第19話 庭先

文字数 997文字

 夏の午後。一軒家のひなびた縁側。
 ふたりの男が足を投げだして喋っている。

「死を忘れること、厭うことは、生まれ故郷を忘れ、今ある生を厭うことになるのではないか」
「荘周さん、そんなこと言われても、多くの人はそんなこと考えませんよ。某ウイルスも流行ってることですし、生きることばかりが一層尊ばれます。絶望の哲学、生と死は同じだなんて、誰も聞く耳持ちませんよ」

「じゃあ、こんなのはどうだ。死の場所が、住み慣れた家であることは望ましい。どんな病気であれ、病院のベッドよりも、勝手知ったる場所で、親しい人間ひとりだけにでも看取られれば、幸福な人生だったと言えるのではないか」

「それもダメです。某ウイルスの場合、看取る人にも感染し、その人も死んでしまう可能性があるからです。もっとも、病院に拒否され、自宅療養する場合が多くなっていますが…」

「わしの友達のモンテーニュは、〈死ぬ時はひとりでありたい。人に見られながらなんて、いやだ〉と言っていたよ。苦痛にゆがむ顔や、呻き声なんか、聞かせられる方も苦しかろう。永遠の別れだとか言ったって、忘れられない限り、その人は心に生き続けるよ」

「そんなふうには、なかなか思えませんよ。せめて、最後のお顔くらい、見たい、って、願うのが人情でしょう」
「つらい時代だな」
「そうなんです」
「哲学なんか、何の役にも立ちそうにないな」
「生活するだけで、大変ですからね」

「大変だと思うのは、どこで思うのかね?」
「どこでって…頭とか、気持ちですよ」
「その頭とか気持ちを、楽にさせるのが哲学なんだが」
「ムリです。考えることって、疲れますでしょ。ただでさえ、ほんとに大変なんですから」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「現実に役に立たないものには、用がない?」
「役に立つものだけ、求めてますから」

「ところで、お前さんの布団は、寝心地がいいかね?」
「いいですよ」
「その布団は、お前さんの身体より大きいかね小さいかね、それともピッタリかね?」
「(笑)小さかったらハミ出しますし、ピッタリだったら身動きがとれません」
「それと同じだよ。直接、お前さんの身体に触れない、無用の場所があって、お前さんはぬくぬく眠っていられるのだ。では、無用の用が必要だと、ほんとうに迫られた時代に、また現れるよ」

 荘周、ふっと消える。

「あれ、荘周さん? 荘周さん? いない。いなくなったら、いなくなったで、淋しくなるものだな…」
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