第11話 100年ひと昔

文字数 1,011文字

 中国思想史を読んでいると、200~300年おきに、歴史が繰り返されていることが分かる。
 儒家思想、老荘思想、法家の思想(これは思想というより統治・管理だが)…
 思想、考えは、人の行動の根拠を為す重要な部分だから、その「考え方」が如何な世を創造するか、に、必然繋がっていく。

 そう考えると、この国(日本)には、思想、哲学というものが無い。少なくとも、「思想史」のような歴史はない。あるのはすべて輸入モノか、政治家どもが「~主義」と言うくらいで、国をつくる民ひとりひとりには、何の思想も哲学も無い。「自分で考えること」ができないのだ。
「アイデンティティーがない国民」と言う人もある。
 こんなことを書いている自分が、何も考えていないも同然だから、この眼に、そう映るのだろうけれど。

 人様に主張できる思想なんて、どうせ持ち合わせていないのだから、ただ漠然と心に浮かぶこと、底に沈んでいるものなどを掬って、書いている。
 大体、いつも、何か書きたいと思っている。そして結局、自分のことを書くことになる。他に「確か」なものが、何も見当たらないから。
 
 この自分がいなくなっても、地球も世界もあり続ける。でも、まずこの自分がいなければ、この世界もない。
 自分から始まるのが、人との関係であり、この世界との関わりであり、それが自分にとっての世界のぜんぶなのだ。その接触、空気の感じから、あることないことを、書きたいだけ。

 過去のことは、よく思い出す。
 陽の当たる縁側で、暗い茶の間の掘り炬燵で、お祖母ちゃんや母がいて、父も兄もいて、自分が子どもだった頃が、ついこないだのように思い出される。
 現在住んでいるこの家を買ったのも、この家が、どこか懐かしかったからだ。
 庭があって、父はよく庭仕事をしていた。母は生け花の先生をしていたから、花が好きだった。そんな実家の日常を、自分がここで再現したいような気もした。それだけ古い家で、安値だった現実もあった。
 環境は、お金で買えない。目の前の小さな川には、サギが指揮者のようにじっと立っていたり、庭木にメジロがとまって、花の蜜を一生懸命吸っている。そんな時、心が妙に暖かくなる。否応なしに、やすらぎを覚える。

「生きるって、未来が少なくなることだよね」そんなことを言っていた友人のことも思い出す。

 ─ ・──────
 ↑ ↑   ↑
 未 現   過
 来 在   去   

 どうしようもない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み