第107話 認識の時間を経て

文字数 803文字

 エッセイ、日記、ブログ。およそ自分の半径1.5mを中心にした、日常生活。それを顧みる回顧録。
 僕は、ずっとこの作業をしてきたようだ。蛇がとぐろを巻くように、自分の過去の尻尾を追い、腹づたいを舐め、この内部はどうなっているんだろう?と、内視鏡をあてがい、自己分析めいた作業に多くの時間を費やしてきたようだ。
 これは、認識、確認をするためだった、と言える。存在だとか、精神は、とか、いろんな言葉を使ったけれども、何てことはない。こうして生きてきました、こうして生きていますという、その小さな発露にすぎなかったということ。
 でも、よくやって来ました、と、自分に甘く、過ぎた時間を微笑んで送ろう。

 正直なところ、椎名麟三とモンテーニュ。このふたりのエッセイが、とても面白かった。で、もともと何か書きたかった自分として、この手口で書いてゆこう、として始めたのが投稿サイト。
 僕の中で、自分を省みる、ひとり冒険作業は、今のところお腹いっぱい、という感じです。いや、お腹を減らしたい、と思う。飢えたいと思う。もっともっと腹をすかせて、つまりは創作、僕にとっての現実を、比喩の形で表して行ければ、と。
 今まで書いてきた現実、あるいは頭の中にしても、言葉にすれば、それは比喩でした。変換に、四苦八苦。同じエネルギー、時間を費やすならば、この自分から離れて、少し離れた場所から、この変換作業をやって行きたい、と。

 自分に捕われすぎていたなぁ、と自省。
 何にしても、捕らわれるのだけれど。

「転ばぬ先の杖」ならぬ「転んだ後も、杖を」は、転び続けて70話、これにて完結。完結? ただ、この連載が終わるだけですが。
 テーマを決めて、このような乱雑な「言いっ放し」の連続はやめて、ひとつのテーマに沿った階梯で、これからも転んで行ければと思います。
 どうもありがとうございました。(とか言って、またエッセイを書いていたら、ごめんなさい)
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