Ep.51 1コペイカの蝋燭でモスクワは焼け落ちた
文字数 2,541文字
エリザベータと二人。
俺は部屋の鍵を閉めた。
同時にエリザベータはベッドに崩れ落ち、布団を抱えたまま泣き始める。部下の手前、先ほどは我慢していたようだ。声は抑え気味だが、嗚咽(おえつ)を漏(も)らしている。いつも気丈で煌(きら)びやかなエリザベータが泣いている。
パジェスが俺をハブらなければ、信用してくれていれば、ウンバロールの警備に使ってくれていれば、今頃は誰も死んでなんかいなかったのに。
俺は、布団の中でもぞもぞと震えている生物を見ながら、悲しみというよりも怒りにうち震えた。
パジェスがいないのならば、俺がエリザベータを守るしかない。
俺はベッドに座り、布団越しにエリザベータをそっと抱きしめた。その鳴き声と震えが消えるまで、生きている温もりを抱きしめ続けた。
二時間後、俺はエリザベータに腕枕をしながら、同じ布団に包まっていた。エリザベータは俺の胸の中でしゃっくり虫のように蠢(うごめ)いているが、ようやく声が出せるくらいまでは回復した。悲しみは時間と安らぎによってしか解決しない。俺はエリザベータの蒸(む)れた髪や背中を撫(な)でながら声をかけた。
「落ち着いたか ?」
エリザベータは子供のようにうなづいた。いつまでも待ち続けるつもりだったが、エリザベータは、か細いながらも一生懸命、生命を乗せて声を届けてくれた。
「ゼロば…どごばでじっでるど ?」
エリザベータは自分の声のあまりの聞こえなさに自分で驚いたようだが、振動は体を通してしっかりと伝わっている。俺は何も気にせず答えた。
「俺は…、ウンバロールが襲われる前から…、急にパジェスに冷たくあしらわれるようになったんだ。何も聞かされてない」
俺がついていたらこんな目には合わせなかったのに。
俺は、強くエリザベータを抱きしめた。
「ぞう…。だっだら、時系列を順序立てて話していぐわね」
この論理的な言葉遣い。いつものエリザベータが戻ってきている。俺は、抱きしめた力を緩めて話を聞いた。
「まず、ウンバロールが襲撃された件についてね。部下からの報告によると、襲撃者は、イギリスの古くから続くカルト教団『ベッサル(器)』の信者。これは間違いないと思う」
「思う ?」
エリザベータは『ル・ゾォ(動物園)』の全ての情報を知っているはずだ。なぜ確定しないのだろう。エリザベータは頭がいいので、すぐにその答えを俺にくれた。
「実は、ウンバロール襲撃事件に関しては、パジェスが単独で情報を集め、情報部には一切の連絡がなかったの。だから、私が秘密裡(ひみつり)に探った程度の情報しか得られなかったの」
「なるほど。なぜその『ベッサル』という宗教団体が、ウンバロールを襲撃したんだ ?」
「わからない。だけど犯人は、「イギリス王家の宝を奪うものに災(わざわ)いあれ !」と叫んだそうよ」
「王家の宝 ?」
「そう。なんのことかしらね。私たちは、自分たちより大きな権力から睨(にら)まれないように、裏の関係まで精査してから仕事をしてたでしょ ? だから、イギリス王家に仇なすようなことは絶対にしてないのよ」
俺は血の気(け)が一斉に引いた。エリザベータは構わずに話し続ける。
「でもカルト宗教の信者なんて、気が狂ってるじゃない。真実は闇の中、だわ」
自分の体が死体のようだ。身動きがとれない。ただ墓場の中で、聴覚機関だけが動いている。
「パジェスは対外的には、気が狂った一般人による犯行、ということで終わらせたの。でも裏では、自分の親衛隊を使って犯人を探していたわ」
裏では、か。
「それを他の幹部はどうやら嗅ぎつけたようね。リオン(ライオン)の様な武闘派が、しきりに仇を討とうとパジェスに詰め寄っていたの。最初は渋っていたんだけど、リオンが何か重要な秘密を握ったみたいで…。それで、ついに敵討ちをしようとして逆に…」
言いながら、またエリザベータは泣き始めたが、体内に涙は残っていないようだ。俺は体温が残っていない。エリザベータの話を聞いて、俺には全てが腑(ふ)に落ちた。
イギリス王家の宝…。
おそらく、『ザ・ファースト・エッグ(始まりの卵)』のことだ。俺が命令に背(そむ)いて勝手にお宝を奪(と)りにいったせいで、『ル・ゾォ』は『ベッサル』に目をつけられてしまったんだ。パジェスはそのことに気がついたから、あえて俺を遠ざけて、何も情報を得られない様にしたんだ。情報部を通さず、自分の直属部隊だけで調査していた理由も、俺が火種を作ったということが他の幹部にバレないようにしていたのだ。
そして、ウンバロールだけはそのことを知っていたに違いない。だから瀕死の状態だというのに、俺に卵を渡すよう、ダナゥに頼んだのだ。俺のせいだという証拠を隠蔽(いんぺい)するために。
ちくしょう。
俺がいればみんなを助けられたのに、じゃねぇよ。俺のせいでこんな状態になっちまったんじゃねぇか。俺は能天気にパジェスのことを恨んでいたが、二人の愛に守られていたことも気づかず、のうのうと生き恥を晒(さら)していただけじゃねぇか。
どうにか、どうにかしてくれ !
誰か、俺を救ってくれ !
俺は、体が、はち切れそうだ !!
俺は、死体のような自分の体温を忘れるため、エリザベータを必死で抱きしめた。
助けてくれ !!!
その時、ズボンのポケットに入っていたスマートフォンが振動する。普通、こんな時にはスマートフォンなんて見ない。だが俺は、急いで取り出して通知を調べた。
やはり !
画面には「パジェス」の文字だ。困っているときにはいつも俺を助けてくれる。
俺は少しでも現実から逃げたいので、泣いている姿を見せたくないという体で部屋を出ていき、少し離れた空き部屋に入り、鍵を閉め、すぐにメールを開いた。
メールには、データが添付(てんぷ)されていた。開くにはパスワードが必要だ。
「セロ。お前の知りたいことはなんだ ?」
いつも聞かれていた問いかけ。
パジェス。
決まっている。
答えは一つしかない。
俺は、一瞬の躊躇もなくパスワードを打ち込んだ。
「Comment Voler Dans Le Ciel (ソラノトビカタ)」
行き詰まった俺の人生の袋小路に、新たな道が開かれた。
俺は部屋の鍵を閉めた。
同時にエリザベータはベッドに崩れ落ち、布団を抱えたまま泣き始める。部下の手前、先ほどは我慢していたようだ。声は抑え気味だが、嗚咽(おえつ)を漏(も)らしている。いつも気丈で煌(きら)びやかなエリザベータが泣いている。
パジェスが俺をハブらなければ、信用してくれていれば、ウンバロールの警備に使ってくれていれば、今頃は誰も死んでなんかいなかったのに。
俺は、布団の中でもぞもぞと震えている生物を見ながら、悲しみというよりも怒りにうち震えた。
パジェスがいないのならば、俺がエリザベータを守るしかない。
俺はベッドに座り、布団越しにエリザベータをそっと抱きしめた。その鳴き声と震えが消えるまで、生きている温もりを抱きしめ続けた。
二時間後、俺はエリザベータに腕枕をしながら、同じ布団に包まっていた。エリザベータは俺の胸の中でしゃっくり虫のように蠢(うごめ)いているが、ようやく声が出せるくらいまでは回復した。悲しみは時間と安らぎによってしか解決しない。俺はエリザベータの蒸(む)れた髪や背中を撫(な)でながら声をかけた。
「落ち着いたか ?」
エリザベータは子供のようにうなづいた。いつまでも待ち続けるつもりだったが、エリザベータは、か細いながらも一生懸命、生命を乗せて声を届けてくれた。
「ゼロば…どごばでじっでるど ?」
エリザベータは自分の声のあまりの聞こえなさに自分で驚いたようだが、振動は体を通してしっかりと伝わっている。俺は何も気にせず答えた。
「俺は…、ウンバロールが襲われる前から…、急にパジェスに冷たくあしらわれるようになったんだ。何も聞かされてない」
俺がついていたらこんな目には合わせなかったのに。
俺は、強くエリザベータを抱きしめた。
「ぞう…。だっだら、時系列を順序立てて話していぐわね」
この論理的な言葉遣い。いつものエリザベータが戻ってきている。俺は、抱きしめた力を緩めて話を聞いた。
「まず、ウンバロールが襲撃された件についてね。部下からの報告によると、襲撃者は、イギリスの古くから続くカルト教団『ベッサル(器)』の信者。これは間違いないと思う」
「思う ?」
エリザベータは『ル・ゾォ(動物園)』の全ての情報を知っているはずだ。なぜ確定しないのだろう。エリザベータは頭がいいので、すぐにその答えを俺にくれた。
「実は、ウンバロール襲撃事件に関しては、パジェスが単独で情報を集め、情報部には一切の連絡がなかったの。だから、私が秘密裡(ひみつり)に探った程度の情報しか得られなかったの」
「なるほど。なぜその『ベッサル』という宗教団体が、ウンバロールを襲撃したんだ ?」
「わからない。だけど犯人は、「イギリス王家の宝を奪うものに災(わざわ)いあれ !」と叫んだそうよ」
「王家の宝 ?」
「そう。なんのことかしらね。私たちは、自分たちより大きな権力から睨(にら)まれないように、裏の関係まで精査してから仕事をしてたでしょ ? だから、イギリス王家に仇なすようなことは絶対にしてないのよ」
俺は血の気(け)が一斉に引いた。エリザベータは構わずに話し続ける。
「でもカルト宗教の信者なんて、気が狂ってるじゃない。真実は闇の中、だわ」
自分の体が死体のようだ。身動きがとれない。ただ墓場の中で、聴覚機関だけが動いている。
「パジェスは対外的には、気が狂った一般人による犯行、ということで終わらせたの。でも裏では、自分の親衛隊を使って犯人を探していたわ」
裏では、か。
「それを他の幹部はどうやら嗅ぎつけたようね。リオン(ライオン)の様な武闘派が、しきりに仇を討とうとパジェスに詰め寄っていたの。最初は渋っていたんだけど、リオンが何か重要な秘密を握ったみたいで…。それで、ついに敵討ちをしようとして逆に…」
言いながら、またエリザベータは泣き始めたが、体内に涙は残っていないようだ。俺は体温が残っていない。エリザベータの話を聞いて、俺には全てが腑(ふ)に落ちた。
イギリス王家の宝…。
おそらく、『ザ・ファースト・エッグ(始まりの卵)』のことだ。俺が命令に背(そむ)いて勝手にお宝を奪(と)りにいったせいで、『ル・ゾォ』は『ベッサル』に目をつけられてしまったんだ。パジェスはそのことに気がついたから、あえて俺を遠ざけて、何も情報を得られない様にしたんだ。情報部を通さず、自分の直属部隊だけで調査していた理由も、俺が火種を作ったということが他の幹部にバレないようにしていたのだ。
そして、ウンバロールだけはそのことを知っていたに違いない。だから瀕死の状態だというのに、俺に卵を渡すよう、ダナゥに頼んだのだ。俺のせいだという証拠を隠蔽(いんぺい)するために。
ちくしょう。
俺がいればみんなを助けられたのに、じゃねぇよ。俺のせいでこんな状態になっちまったんじゃねぇか。俺は能天気にパジェスのことを恨んでいたが、二人の愛に守られていたことも気づかず、のうのうと生き恥を晒(さら)していただけじゃねぇか。
どうにか、どうにかしてくれ !
誰か、俺を救ってくれ !
俺は、体が、はち切れそうだ !!
俺は、死体のような自分の体温を忘れるため、エリザベータを必死で抱きしめた。
助けてくれ !!!
その時、ズボンのポケットに入っていたスマートフォンが振動する。普通、こんな時にはスマートフォンなんて見ない。だが俺は、急いで取り出して通知を調べた。
やはり !
画面には「パジェス」の文字だ。困っているときにはいつも俺を助けてくれる。
俺は少しでも現実から逃げたいので、泣いている姿を見せたくないという体で部屋を出ていき、少し離れた空き部屋に入り、鍵を閉め、すぐにメールを開いた。
メールには、データが添付(てんぷ)されていた。開くにはパスワードが必要だ。
「セロ。お前の知りたいことはなんだ ?」
いつも聞かれていた問いかけ。
パジェス。
決まっている。
答えは一つしかない。
俺は、一瞬の躊躇もなくパスワードを打ち込んだ。
「Comment Voler Dans Le Ciel (ソラノトビカタ)」
行き詰まった俺の人生の袋小路に、新たな道が開かれた。