Ep.34 神の御加護を (A tes souhaits !)

文字数 3,718文字

「私は、数年前、フタバ・エンドという戦略家にあったよ。彼曰く、世界を平和にするには、誰かが世界を統一しなくてはならない、とのことだ」
「えっと、なんか、俺はまだ勉強中で、詳しくはわからないのですが、EUとか、国連とか、そういうのじゃダメなんですか ?」
「連合と統一は違う。連合は、目的が変われば、戦うこともある。現に、今の国連は、中国が、自分たちだけの利益を独占しようとして、金と暴力をばら撒きながら、民主国家と静かに争いを続けている状態だ。だが、統一とは、同じ目線になることだ。自分の右手と左手が争うことはない。私とセロが戦うことはない。バリとマルセイユが戦うこともない。だが、仲間同士でなければ、いずれは戦うこともある。世界平和には、統一が、絶対に必要なのだ」
「でしたら、なぜ大統領にならないのですか ? あなたの力を持ってすれば、自分がフランスの大統領になることだって出来るのではないですか ?」
「その方が尊敬できるか ?」
 ウンバロールは、弱々しく、目の皺を増やして笑った。
「私もそれは考えた。しかし、悪は悪だよ。人を一人でも殺してしまったら、もう、この世界で正義を名乗ってはいけない。この世界を動かしていく人間は、人を殺さなくても、人間を導けるものでなくてはならない。人殺しを正当化してはいけないのだ。だが、私には、汚れずに、世界平和を成し遂げる方法はわからなかった。だから私は、力で悪を制御し、檻の中に閉じ込めていこうと思う。やがて来るであろう、光のために」
 俺は、子供の頃に教育を受けていないので、そこまで難しいことはわからない。けれども、人を見る目は養ってきた。
 ウンバロールの悲しい目の奥が訴えていることは何だろう。
 俺は、なにも言わずに、ただ、じっと、ウンバロールを見つめ続けた。ウンバロールは続ける。
「つまり、私の目指しているものは、世界で一位を取りたいという野望ではない。会議の時は、わかりやすいようにそう言ったが、本当に目指しているものは、平和のための、秩序ある悪、だ。それを成し遂げるには、世界は、今や繋がり過ぎている。フランスに秩序をもたらすには、諸外国からの圧力に規制をかけなくてはならない。諸外国を動かすには、諸外国にも秩序をもたらさなければならない。文明により繋がってしまったら最後、統一するまで争いがずっと続く。私は、自分のできる力で、この世に平穏をもたらしたい」
 ウンバロールは、俺をじっと見つめ返した後、そっと優しく抱きしめた。
「本当は、君やパジェス君には、もっと、人から尊敬される人生を与えたかった。パルクーラーとしての輝かしい道もあったろう。だが、私は、愛する君たちに、これからも、汚い仕事を、たくさんこなしてもらうことになる。私自身も、ますます汚れていく。そうでなくては、理想に近づくことはできない。本当は、私だって怖い。君たちに縋(すが)らなければ、立ってなんていられない。こんな私を軽蔑するか ?」
 声も体も震えている。俺は、初めて、あのウンバロールが、自分を頼ってくれていることに、魂が、震えた。
「軽蔑なんて、しようはずが、ありません」
 俺も声が震えているようだが、それでも構わず続けた。
「俺は、あなたに会うまでは、ただ、その日に生きられるかどうかしか考えてはいませんでした。それが、贅沢を覚え、大事な人が増え、そして今日、世界を変えようという大きな目標を聞くことができました。満足の終着点はここだと思っていたら、より遠くまで歩くことのできるラクダが、さらに素晴らしい場所があるぞと教えてくれました。俺は、これからもウンバロールについていきたいです。死ぬまで、ウンバロールについていきたいです」
 ウンバロールは、垂れた目尻をさらに下げた。溜まった涙がシワだらけの頬(ほほ)を伝(つた)う。鼻水も出ている。
「ありがとう。君やパジェスがいるから、未来が繋がっているから、私は、これからも進んでいける」
 ウンバロールは、袖で涙と鼻水を拭いた後、笑って言った。
「弱いところを見せてしまった。だが、もう、これからは、弱い姿は見せないよ。立派な背中だけを見せていこう。今までは、理想と現実という二つのコブを背負ったフタコブラクダだった。だがこれからは、理想を現実化するヒトコブラクダになろう」
 ウンバロールは、軽く自分の背中を叩いてみせた。
「俺も、ラクダを守って空を飛びます。この羽で」
 俺も、自分の背中を叩いた。
「ははは。嬉しい。心から嬉しいよ。だが、最後に、もう一度だけ確認させてくれ。私は、君の意思を見せてもらえただけで満足した。セロは、私と違って、まだ今なら、光り輝く未来に向かって進んでいくこともできる。私たちとの関係を絶って、パルクールアーティストとして生きていく未来も、今ならまだ、選択することができる。私は。セロ。君が可愛い。いつまでも一緒にいたい気持ちもある。一緒に汚れた未来に進むことを、歓迎したい。だが、同時に、素晴らしい人生を送ってもらいたいという気持ちもある。そうだな…、まるで…、援助交際をした後に、説教をするおじさんのように、両方の気持ちがある。一緒に来れば、これからは君に、更に汚れたキツい仕事をさせてしまうのだ。それでも…」
 話の途中で俺は、ウンバロールの両肩に手を乗せた。ニタルトが俺によくやってくれる、最後まで言わせずに同意する、あの、例の、嬉しい愛情表現を、今度は俺が、ウンバロールにおこなうことになった。
 ごめんな。
 俺は心の中で、ウォーカーに一言謝り、はっきりと、自分の意思を言葉にした。
「ウンバロール。俺は、あなたと一緒にいきたい」
 ウンバロールは、その大きな体で、俺をギュッと抱きしめた。
 ウンバロールの体の中に俺は沈み、ケ・ドルセー(ウンバロール愛用の葉巻)の匂いが、体臭と体温と共に染み込んでくる。
 俺はこれからも、この人と一緒に生きていくのだな。
 俺は、ニタルトとは違うその大きな温もりに、ただじっと、体を埋(うず)めた。
「セロ。私の鼓動の音が聞こえるかい ?」
 俺は、埋もれたままでうなづいた。
「これから、私たちは、強くならなければならない。今は心臓も早鐘を打っているが、このような動揺は、今後、私にとって、持ってはいけないものになる。私は、神になる。悪の、神になる。神は動揺しない。してはいけない。今は早いこの鼓動が、通常の音に戻った時、私は、今までの私ではない。そしてセロ。君も、神についてくる以上、ただのコックではいられない。神獣にならなければ、私と共に戦うことはできない。お互いの鼓動の音が同じ速度になり、私たちが体を離したその時から、君はコックではない。コカドリーユ(コカトリス)と名乗りなさい」
「コカドリーユ ?」
「そう。フランスではトカゲの化け物と認識されているが、世界では、ニワトリの身体に、ヘビの尾と、コウモリの翼をもつ、巨大な神獣と認識されている」
 コカドリーユ。なんだか強そうだ。
 その姿を想像し、自分の体に重ね合わせているうちに、俺はまた一つ、強さの限界を超えたような気がした。
 俺は強い。
 心音がおさまる。
 ウンバロールも同様だ。
 お互いが平常心を保ち、同じ心音になった時、俺たちは、そっと体を離した。
 ウンバロールと目を合わせる。先程までの弱さは欠片(かけら)も見られない。まさに、神と呼ぶにふさわしい相貌が、そこにはあった。 
「セロ」
 その声は、以前よりも更に落ち着いている。俺も同様に、落ち着いて、大きくうなずいた。ウンバロールは、自分のズボンのポケットから、手のひらほどの塊を取り出し、俺の手の中に入れた。
 これは ?
「我が子よ。これは、私とお前を繋ぐ証明だ」
 見ると、鎖のついた黄金色の懐中時計だ。表には、ツタでできた柵のような模様と、PAIMONという文字。裏には、鋭い爪を持ったニワトリが、雄々しく巨大な蝙蝠の羽を広げている姿が掘られている。
 これがコカドリーユか。
 自分のためだけに作られたであろう、世界に一つしかない時計。
 これから一緒に黄金の時間を共有しよう。そんな意味だろうか。
 ウンバロールは、俺の肩を軽く叩き、「意味については自分で考えろ」と背中で語りながら、暗い階段を降りていった。
 俺は一人、スーツを綺麗に着直しながら、考えた。人生において大事なものは、全て、ウンバロールとパジェスからもらった。だが、物をもらったことは、今まで一度もなかった。
 この思い。
 なんと例えれば良いのか。俺は考えようと思ったが、首を振って終わりにすることにした。言葉にしてしまうことが、あまりにもこの思いを安っぽくさせてしまうと気づいたからだ。
 俺は、まだ、ウンバロールの温もりが残る金時計を、跡が残るほど強く握った後、上着の胸ポケットにしまった。
 これから起こる新しい地への不安よりも、成し遂げられなかったウォーカーとの約束への後悔よりも、神に認められた男の無敵感が強い。

 その晩、俺は、人生に記憶がないほど、自分も神になっていた。神として、ニタルトを、激しく、何度も、恣(ほしいまま)に、抱きつくした。
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