Ep.48 モスクワは涙を信じない (Moskva slezam
文字数 2,427文字
数日後、ウンバロールは目を覚ました。
相談役シェーヴル(ヤギ)のダナゥの元、来られる『ギャルディエン(飼育員)』は全員呼び集められ、ウンバロールの寝るベッドの周りを囲んだ。
診断の結果は全身不随。脳の一部に損傷があり、言葉も出せない。いわゆる植物人間だ。
それでも人が集まっていることに気がついたのか、ウンバロールはゆっくりと、開いているのかわからないほどに薄く、目を開いた。
「オヤジ !! パジェスです !!」
パジェスはウンバロールの手を取った。他の『ギャルディエン』もみな、ウンバロールに一歩近寄る。
「今はゆっくり休んで、早く元気になってください ! 元気になったらまた、一緒に世界の頂点を目指しましょう !!」
パジェスの叫びにウンバロールは、かろうじて笑っていることがわかるほどの表情を見せた。
「ボス !」
他の幹部も次々と声をかける。
ウンバロールは聞こえているという素振りをし、やがて疲れたのか目を閉じた。
「それではみなさん、今日の面会は終わりです」
組織専属の医師が、『ギャルディエン』たちに声をかける。俺たちは病室を出ていった。
今までは、こうしてみんなで会った後、パジェスは俺だけに声をかけてくれ、二人で一緒に飲みに行っていたものだ。
だが、もちろん今は、流石(さすが)にそんな雰囲気ではなかった。
ただ、いつもの癖でパジェスを見ると、パジェスは一人下を向いて歩きながら、地獄のような形相(ぎょうそう)で歯軋(はぎし)りをしていた。
ギリギリ。
ギリギリ。
俺はその歯軋りの音が、いつまでも頭から離れなかった。
「ウンバロール、倒れる」
このニュースは速報として『ドーラ会』のサイトに大きく掲載され、裏社会をざわつかせた。
だが次の日、血色よく見える化粧をほどこしたウンバロールを車椅子に乗せ、パジェスとダナゥとライオットの三人が共に撮影をし、大事はなかったと報告する。
結果、不安はすぐに解消され、『ル・ゾォ』には元のようにオーダー(依頼)が舞い込むようになった。
ウンバロールがオーダーをこなしていたわけではない。実際のところ、実務に問題はないはずだ。
だがなぜか、俺の元には仕事が一件も来なかった。俺は隊長にもかかわらず、何も知らされず、誰かが活躍したという話を後で聞くだけとなった。
初めは、「休養しろ」という意味で仕事がないのかと思っていた。
だが、あまりにも仕事がなさすぎる。
ひと月ほど過ぎたある日、俺は、プゥサン(ひよこ)のリンゼイからこんな話を聞いた。
「先日、全幹部が集められて、大規模な会議がおこなわれたそうですね」
俺は全く聞いていなかった。だが見栄を張り、「ああ。まぁな。近いうちに内容は話そう」と言って誤魔化しておいた。
何か、おかしなことが起こっている。
次の日、俺は、パジェスのいるキングダム・タワーへと向かうことにした。
「お待たせしました。奥へどうぞ」
秘書に案内されて、ガラス張りのボスの部屋に向かう。いつもウンバロールのいた部屋には、少しやつれた顔をしたパジェスがいた。長髪が乱れている。パソコンに目を通していたパジェスは、俺の姿を確認すると、顔を上げずに声をかけた。
「どうした ?」
冷静な声をしているが、俺にはわかる。少しだけ震えている。これは感情を隠している時の声だ。
「オルク(シャチ)」
「もうオルクじゃない。先日の会議で、俺はレヴィアタン(リヴァイアサン)になった。お前にはまだ伝えてなかったな」
俺は感情を抑えようと努めたが、自分でも感情がダダ漏れしていると分かるほどの語勢を抑えきれなかった。
「その前に、なぜ召集してくれないんですか ? おかしいじゃないですか ! 俺だって『ギャルディエン(飼育員)』ですよ !」
「ああ。その件な」
パジェスは顔を上げて立ち上がった。
「今までご苦労だったな。侵入部隊隊長は、グロス・カニッシュ(ビッグプードル)に変わる。お前は…」
パジェスはつとめて明るい顔をしていった。
「引退して、ニタルトと幸せに暮らせ」
「な…」
体の中が熱くて冷たい感情に支配される。
「何言ってんだよ !」
「ふふふ。南仏プロヴァンスなんていいぞ。なんなら俺がいい物件を探しといてやろうか ? ニタルトも喜ぶだろう。しかし、あんなに小さかったお前がまさか、ニタルトと付き合うようになるなんてなぁ…」
まだ続けようとしている話を遮(さえぎ)りたくて、俺はパジェスの机の上に置いてある資料を払い飛ばした。たくさんの紙が部屋に舞う。
「俺はそんなことをあんたの口から聞きたいんじゃない ! シャモー(ラクダ)の仇をとるんだろ ? 俺にもあんたの仕事を手伝わせてくれよ ! 俺のことが必要だって言ってくれよ ! 俺も、あんたやシャモーの役に立ちたいんだ !!」
パジェスは散らばった資料を拾い集め、机の上で綺麗に整頓しながら言った。
「ダメだ。お前は俺の言ったことを聞かなかった。もう、お前には…信頼がない」
「信頼がないなら組織を辞めさせちゃダメだろう ! 誰かに情報を売ってしまうかもしれないじゃないか !」
「お前はしない」
言った後で、慌てて言葉を付け加えた。
「いや…、それくらいの信頼はある、ということだ」
「じゃあ…」
「おい !」
パジェスが手を挙げると、ガラス張りのボスの部屋に、部下が四人入ってきた。
「面会時間は終わりです。出て行きましょう」
「まだ話は終わってない」
「いや。終わっている」
パジェスの冷静な態度に対する違和感は、俺にしかわからない。今、話を続けなければ、何か、大きな出来事に繋がってしまう。
けれども近づこうとすると、四人の屈強な部下にはがいじめにされ、俺は、無理矢理、ビルの外に連れていかれた。
「ぱ、オルクー !!」
「レヴィアタンだ」
俺を見ずに、冷静な顔をしてタバコに火をつけるその手は震えていた。
タバコはやめろ、とあれだけ俺に言っていた男の手は、震えていた。
相談役シェーヴル(ヤギ)のダナゥの元、来られる『ギャルディエン(飼育員)』は全員呼び集められ、ウンバロールの寝るベッドの周りを囲んだ。
診断の結果は全身不随。脳の一部に損傷があり、言葉も出せない。いわゆる植物人間だ。
それでも人が集まっていることに気がついたのか、ウンバロールはゆっくりと、開いているのかわからないほどに薄く、目を開いた。
「オヤジ !! パジェスです !!」
パジェスはウンバロールの手を取った。他の『ギャルディエン』もみな、ウンバロールに一歩近寄る。
「今はゆっくり休んで、早く元気になってください ! 元気になったらまた、一緒に世界の頂点を目指しましょう !!」
パジェスの叫びにウンバロールは、かろうじて笑っていることがわかるほどの表情を見せた。
「ボス !」
他の幹部も次々と声をかける。
ウンバロールは聞こえているという素振りをし、やがて疲れたのか目を閉じた。
「それではみなさん、今日の面会は終わりです」
組織専属の医師が、『ギャルディエン』たちに声をかける。俺たちは病室を出ていった。
今までは、こうしてみんなで会った後、パジェスは俺だけに声をかけてくれ、二人で一緒に飲みに行っていたものだ。
だが、もちろん今は、流石(さすが)にそんな雰囲気ではなかった。
ただ、いつもの癖でパジェスを見ると、パジェスは一人下を向いて歩きながら、地獄のような形相(ぎょうそう)で歯軋(はぎし)りをしていた。
ギリギリ。
ギリギリ。
俺はその歯軋りの音が、いつまでも頭から離れなかった。
「ウンバロール、倒れる」
このニュースは速報として『ドーラ会』のサイトに大きく掲載され、裏社会をざわつかせた。
だが次の日、血色よく見える化粧をほどこしたウンバロールを車椅子に乗せ、パジェスとダナゥとライオットの三人が共に撮影をし、大事はなかったと報告する。
結果、不安はすぐに解消され、『ル・ゾォ』には元のようにオーダー(依頼)が舞い込むようになった。
ウンバロールがオーダーをこなしていたわけではない。実際のところ、実務に問題はないはずだ。
だがなぜか、俺の元には仕事が一件も来なかった。俺は隊長にもかかわらず、何も知らされず、誰かが活躍したという話を後で聞くだけとなった。
初めは、「休養しろ」という意味で仕事がないのかと思っていた。
だが、あまりにも仕事がなさすぎる。
ひと月ほど過ぎたある日、俺は、プゥサン(ひよこ)のリンゼイからこんな話を聞いた。
「先日、全幹部が集められて、大規模な会議がおこなわれたそうですね」
俺は全く聞いていなかった。だが見栄を張り、「ああ。まぁな。近いうちに内容は話そう」と言って誤魔化しておいた。
何か、おかしなことが起こっている。
次の日、俺は、パジェスのいるキングダム・タワーへと向かうことにした。
「お待たせしました。奥へどうぞ」
秘書に案内されて、ガラス張りのボスの部屋に向かう。いつもウンバロールのいた部屋には、少しやつれた顔をしたパジェスがいた。長髪が乱れている。パソコンに目を通していたパジェスは、俺の姿を確認すると、顔を上げずに声をかけた。
「どうした ?」
冷静な声をしているが、俺にはわかる。少しだけ震えている。これは感情を隠している時の声だ。
「オルク(シャチ)」
「もうオルクじゃない。先日の会議で、俺はレヴィアタン(リヴァイアサン)になった。お前にはまだ伝えてなかったな」
俺は感情を抑えようと努めたが、自分でも感情がダダ漏れしていると分かるほどの語勢を抑えきれなかった。
「その前に、なぜ召集してくれないんですか ? おかしいじゃないですか ! 俺だって『ギャルディエン(飼育員)』ですよ !」
「ああ。その件な」
パジェスは顔を上げて立ち上がった。
「今までご苦労だったな。侵入部隊隊長は、グロス・カニッシュ(ビッグプードル)に変わる。お前は…」
パジェスはつとめて明るい顔をしていった。
「引退して、ニタルトと幸せに暮らせ」
「な…」
体の中が熱くて冷たい感情に支配される。
「何言ってんだよ !」
「ふふふ。南仏プロヴァンスなんていいぞ。なんなら俺がいい物件を探しといてやろうか ? ニタルトも喜ぶだろう。しかし、あんなに小さかったお前がまさか、ニタルトと付き合うようになるなんてなぁ…」
まだ続けようとしている話を遮(さえぎ)りたくて、俺はパジェスの机の上に置いてある資料を払い飛ばした。たくさんの紙が部屋に舞う。
「俺はそんなことをあんたの口から聞きたいんじゃない ! シャモー(ラクダ)の仇をとるんだろ ? 俺にもあんたの仕事を手伝わせてくれよ ! 俺のことが必要だって言ってくれよ ! 俺も、あんたやシャモーの役に立ちたいんだ !!」
パジェスは散らばった資料を拾い集め、机の上で綺麗に整頓しながら言った。
「ダメだ。お前は俺の言ったことを聞かなかった。もう、お前には…信頼がない」
「信頼がないなら組織を辞めさせちゃダメだろう ! 誰かに情報を売ってしまうかもしれないじゃないか !」
「お前はしない」
言った後で、慌てて言葉を付け加えた。
「いや…、それくらいの信頼はある、ということだ」
「じゃあ…」
「おい !」
パジェスが手を挙げると、ガラス張りのボスの部屋に、部下が四人入ってきた。
「面会時間は終わりです。出て行きましょう」
「まだ話は終わってない」
「いや。終わっている」
パジェスの冷静な態度に対する違和感は、俺にしかわからない。今、話を続けなければ、何か、大きな出来事に繋がってしまう。
けれども近づこうとすると、四人の屈強な部下にはがいじめにされ、俺は、無理矢理、ビルの外に連れていかれた。
「ぱ、オルクー !!」
「レヴィアタンだ」
俺を見ずに、冷静な顔をしてタバコに火をつけるその手は震えていた。
タバコはやめろ、とあれだけ俺に言っていた男の手は、震えていた。