Ep.26 告白 (Je t’aime)
文字数 3,185文字
エレベーターは誰も乗っていない。
扉が閉まる。
突然の閉鎖空間に、俺は急激に動悸がはやまった。
ニタルトと二人きり。
意識してしまう。
しかし、告白するにはエレベーターの時間はあまりにも短い。
俺は今日、「告白する」という意志を持っている。だが、どこでどう告白するのかを全く考えていなかった。さっきインタビュアーを抑えてくれたウォーカーを、「作戦も考えていないバカ」だと思ったが、実際は俺も同様、なかなかの馬鹿者だ。
「おう。一体どうしたってんだ ? いきなり引っ張って来やがって」
結果、今はただ、酔っ払った感じの、いつも通りの受け答えをおこなうことにした。告白は再度、二人きりになれる場所を探せばいいだろう。
「今日は一日お疲れ様。優勝したあなたに、勝利者賞があるの。私が案内したくって」
ニタルトは嬉しそうだ、そして、少し酔っている。普段より体が近い。唇が近い。キス、してしまいそうだ。
勝利者賞 ?
勝利者賞って、もしかして、こういうことか ?
「着いたよ」
自分の欲情がピークにまで高まったところで、エレベーターの扉が開いた。
ま、そんなもんだろう。天はいつも、自分の味方をしてくれない。自分の人生は、あくまで自分が掴み取らなければならないものだ。
俺は我にかえり、ニタルトと共にエレベーターを降りた。
「ここは ?」
「こっちこっち」
ニタルトは、自分の持っていた鍵で、目の前の部屋の扉を開けた。自慢げな顔で振り向く。
「スイートロワイヤルっていってね、このホテルで一番いい部屋なの。しかも五階。今日の優勝者は、ここに泊まっていいんだって。ほら、見て。部屋もこんなにいっぱいあるし、ベランダからはオペラ座が見渡せるんだから。私、ここでずっと働いてるけど、この部屋に泊まれるって、ホントに凄いことなのよ。今まで泊まったことのある人だって、大統領だったり、ブラック・アイド・ピーズだったり、ホント凄いんだから」
どっかのおっさんや、音楽が上手い知らない奴らが泊まった部屋、なんて言われてもどうだっていい。俺は部屋の中を見渡した。
赤と白を基調とした、普段は王様でも住んでいそうな部屋だ。部屋の数も沢山ある。
ただ実際、俺は部屋になんて興味はない。三平米(畳二枚分)あれば十分だ。部屋をちらっと見た後は、ニタルトの細い腰から生えている、いやらしいお尻の動きをじっと眺めていた。
美しい。
俺は、自分の中のコック(欲望)が鎖を引きちぎろうと暴れているので、後ろから歯がいじめにし、必死で押さえつけていた。
最後に案内してくれた部屋は、ベッドルームだった。キングサイズだ。
俺の頭の中は、白い部分ではなく、赤い部分ばかりが強調して見えてくる。赤は興奮を促す色だ。俺の体の中は、興奮一色になった。
赤、白、青いドレス。
赤、青、黒い肌。
赤、赤、赤い唇。
「ほら ! 見て ! 目の前にオペラ座 !! 私、仕事中に、ここから下を歩く人を見るのが凄く好きなの !!」
「へー、どれどれ」
俺は必死で耐えながら、狭いベランダに出たニタルトを追う。
ニタルト。
なんてフォルムなんだ。
その黒く美しい肌。
汗と混じったいやらしい匂い。
「どうしたの ?」
我慢している俺に、ニタルトは潤んだ瞳で追撃する。
近い。
近すぎる。
ダメだ。
俺は耐えようと思った。けれどもダメだ。もう、完全に、頭の中は、性に支配されてしまった。重度薬物中毒者でも、ここまで欲することはないだろう。
俺は、ニタルトのしなやかな手首を掴んだ。
「なに ?」
俺は、ベランダの壁にニタルトを押し付け、自分の体をピッタリとつけた。九月とはいえ、パリの夜はもう寒い。だが、夜の暗さは俺の欲情を増大させる。自分の体も、ニタルトの体も、筋肉含有量が多いために熱量が高い。
「なに ? どうしたの ?」
ニタルトは、脅えと無邪気を同居させた顔をして聞いてくる。
悪戯(いたずら)な瞳。
低い鼻。
ぷっくらとした唇。
視線が外せない。
どうにも我慢ができない。
嫌われても構わない。
逮捕されても構わない。
俺は何もかもを忘れ、無理やり、その唇にむしゃぶりついた。
驚いた顔を無視し、暴れる両手を押さえつけ、ただ夢中で唇を重ね続ける。
ニタルトはそのうち、諦めたように力が抜けた。
さらに数分続けていると、自分からも、俺の唇を食べ始めるようになった。
長いこと続けていた俺は、呪文から解けたかのように我に返り、その唇をゆっくりと離す。
ニタルトの目は、うっとりとしていた。
「好きだ」
「順番が逆よ。あなた、ひよこじゃなくて、まるで闘鶏(とうけい)のようね」
「闘鶏 ?」
「そう。闘う鶏よ。レユニオン島で見られるんだって」
「見に行こう」
「闘鶏は、今、見たわ」
ニタルトは、いたずらな瞳で俺に微笑みかけた。声も粘り気があり、いやらしくなっている。
告白は驚くほどあっさりと成功し、俺たちは再び、今度は、スローでメローな、長い口付けを交わしあった。
唇に涎(よだれ)が光るほどの口付けが終わると、俺はニタルトの頭を撫で、優しく王様ベッドに横たわらせる。
これが、ニタルトの肌。
これが、身を許してくれたニタルトの表情。
これが、ニタルトの柔らかさか。
俺は感動した。
世界大会優勝の栄誉と、子供の頃から好きだった女を手に入れる。
人生で一番輝いている瞬間。
今が人生で一番の絶頂だ。
けれども、ニタルトを手に入れたというのに、俺の心は、全てが充足感で満たされているわけではなかった。
百パーセントの満足ではない。心のどこかが、ぽっかりと空洞になっている。
この空洞は何か。
わかっている。
こんな素晴らしい時間に分かりたくはなかったが、でも分かってしまっていた。
先程のウォーカーとの試合が、自分にとって、消化不良だったのだ。
欲情に塗(まみ)れた体とは裏腹に、頭の中を巡るのは、先ほどの試合で見たウォーカーのトリックだ。絶対に勝ったと思った瞬間、自分の予想を飛び越えて、さらに高いところを飛んでいく、黒豹のようなあの肉体の美しさ。
考えないようにしていたが、俺はあの時、完全に心を奪われていた。確かに負けていたのだ。
前戯をしながらも、頭の中ではウォーカーの存在がどんどんと肥大していく。試合終了後からずっとあった、わざと俺に負けたのではないかという疑惑も膨らんでいく。「つま先が引っかかって転倒した」と言っていたが、つま先を上げて段差に足をかけるなんて、基本中の基本だ。習いたての小学生だって失敗はしない。
だが、なんのために負けたのかというと、それがわからない。ウォーカーがニタルトのことを好きだという事実は、疑いようがない。ニタルトも、この前、酒場で話を聞いた感じでは、満更ではないように聞こえた。
もしかして、親友である俺のために、身を引いてくれたのだろうか。いや、それならば、俺のことをよく知らなすぎる。俺は、親友だからこそ、本気で戦いたいと思っていた。勝っても負けてもいい。ただ、本気で戦いたい。俺はそういう男だ。そうに決まっているじゃないか。
けれどもウォーカーは、どこかで、俺の中にある恐怖に気づいてしまったのかもしれない。俺自身も気づかなかった敗北への恐怖を感じて、優しいウォーカーは、ついつい、手心を加えてしまったのではないだろうか。
考えれば考えるほど、頭の中をウォーカーが駆け回る。
「どうしたの ?」
ニタルトが、蕩(とろ)けた瞳で俺を誘(いざな)う。
俺はいつの間にか、ニタルトを弄(まさぐ)る動きを止めてしまっていたようだ。
「感動してたんだ」
俺は慌てて女の喜びそうなセリフを吐き、心の中で頭を振り、そしてもう一度、荒々しくニタルトをベッドに押し倒し、何度も、何度も、全てを忘れようと、何度も激しくキスを繰り返した。
扉が閉まる。
突然の閉鎖空間に、俺は急激に動悸がはやまった。
ニタルトと二人きり。
意識してしまう。
しかし、告白するにはエレベーターの時間はあまりにも短い。
俺は今日、「告白する」という意志を持っている。だが、どこでどう告白するのかを全く考えていなかった。さっきインタビュアーを抑えてくれたウォーカーを、「作戦も考えていないバカ」だと思ったが、実際は俺も同様、なかなかの馬鹿者だ。
「おう。一体どうしたってんだ ? いきなり引っ張って来やがって」
結果、今はただ、酔っ払った感じの、いつも通りの受け答えをおこなうことにした。告白は再度、二人きりになれる場所を探せばいいだろう。
「今日は一日お疲れ様。優勝したあなたに、勝利者賞があるの。私が案内したくって」
ニタルトは嬉しそうだ、そして、少し酔っている。普段より体が近い。唇が近い。キス、してしまいそうだ。
勝利者賞 ?
勝利者賞って、もしかして、こういうことか ?
「着いたよ」
自分の欲情がピークにまで高まったところで、エレベーターの扉が開いた。
ま、そんなもんだろう。天はいつも、自分の味方をしてくれない。自分の人生は、あくまで自分が掴み取らなければならないものだ。
俺は我にかえり、ニタルトと共にエレベーターを降りた。
「ここは ?」
「こっちこっち」
ニタルトは、自分の持っていた鍵で、目の前の部屋の扉を開けた。自慢げな顔で振り向く。
「スイートロワイヤルっていってね、このホテルで一番いい部屋なの。しかも五階。今日の優勝者は、ここに泊まっていいんだって。ほら、見て。部屋もこんなにいっぱいあるし、ベランダからはオペラ座が見渡せるんだから。私、ここでずっと働いてるけど、この部屋に泊まれるって、ホントに凄いことなのよ。今まで泊まったことのある人だって、大統領だったり、ブラック・アイド・ピーズだったり、ホント凄いんだから」
どっかのおっさんや、音楽が上手い知らない奴らが泊まった部屋、なんて言われてもどうだっていい。俺は部屋の中を見渡した。
赤と白を基調とした、普段は王様でも住んでいそうな部屋だ。部屋の数も沢山ある。
ただ実際、俺は部屋になんて興味はない。三平米(畳二枚分)あれば十分だ。部屋をちらっと見た後は、ニタルトの細い腰から生えている、いやらしいお尻の動きをじっと眺めていた。
美しい。
俺は、自分の中のコック(欲望)が鎖を引きちぎろうと暴れているので、後ろから歯がいじめにし、必死で押さえつけていた。
最後に案内してくれた部屋は、ベッドルームだった。キングサイズだ。
俺の頭の中は、白い部分ではなく、赤い部分ばかりが強調して見えてくる。赤は興奮を促す色だ。俺の体の中は、興奮一色になった。
赤、白、青いドレス。
赤、青、黒い肌。
赤、赤、赤い唇。
「ほら ! 見て ! 目の前にオペラ座 !! 私、仕事中に、ここから下を歩く人を見るのが凄く好きなの !!」
「へー、どれどれ」
俺は必死で耐えながら、狭いベランダに出たニタルトを追う。
ニタルト。
なんてフォルムなんだ。
その黒く美しい肌。
汗と混じったいやらしい匂い。
「どうしたの ?」
我慢している俺に、ニタルトは潤んだ瞳で追撃する。
近い。
近すぎる。
ダメだ。
俺は耐えようと思った。けれどもダメだ。もう、完全に、頭の中は、性に支配されてしまった。重度薬物中毒者でも、ここまで欲することはないだろう。
俺は、ニタルトのしなやかな手首を掴んだ。
「なに ?」
俺は、ベランダの壁にニタルトを押し付け、自分の体をピッタリとつけた。九月とはいえ、パリの夜はもう寒い。だが、夜の暗さは俺の欲情を増大させる。自分の体も、ニタルトの体も、筋肉含有量が多いために熱量が高い。
「なに ? どうしたの ?」
ニタルトは、脅えと無邪気を同居させた顔をして聞いてくる。
悪戯(いたずら)な瞳。
低い鼻。
ぷっくらとした唇。
視線が外せない。
どうにも我慢ができない。
嫌われても構わない。
逮捕されても構わない。
俺は何もかもを忘れ、無理やり、その唇にむしゃぶりついた。
驚いた顔を無視し、暴れる両手を押さえつけ、ただ夢中で唇を重ね続ける。
ニタルトはそのうち、諦めたように力が抜けた。
さらに数分続けていると、自分からも、俺の唇を食べ始めるようになった。
長いこと続けていた俺は、呪文から解けたかのように我に返り、その唇をゆっくりと離す。
ニタルトの目は、うっとりとしていた。
「好きだ」
「順番が逆よ。あなた、ひよこじゃなくて、まるで闘鶏(とうけい)のようね」
「闘鶏 ?」
「そう。闘う鶏よ。レユニオン島で見られるんだって」
「見に行こう」
「闘鶏は、今、見たわ」
ニタルトは、いたずらな瞳で俺に微笑みかけた。声も粘り気があり、いやらしくなっている。
告白は驚くほどあっさりと成功し、俺たちは再び、今度は、スローでメローな、長い口付けを交わしあった。
唇に涎(よだれ)が光るほどの口付けが終わると、俺はニタルトの頭を撫で、優しく王様ベッドに横たわらせる。
これが、ニタルトの肌。
これが、身を許してくれたニタルトの表情。
これが、ニタルトの柔らかさか。
俺は感動した。
世界大会優勝の栄誉と、子供の頃から好きだった女を手に入れる。
人生で一番輝いている瞬間。
今が人生で一番の絶頂だ。
けれども、ニタルトを手に入れたというのに、俺の心は、全てが充足感で満たされているわけではなかった。
百パーセントの満足ではない。心のどこかが、ぽっかりと空洞になっている。
この空洞は何か。
わかっている。
こんな素晴らしい時間に分かりたくはなかったが、でも分かってしまっていた。
先程のウォーカーとの試合が、自分にとって、消化不良だったのだ。
欲情に塗(まみ)れた体とは裏腹に、頭の中を巡るのは、先ほどの試合で見たウォーカーのトリックだ。絶対に勝ったと思った瞬間、自分の予想を飛び越えて、さらに高いところを飛んでいく、黒豹のようなあの肉体の美しさ。
考えないようにしていたが、俺はあの時、完全に心を奪われていた。確かに負けていたのだ。
前戯をしながらも、頭の中ではウォーカーの存在がどんどんと肥大していく。試合終了後からずっとあった、わざと俺に負けたのではないかという疑惑も膨らんでいく。「つま先が引っかかって転倒した」と言っていたが、つま先を上げて段差に足をかけるなんて、基本中の基本だ。習いたての小学生だって失敗はしない。
だが、なんのために負けたのかというと、それがわからない。ウォーカーがニタルトのことを好きだという事実は、疑いようがない。ニタルトも、この前、酒場で話を聞いた感じでは、満更ではないように聞こえた。
もしかして、親友である俺のために、身を引いてくれたのだろうか。いや、それならば、俺のことをよく知らなすぎる。俺は、親友だからこそ、本気で戦いたいと思っていた。勝っても負けてもいい。ただ、本気で戦いたい。俺はそういう男だ。そうに決まっているじゃないか。
けれどもウォーカーは、どこかで、俺の中にある恐怖に気づいてしまったのかもしれない。俺自身も気づかなかった敗北への恐怖を感じて、優しいウォーカーは、ついつい、手心を加えてしまったのではないだろうか。
考えれば考えるほど、頭の中をウォーカーが駆け回る。
「どうしたの ?」
ニタルトが、蕩(とろ)けた瞳で俺を誘(いざな)う。
俺はいつの間にか、ニタルトを弄(まさぐ)る動きを止めてしまっていたようだ。
「感動してたんだ」
俺は慌てて女の喜びそうなセリフを吐き、心の中で頭を振り、そしてもう一度、荒々しくニタルトをベッドに押し倒し、何度も、何度も、全てを忘れようと、何度も激しくキスを繰り返した。