Ep.72 獅子奮迅 (Lion)

文字数 2,701文字

「どこが…、どこが傷付ける方法がある、だよ」
「ここからです」
 毒ガスの影響が十分は続くというので、動物たちは九階まで避難していた。
 人間は、失敗に懲りると学習をする、もはや、ジャックにただ無謀に向かっていく動物たちは一人もいなかった。
 だが、ジャックは、まるで狩りでもするかの様に、一匹一匹、袋小路に追い詰めては確実に仕留めていく。
「ジャックは、人の体温や鼓動を感知することができるのです。逃げることはできません」
「…チートじゃねーか」
 ゲラルハのつぶやきを聞きながら、俺は日本アニメのことを考えていた。
 最強の勇者が爽快に敵をやっつけていく物語。あれは、敵側からしたらたまったものではない。人間それぞれの努力や思いなんて何の関係もなく、ただ、自分の嫌いな価値観を排除、蹂躙していく世界観。
 こんなものが世界の価値になってしまったら、この世の中は根底から面白い世界ではなくなる。誰もテオやジャックに逆らうことができない。自由な意見なんて、何も言えなくなる。
 これが神の本質、か。
 だから、世界に戦争は、いつまで経っても終わらないんだ。
 俺には、このジャックを倒すという行為が、仇討ち以上に、何か、人間の自由な価値観にとって、重要なことである様な気がしていた。

 九階で数人が殺され、いよいよジャックが十階に上がってくる。
 十分ほど前から、画面が十三より増えなくなった。五十メートルほどの高さの建造物で、上に上がる階段がやや長いところから、『ブラック・ブラッディ・ボックス』は十三階建てなのだろう。
 十一階の映像では、パジェスがライオットと言い争っている。
 ライオットが、自分の拳を胸の前で何度も叩き合わせ、興奮していた。
 パジェスは呆れた顔をして、レンドルフと共に上の階に行く。
 ライオットはその場に留まり、六人の自分直属の部下を通路の影に隠し、自分は階段の見えるこの位置から敵を待ち受ける。
 やがて、ジャックが上がってきた。
「うぉぉぉぉぉぉ」
 声が聞こえなくてもわかる。リオン(ライオン)のライオットは、明らかに吠えている。拳には、ナックルダスター(メリケンサック)をつけて。
 ジャックが完全に十一階にたどり着いた時、ライオットは、ジャックに向かって走り出した。
「無謀だろ…」
 ゲラルハが呟(つぶや)く。ライオットと同じくらいに大きいゲラルハでさえ、これが無謀だということは瞬時にわかる。
 いくら直情的なライオットとはいえ、あまりにも無策すぎる。そりゃ、合理的なパジェスと言い争いをするわけだ。
 だが、ジャックは丸腰のまま、今までとは違って、何の重火器も出さない。
 ライオットは何の小細工もなく、ただ、ジャックの顔をぶん殴りにいった。
 ジャックは、ライオットの拳を自分の肩で受けた。
 ライオットはそのまま、一気呵成(いっきかせい)に攻め立てる。
 巨漢のライオットより、さらに頭ひとつ分ジャックの方が大きいが、体重は同じくらいだ。スーパーヘビー級同士の一戦は、ライオットが一方的に攻撃を重ねていた。
 今まで埃一つつかなかったコートが破けているところを見ると、どうやら攻撃が効いているようだ。
 ジャックの頬も赤く腫れ上がっている。
「なぜ ?」
 拳で殴ることがジャックに対する唯一の攻略法だ、とでもいうのだろうか。だったら、俺よりもゲラルハの方が、ジャック対策に有利かもしれない。もちろん、俺もいざとなったら、金的などの急所を打ち抜いて戦う用意はあるが。
「なぜジャックは、先程までのように銃を出さないんですか ?」
 ウォーカーは、誰もが聞きたかった疑問を言葉にした。キングは答えた。
「ジャックはですね、イギリス人の夢の塊です。つまり、紳士的なのですよ。相手と同じような武器で戦うのが、ジョンブルである彼の誇りなのです」
「同じだけの耐久力だったら、もっと紳士的なのにな」
 またも部屋に笑いを取り戻すにはいたらないが、ウォーカーの呟きに勢いを得て、ゲラルハも尋ねる。
「ライオットの攻撃が効いている様だが、本当に効いてんのか ?」
「ええ。効いています。これが、彼を傷付ける唯一の方法です」
「殴ることが ?」
「いえ。殴ることが、ではありません。彼の拳を見てください」
 ライオットは、拳にナックルダスターをつけている。
「あれか ?」
「ええ。あれです」
「あんな街のチンピラしか使わねぇような武器が、なぜジャックに通じてんだ ?」
「んー。言葉で答えることは難しいのです…。けれども事実として見てください。そういうことです」
 なるほど。
 確かにライオットの攻撃は効いている。
 ライオットはストリート上がりなので、歳をとっていても喧嘩が強い。ジャックの、遅めだが強い左右のぶん回しパンチを華麗に避けている。
 ライオットのカウンターで、ジャックがよろけた。
 瞬間を逃さず、ライオットが追撃に出る。
 上から覆い被さるように撃ち抜く、必殺のチョッピングライト。
 勢いよく右拳を振り下ろす。
 と、吹き飛んだのは、ライオットの顔半分だった。
「あ、あ、あ」
 渾身のアッパーを繰り出したジャックは、バランスを失ったが、すぐに姿勢を取り戻し、真っ直ぐにライオットの前に立つ。
 その胸目掛けて、ライオットは、なおも三発、弱々しく拳を振るった後、顔からジャックの胸に埋もれ、ズルズルと長い血の轍(わだち)を刻んだまま、大きな振動を立てて、地面に倒れ伏した。
 無表情だったジャックは、ここで顔を顰(しか)め、腫(は)れている頬(ほほ)をさすっている。

「おおおおおおお」
「仇討ちだー」
 言葉は聞こえないが、口の動きでわかる。
 六人の部下たちは憤(いきどお)り、一斉にジャックに襲いかかった。
 だが、いかに感情が頂点に達しているとはいえ、戦略もなしにただ突っ込むのはあまりに無謀だ。子供が月を取ってくれと叫んでも、月は自分に降りてきてはくれない。
 ジャックも、しばらくは殴られ蹴られとされるがままだったが、やがて、思い出したかのように、自分に攻撃をしている動物の一人に平手打ちを喰らわせた。
 男は、首が一回転した後で黒い壁にぶつかり、体育座りで壁にもたれた。
 そして、力尽きると同時に、壁を通り抜け、自分の頭の重みで、そのまま壁の中に落ちていった。

「う、う、う、うわーっ」
 いくら怖いもの知らずで鳴るリオン隊も、ただビルから飛び降りるだけのような、無駄な死に対する恐怖には打ち勝てない。
「一度撤退だ」
 リオン隊副隊長の一言で、動物たちは全員逃げていった。
 そして、二十分間逃げ続けた彼らは、他の動物たちと共に、一匹一匹、踏み潰されて黒い壁の中に消えた。
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