第47話 本当のこと

文字数 1,077文字

「今、わたしはこのように死んでいます。ホラ、死んでるでしょ。ね?」と、明らかな実証をもって描けるノンフィクション小説があったなら、それは聖書を凌ぐ大ベストセラーになるだろう。
 だが、それは誰にも書けない。死んでも書けない。で、生きているうちに想像力を飛ばし、せいぜい死後の世界を書く。といっても、生きている世界から離れることはない。まったく、死後の世界というのは、どんなものだろう。

 そしてそんなことを考えても仕方がないのだ。しかし、そうして考えることも仕方ないのだ。分からない、知らないことは、想像力使って考えるしかない。人の気持ちを、考えることが多い。だが、その人の気持ちを考える時、ぼくはほんとうに「知りたい」のだろうか。好きな、気になって仕方ない異性の「ほんとうの気持ちを知りたい」とする時、ぼくはほんとうに知りたがっているのだろうか。

 それはただ知りたいというより、「希望」が、知りたいとさせている。自分では、純粋に知りたいと思っているつうもりでも、その「純」には、ずいぶん不純物が混ざっている。希望という、不純物。
 ぼくは、どこまでも単純でありたいようだ。「これ」といったら、「これ」だけが「これ」であって、「これ」に「あれ」が入っては、もう、いけない。人間が、小さい。容量など、0.01バイトもない。

「これ」だけで、それが成り立っているはずがないのに。あれも、これも、その他いろんなものが、混ぜ合わさって、ひとつのものが出来上がっているというのに。
「本当に」というのがまず分からない。嘘なら、よく分かるのに、本当にになると、よく分からなくなるのは、不思議なことだ。

〈 もしかして、ホントのことは、ウソからしか生まれないのかな 〉

 もし、「私が本当です」という「本当さん」がいらっしゃったら、かなり孤独な、孤立した存在であるだろう。さぞ、心細いだろう。
 死と生を、考えてみよれば、どっちも、きっと本当である。そして、だから、本当でもないのである。死は、死んだ本人には認知できない。生は、生きている本人には認められても、他の人のいない部屋では、誰も彼が生きていることを知らない。
 死は、まわりにとっての本当であり、本人にとっては本当のことではない。
 とすると、人の気持ちを考えることは、自分の死を考えることに似ていなくもない。「分からない」、ああ、「未来」。気持ちも、死も、未来のことなのか。そういえば、気持ちは常に、先へ先へ、進んでいるように思われる。肉体は、現在、今にしかあらないのに、気持ち、頭の中は、常に未来、未来へ、進んでいるようだ。
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