第96話 政治とヒト

文字数 1,491文字

 昨日、銭湯に行って、湯上りに外の喫煙所でタバコを吸っていると、やはり湯上りの老婆が少し距離を置いて座り、ああ気持ちがいい、と独り言を言った。
 正確には、そこは灰皿が立っていて、横にベンチが並び、タバコを吸う者も吸わぬ者も、誰でも座れる場所である。老婆といってもお元気で、お若く見えた。独り言というより、こちらをチラと見ながらの「ああ気持ちがいい」だったので、ちょっと躊躇したけれど、「だいぶ涼しくなりましたねえ」とぼくも少し笑って相槌を打った。

 そこから、2、30分、昔話を聞くことになった。
 鹿児島で幼年期を過ごし、海が満潮になって荒れ、近所の子どもが波にさらわれたりしたこと、戦地から返ってきた父に、どんなだったかと訊くと、お前らは知らんでいい! と厳しく怒られたこと、兵隊に行って帰還した者には国からお金が支給されたが、父は、死んだ者の家族にやってくれ、こんな金いらん、命があるだけでええ、ということを言って拒否したこと…

 広島に原爆が落とされた時のことや、先日、市議会議員と市民の交流する場所に参加し、軍事費に6兆円も掛けるより、武器なんか作るから戦争が起きるわけで、そんなもんにお金かけるより、医療や暮らしに使うようにせよ、というようなことを言ったそうだった。
 まあ、とにかくお元気で、しっかりしたおばあちゃんだった。
 印象的だったのは、「何だかギスギスしてるわよね、変な事件も多いし」といった言葉で、要約すれば、昔はみんな貧乏で、それでも助け合って、生きてきた、そうして歳をとったが、当時の行政は何もせず、今も何をしているのだ、ということを市議会議員に言いたかったらしい。

 ぼくは、その議員と市民の交流の場を想像した。このおばあちゃんの訴えは、おそらく聞き流されることだろう、はい、意見を聞きました、で終わるだろう。
「長いものには巻かれろ」という言葉があるけれど、(まつりごと)自体が「長いもの」の上で成り立っている世界にみえる。「下々」と「上様」は、同じ会館の一室に座っていても、まるで別世界に住む人間のようだろう。
 2、30分、時間を共にして、ぼくはおばあちゃんの行政への訴えよりも、しっかり生きていらっしゃった、それまでの昔話のほうが、申し訳ないが、まっすぐ、聞けた。
「どうもありがとうございました」「こちらこそ」、おばあちゃんと別れる。

 へたに物が豊かになったり、昔ほど貧乏でなくなったとしても、要するに心が貧しくなっている── 物やお金が悪いわけでない。それを使いこなせない、逆に、それらに使いこなされ、支配されている感じ。ギスギスさの根っ子を探れば、人間が人間以外のものに隷属している、人間主体の「社会」が、人間以外の主体によって成り立っている…そんなタネも見えたりした。

「お母ちゃん、日本が戦争に負けたよ!」ラジオ放送を聞いた子どもが叫ぶ。「そうかい」母は井戸端で汗をかいて洗濯物に勤しんでいる。近所の人たちも、暗然と立ち尽くしている。
「負けたんだよう、戦争に!」もう一度、子どもが叫ぶ。だが、母は、「うるさいねえ、そんなことより、芋を掘りな!」そんな描写のある小説を読んだことがある。
 ぼくはその井戸端の母に、ほんとうの力を感じる。

 道を歩けば、選挙に立候補する人たちの、顔写真の貼られる立て看板。
 誰がなったって…と思う。
 けれど、悪いことをしても、堂々と居直る、アベノマスクやら、わけのわからない日本語を駆使してきた、「自由民主党」とかいう名ばかり綺麗なところ、与党と呼ばれる所には投票しないようにしようとは思う。といって、ほかにどこに、だが、とにかくほかへ。
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