Ep.38 稲妻 (éclair)

文字数 1,384文字

「……出ていくんだ、コカドリーユ(コカトリス)」
 俺は落ち着いていると思っていたが、我を忘れていたようだ。気づくとバレンヌ(クジラ)のゲラルハに腕をひかれ、他のメンバーと共に部屋の外に押し出されていた。余裕なふりをしていたが、極度の緊張のために何も聞こえていなかったようだ。
 部屋の中には、ウンバロールとパジェスのみが残っている。
 俺はぼんやりと、ベリエ(雄羊)のオーギュスタンが、他の『ギャルディエン(飼育員)』たちに説明している姿を眺めながら、ただ柱のように突っ立っていた。ぼんやりとした視界で辺りを眺めていた。
 何の役にもたたねー。
 俺は唐突に、視界の端に天使の姿を見た。
 見間違いか ?
 目をこすったが間違いない。非常階段に続くと思っていた扉からこの階に入ってきたのだ。奥は非常階段ではなく、見える感じからすると礼拝室のようだ。
 十五歳くらいだろうか。
 美しい少年。
 肌も髪の毛も透明感が度を越していて、薄ぼんやりと光っているように見える。俺は、自分よりも美しい男を見たのは初めてだった。天使は真っ直ぐに、ウンバロールとパジェスとドラコフスキーが話をしている部屋に入っていこうとする。
「待て」
 俺は反射的に手を出して、少年を止めようとした。瞬間、まるで雷にでも撃たれたかのような衝撃を受ける。静電気程度ではない。完璧に電撃だ。
「あうっ」
 突然の出来事に身体反射は逆らえない。俺は思わず情けない声を出してしまった。その声に気づき、少年は振り向いた。
「ああ。悪いね」
 少年は全く興味のない顔をして、また部屋に向かっていく。まるで石ころでも見るかのように相手にされていないその仕草。
 俺は自分の情けなさに対して、怒りが一瞬で沸点に達した。銃の腕もナイフの腕も自信がある。こんなところでこんな少年になめられていたら、世界なんて夢のまた夢だ。モスクワに来てから一度も役に立てていない。
 俺は気分転換に脅してやろうと思い、右手に仕込んでいるナイフに手をかけた。
「やめときなよ、いい大人なんだから。『ドーラ会』内での争いは禁止だということは、君のその田舎脳みそでも分かることなんじゃないのかい ?」
 先ほどまで自分の前を歩いていた少年は、いつの間にか俺の真後ろにいた。
 完全にバカにされている。こんなクソガキに。
 俺は怒りのままに振り返ったが、その時には既に、少年は大扉の前にいた。
 騒動に気がついたオーギュスタンが、俺を抑える。
「やめとけ。『ル・ゾォ(動物園)』の品格に関わる」
「しかしベリエ」
 オーギュスタンは、俺の耳に小声で囁(ささや)いた。
「お前には絶対に勝てん」
 あん ? 俺だぞ ?
 言葉を出す前に、オーギュスタンは再び囁く。
「奴はジョット。十五歳にして、既にランキング八十位台に入っている」
 奴が ?
「しかし、シャモー(ラクダ)が」
「大丈夫。シャモーに危険はない。ここは『ドーラ会』。会の掟は絶対だ。信頼が無ければここまで大きな組織は作れん。それに奴は、我々より遥かに格上だ。我々は三百人以上のメンバーを抱えてまだ九十三位だが、奴は、たった二人で、我々よりランクが上なのだ。手を出さなければ噛まれない。一切、我々に興味がないだろう」
 世界。
 どんだけ大きいんだ。
 俺は、部屋に入っていくジョットという美少年に対して、何もせずに、ただ見送ることしかできなかった。
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