は、俺の動きに一喜一憂している。
「続きまして」
アナウンスの一言で会場のざわめきは収まり、静かになる。
「赤コーナー。こちらはパリジャン、いや、フランス国家の誇り。世界ランキング六位。黒い稲妻。ご存知、ウォーカー、パイヤールッッ !!」
ワーッ。
再び観客が叫ぶ。先ほど静かにしたのは、歓声を目立たせるための抑揚だったのか。
「ウォーカー選手は、みなさま知っての通り、二年間負け無しの選手です」
「この選手が、フランス以外の戦いにも参戦してくれたら、世界ランキング一位は確実なんですけどもねぇ」
「なんでも、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』は、フランスを愛しているので、フランス以外では戦わないそうですよ」
「それは、フランス人らしい、カッコいい美学ですが、なんとも惜しいことですねぇ…」
「はい。我々のためにも、今後は、他国への参戦を考えてくれることを期待しましょう」
解説は続く。
「そういえば、ウォーカー選手は、過去に二回だけ負けたことがあります。けれども、その二回は、二回ともセロ選手なんですよ」
「え ! ということは、今回は、ウォーカー選手のリベンジマッチということでもあるんですね」
「はい。ただ、さすがに、いくらセロ選手といえども、私はウォーカー選手の方が今は強いと思いますけどね」
「確かに。彼が負ける姿は想像がつきません」
解説が続く中、俺とウォーカーは、ステージの端と端に、対角線上に向かい合った。まずは俺がイヴェイダー(逃げる側)だ。
この、『チェイスタグ』というゲームは、たった二十秒で一チェイス(ゲーム)なのだが、実は逃げる方が難しい。同じ実力の二人が戦うならば、ほぼ確実に捕まってしまう。
と、いうことは、どれだけ長い時間逃げられるかが勝負の鍵だ。
逆に、ここで逃げ切れば、自分のチェイサー(追う側)ターンの時には圧力をかけられる。そして時間を稼ぐことは、次の『スピードラン』に向けての大きなアドバンテージになる。
さぁ、行くぞ。
俺は、屈伸をしながら、大きく深呼吸をした。
三。
二。
一。
スタートだ。
先程ステージを見た時から、ウォーカーの動き方によって、逃げる戦術をいくつも考えてある。それは、一歩めの足の位置から、細かく決まっている。
ウォーカーが右足を右に進めたので、その瞬間、俺は反対に離れる。このパターンなら、網の場所で二秒は稼げる。ロープは稼げないので無視。壁はあらかじめ登っておくことで時間を稼げるが、追われている状況で登ろうとすると捕まる。杭(クイ)は、使い方によっては一秒稼げる。そして、触れられそうな瞬間に身を避けることによって、さらに一秒は時間を稼げる。
しなやかな四足歩行の肉食獣が、一瞬にして目の前に迫(せま)ってくる。
間に障害物を挟むように移動することで、ウォーカーに速度を出させない。
ジリジリと近寄ってきても、障害物で近寄らせず、襲いくる黒豹の鋭いツメ攻撃を、右に左に避けていく。
ブー。
結果、俺は、捕まることなく二十秒間を逃げ切った。
最高の成果だ。
うなだれるウォーカーを見下ろす。黒い肌に汗が浮かび、隆起した肩は激しい呼吸で揺れている。ウォーカーは顔を上げた。
俺の獲物。
さぞかし弱っているであろう表情を覗いてやろう。
俺は舌なめずりしながら、ウォーカーと目を合わせようとした。
ところが、ウォーカーは嬉しそうだ。全く弱っていない。むしろ、生気がみなぎっている。
これは一筋縄ではいかないな。
思ってすぐに、俺は思い直した。
そうだ。こいつは、あの、ウォーカーなのだ。一筋縄でいくはずがない。
俺は、すぐに気を締め直した。
次は攻守交代。俺がチェイサーだ。
三。
二。
一。
スタート。
鳥の魔王が、黒豹を追い込んでやる。
俺は、ウォーカーを、十五秒以内に捕まえることができる戦術を立てた。一度対戦して、パルクールの腕前は自分の方がレベルが高いと感じたからだ。
実際、開始六秒で、ウォーカーに近づけた。近づければ、TIOR-C4の技術で触ることが出来る。
けれども、技術が使える、後、数センチの距離になると、ウォーカーは、今までに見せたことのない、爆発的な瞬発力を見せた。
俺よりも明らかに速い。
その瞬発力は、ウォーカーのフェイントを完璧に読み切っているというのに、なお、その漆黒の体に触れさせないほどだった。
俺は、三回追い詰めたが、全て逃げられてしまった。
ブー。
『チェイスタグ』の試合は終了した。
結果は、どちらも捕まえられず。
勝負は、次の『スピードラン』に持ち越しだ。
「ふっ」
俺とウォーカーは顔を見合わせた。
どちらともなく肩を抱き合い、お互いの健闘を称え合う。
目を合わせるのは、今日初めてだ。
俺は、目が合ったらきっと、お互いがバチバチに、憎しみあった目をしているに違いない、と考えていた。
だが、楽しいという気持ち。
これしかなかった。
きっと、ウォーカーも、同じ心境だろう。
楽しい。
これだけが、俺とウォーカーの二人が、同時に感じていた心境だった。
普通、決勝戦は、障害物が多いステージになりやすい。最高レベルの技術の応酬こそが、パルクールの醍醐味だからだ。だが審査員が、障害物の少ない、スピードのある展開を好むこともある。こればかりは、蓋を開けてみないとわからない。
俺は、指定されていた控室から案内され、試合会場へと向かった。会場の入口に辿り着くと、アナウンスが響き渡る。
「さぁ。今回の決勝戦は、我らがパリジャンの誇り、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル(モンマルトルの光)』同士の対決だ ! まず、青コーナーから勝ち上がってきたのは、赤い髪がトレードマークの超イケメン。生ける伝説。生涯無敗。セローッ !」
入場する。
ワーッ !!
「セロ選手は、本名も不明。ただ、二年前に突如現れ、二回だけ、パリで行われた大会に出場し、連続優勝。その後、一度も出場しておりませんでした。一説では、敵がいなかったので、落胆して試合に出なくなった、との話です。今回は、久しぶりの参戦になります」
「いやー、久しぶりの参加ながら、腕前はさらに上がっているようですねぇ。世界チャンピオンを相手にしていても、余裕がありましたよ」
「今回は、チャンピオンがウォーカーにどう勝つかという大会だと思っていましたが、大波乱でしたねぇ。さすがは伝説です。これは、目が離せませんね」
解説の一言一句に、観客のヒートアップぶりは激しかった。だが、俺は冷静に、ステージのことだけしか気にならなかった。
十二メートル四方のステージを見る。
段差に、壁、ロープ、網…。よし。凹凸の多いステージだ。
俺は、心の中でガッツポーズを繰り出した。障害物が多く、直線が少ない方が、スピードのあるウォーカーに勝てる確率が高いからだ。
天は、俺に味方をしている。
俺は投げキッスと共に、天高く左腕を突き上げた。人差し指を、力強く立てて。
観客は、俺の動きに一喜一憂している。
「続きまして」
アナウンスの一言で会場のざわめきは収まり、静かになる。
「赤コーナー。こちらはパリジャン、いや、フランス国家の誇り。世界ランキング六位。黒い稲妻。ご存知、ウォーカー、パイヤールッッ !!」
ワーッ。
再び観客が叫ぶ。先ほど静かにしたのは、歓声を目立たせるための抑揚だったのか。
「ウォーカー選手は、みなさま知っての通り、二年間負け無しの選手です」
「この選手が、フランス以外の戦いにも参戦してくれたら、世界ランキング一位は確実なんですけどもねぇ」
「なんでも、『ラ・リュミエール・ド・モンマルトル』は、フランスを愛しているので、フランス以外では戦わないそうですよ」
「それは、フランス人らしい、カッコいい美学ですが、なんとも惜しいことですねぇ…」
「はい。我々のためにも、今後は、他国への参戦を考えてくれることを期待しましょう」
解説は続く。
「そういえば、ウォーカー選手は、過去に二回だけ負けたことがあります。けれども、その二回は、二回ともセロ選手なんですよ」
「え ! ということは、今回は、ウォーカー選手のリベンジマッチということでもあるんですね」
「はい。ただ、さすがに、いくらセロ選手といえども、私はウォーカー選手の方が今は強いと思いますけどね」
「確かに。彼が負ける姿は想像がつきません」
解説が続く中、俺とウォーカーは、ステージの端と端に、対角線上に向かい合った。まずは俺がイヴェイダー(逃げる側)だ。
この、『チェイスタグ』というゲームは、たった二十秒で一チェイス(ゲーム)なのだが、実は逃げる方が難しい。同じ実力の二人が戦うならば、ほぼ確実に捕まってしまう。
と、いうことは、どれだけ長い時間逃げられるかが勝負の鍵だ。
逆に、ここで逃げ切れば、自分のチェイサー(追う側)ターンの時には圧力をかけられる。そして時間を稼ぐことは、次の『スピードラン』に向けての大きなアドバンテージになる。
さぁ、行くぞ。
俺は、屈伸をしながら、大きく深呼吸をした。
三。
二。
一。
スタートだ。
先程ステージを見た時から、ウォーカーの動き方によって、逃げる戦術をいくつも考えてある。それは、一歩めの足の位置から、細かく決まっている。
ウォーカーが右足を右に進めたので、その瞬間、俺は反対に離れる。このパターンなら、網の場所で二秒は稼げる。ロープは稼げないので無視。壁はあらかじめ登っておくことで時間を稼げるが、追われている状況で登ろうとすると捕まる。杭(クイ)は、使い方によっては一秒稼げる。そして、触れられそうな瞬間に身を避けることによって、さらに一秒は時間を稼げる。
しなやかな四足歩行の肉食獣が、一瞬にして目の前に迫(せま)ってくる。
間に障害物を挟むように移動することで、ウォーカーに速度を出させない。
ジリジリと近寄ってきても、障害物で近寄らせず、襲いくる黒豹の鋭いツメ攻撃を、右に左に避けていく。
ブー。
結果、俺は、捕まることなく二十秒間を逃げ切った。
最高の成果だ。
うなだれるウォーカーを見下ろす。黒い肌に汗が浮かび、隆起した肩は激しい呼吸で揺れている。ウォーカーは顔を上げた。
俺の獲物。
さぞかし弱っているであろう表情を覗いてやろう。
俺は舌なめずりしながら、ウォーカーと目を合わせようとした。
ところが、ウォーカーは嬉しそうだ。全く弱っていない。むしろ、生気がみなぎっている。
これは一筋縄ではいかないな。
思ってすぐに、俺は思い直した。
そうだ。こいつは、あの、ウォーカーなのだ。一筋縄でいくはずがない。
俺は、すぐに気を締め直した。
次は攻守交代。俺がチェイサーだ。
三。
二。
一。
スタート。
鳥の魔王が、黒豹を追い込んでやる。
俺は、ウォーカーを、十五秒以内に捕まえることができる戦術を立てた。一度対戦して、パルクールの腕前は自分の方がレベルが高いと感じたからだ。
実際、開始六秒で、ウォーカーに近づけた。近づければ、TIOR-C4の技術で触ることが出来る。
けれども、技術が使える、後、数センチの距離になると、ウォーカーは、今までに見せたことのない、爆発的な瞬発力を見せた。
俺よりも明らかに速い。
その瞬発力は、ウォーカーのフェイントを完璧に読み切っているというのに、なお、その漆黒の体に触れさせないほどだった。
俺は、三回追い詰めたが、全て逃げられてしまった。
ブー。
『チェイスタグ』の試合は終了した。
結果は、どちらも捕まえられず。
勝負は、次の『スピードラン』に持ち越しだ。
「ふっ」
俺とウォーカーは顔を見合わせた。
どちらともなく肩を抱き合い、お互いの健闘を称え合う。
目を合わせるのは、今日初めてだ。
俺は、目が合ったらきっと、お互いがバチバチに、憎しみあった目をしているに違いない、と考えていた。
だが、楽しいという気持ち。
これしかなかった。
きっと、ウォーカーも、同じ心境だろう。
楽しい。
これだけが、俺とウォーカーの二人が、同時に感じていた心境だった。