Ep.21 ライバル (rival)

文字数 1,899文字

「どうしたんだよ」
「ああ。お前に、どうしても話したいことがあってな」
「まぁ、お前から誘われるのは嬉しいよ」
 数日後、俺はウォーカーを誘って、裏酒場『シャ・ノワール(黒猫)』にやってきた。いつものように立ったまま、小さな丸テーブルを囲み、二人で安い酒を一度に二杯ずつ注文する。俺は安ウォッカ、ウォーカーは安ワインだ。だが、酒の違いは見た目だけで、二人とも醸造アルコールを頼んだと言っても過言ではないだろう。
「チンチン(乾杯)」
 俺たちは、一杯目のグラスを一息で空けた。悪酔いしそうな舌触りだ。
「で、話ってのは何なんだ ?」
 男同士の話は、いきなり本題に入る。けれども俺は、まず、ジャブを放ってみた。
「俺が、組織の幹部になった話は知ってるか ?」
「知らなかった」
 ウォーカーは、特に驚いたという顔もなく、淡々と話を続けた。
「でも、お前なら、絶対すぐ、幹部になると思っていたよ」
「そうか」
 本題に入る前に無言になる。酒場のうるさい雰囲気がなければ耐えられないような、何も喋らない空間だ。珍しく、話の下手なウォーカーから口を開く。
「で、ここで二人でお祝いしようってのか ? だったら僕たちも良い大人だ。金も少しならある。ニタルトを誘って、みんなで高級フランス料理に舌鼓でも打たないか ?」
「インターコンチネンタルホテルで、か ?」
「お、彼女の勤め先を知ってんのか ? じゃあちょうどい」
 俺は右手を広げて前に出し、ウォーカーの言葉を遮った。
「もうすぐ世界大会があるだろ ?」
「パルクールのか ?」
「ああ」
 俺の話が急に飛んだにも関わらず、ウォーカーはさして気にしていないようだ。
「あるよ」
「参加しようと思う」
 ウォーカーの顔は輝いた。
「えっ ! てことは、久しぶりに『光』の復活か ?」
「いや、個人戦だけだ」
 ウォーカーの表情に一瞬影がさしたが、すぐにまた笑顔に戻る。
「それでもいいよ。なんでまた、急に試合に出ようだなんて思ったんだ ? いや、僕はすごく嬉しいけどさ」
「嬉しい ?」
「ああ。だって、もうパルクールで俺に敵う奴なんて、世界中探してもどこにもいないんだもん。でも、セロとだったら結構良い勝負ができるような気がする」
「いい勝負 ?」
 俺は、片眉を釣り上げてウォーカーを見た。ウォーカーはキョトンとしている。
「いい勝負じゃない。俺が、勝つんだ」
「…本気 ?」
「ああ」
 ウォーカーは、少し黙った後で、重そうに口を開く。
「でも、パルクールの試合はそんなに簡単じゃないよ。僕だって、仕事以外にも、いつもパルクール専用の練習をしている。競技用の技術と、身のこなしはまた違うし…」
「お前に勝ったら、ニタルトに告白しようと思うんだ」
 ウォーカーは驚いた顔をした。
「本気で、僕に勝つ気なの ?」
 俺は少しイラッとしたが、気持ちを抑えて返事をした。
「ああ」
「じゃあ、やめときなよ。彼女を賭け事の道具にするべきじゃない」
「なんでだよ」
「だって、僕が出るんだぜ」
「だから ?」
「僕の去年の戦績を知ってるか ? 出た試合は全戦全勝。世界ランキングの一位を相手にしても、不戦敗以外は一度も負けてない。セロのことは尊敬してるけど、流石(さすが)に僕には勝てないよ」
 ああ。これだ。これが、ウォーカーの自信の源泉だ。どんなに力が弱くても、どんなに仕事に従順でも、これがあるからこいつは俺より優れているというオーラを出してくるんだ。
 俺は戦う相手が決まり、心のままに対抗した。
「全勝だということはニタルトから聞いている。だが、去年の戦いには、俺が出ていなかった」
「…本気なんだね」
「ああ」
 少し迷って、再びウォーカーは口を開く。
「ニタルトのことも、本気で、愛しているのか ?」
 俺は、真剣な目線に対し、真剣に見つめ返した。
「ああ。初めて会った時からずっと。…お前同様、な」
 ウォーカーは目を逸(そ)らした後、しばらく考え、再び自分に向き直った。その目はまさに黒豹だった。
「…わかった。でも、もし、僕が彼女のことを好きだと知ってて、本気で戦いたいから焚き付けるためだけで言っているのなら、それは意味ないよ。なぜなら、僕はもう、怒りで腑(はらわた)が煮えくりかえっているんだ。彼女を、賭け事の商品のように扱っていることがね。告白するのなら、試合とは関係なく告白したらいい」
「どう思ってくれても構わない。お前が本気で戦ってくれるということがこれでわかった。空を飛ぶついでだ。彼女と、お前からの勝利。俺は両方を手に入れる」
 俺は、一気にウォッカを飲み干し、空のグラスを勢いよく机に叩きつけ、靴音を高らかにして、荒々しく店から出ていった。
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