Ep.45 傷 (La blessure)

文字数 1,560文字

 週末の仕事の打ち合わせが終わる。
「コカドリーユだけ、ちょっと残ってくれ」
 ノートPCを閉まって帰り支度をする俺をパジェスが呼び止める。
「俺ですか ?」
「ああ。秘密の仕事の話だ」
 隊長が作戦参謀に残される。珍しくもない光景だ。誰も気にしていない。

 誰もいなくなった会議室で、俺はパジェスが口を開くのを待った。パジェスは重苦しく口を開いた。
「単刀直入に話そう。お前、シャモー(ラクダ)への誕生日プレゼント、何にした ?」
「えっと…」
 たった十分間ですんだ豪邸への侵入。あれがバレたとは思えない。もしかしてパジェスは、俺に鎌(かま)をかけているのでは無いだろうか。
 俺は、何も知らないふりをして答えた。
「白いバラを五十五本贈ろうと思ってます。白いバラは深い尊敬という花言葉があって…」
 パジェスは手で制した。
「俺が何も知らないとでも思っているのか ?」
 パジェスは、まるでゴミクズでも見るかのように冷ややかな目で俺を見た。
「な…」
「お前、俺の言葉を無視して、例の屋敷に忍び込んだろう ?」
「あ…」
 いつもは言い訳をたくさん用意しているが、今回は見つかるとは思っていないので何も用意していない。それくらい完璧な侵入だった。だとすると、ドーラ会ランキング製作委員会か ? 
 俺は、自分がパジェスの命令を無視したにもかかわらず、他の誰かのせいにしたくて必死で出どころを考えた。パジェスは呆れたような顔をしてため息をつく。
「誰かから聞いたわけではない。俺が独自に使っている情報部隊からの連絡だ」
「ということは、俺を追いかけていて…」
 パジェスは驚いた顔をして俺を見た。
「俺はお前を、そんなに信用していないとでも思ったか ?」
 一歩近づいてくる。
「なぁ」
 まるで俺の目を通して、その奥にある脳の中身まで覗(のぞ)かれているような気分になる。
「俺はお前の気持ちがわかるから、危険が分かっていながら、何とか侵入することができないかどうか、あの屋敷についてずっと探っていたんだ。その中で、お前の姿を捉(とら)えた」
「で、でも、絶対に誰にも見つかりませんでしたよ。自信もあります。監視装置も確認していますし、GPSだってついていませんでした」
「それでも俺には見つかった。セロ。お前の知らない方法は、お前の知らない力は、まだまだ世界にはたくさん存在するんだ。俺が見つけたと同様に、相手もその力を持っているとしたらどうするんだ ?」
「どうして…、どうして俺に、そのことを教えてくれないんですか ?」
「お前は一つのことに熱中すると、他に目が入らないクセがある。それは良いでも悪いでもなく、お前のクセだ。直せるものではないし、直しても仕方がない。それを良いところとして使うのが俺の仕事だ」
 俺は、自分が悪いのにも関わらず、癇癪(かんしゃく)を起こした。今まで溜まっていた感情が爆発した。
「パジェスは…、俺のことを子供扱いしすぎだ ! もう俺は何でもできる ! もっと俺に色々なことを教えてくれよ ! もっと俺を信頼して、もっと重要な仕事をさせてくれよ ! 俺はもう、あんたと会った頃のヒヨコじゃない。ウンバロールやあんたを乗せて、空高く飛ぶことができるコカトリスなんだ !」
 後ろめたいという気持ちは左心房の裏側に隠れ、俺の心臓は、ただ赤い憤(いきどお)りでいっぱいになった。
「おい」
 パジェスが俺の腕を押さえる。俺が払うと、パジェスの頬に俺の手が当たってしまう。
 あ…。
 俺は心が混乱しすぎていて何も言えず、ただ自分の荷物を引っ掴み、乱暴に、後ろも振り返らずに会議室を出ていった。

 次の日、パジェスはいつも通りの冷静なパジェスであり、俺はいつも通りの忠実なセロであった。だが心の中は、パジェスの唇の端のように、赤く膨(ふく)れて傷(いた)んでいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み