第33話 町を歩けば

文字数 1,589文字

 人がいる。
 奈良に住んで10年。気づけば、実家で24年過ごした記録に次ぐ、長期滞在の町になった。いつか銭湯で、「引っ越しばかりして来て」と、よく湯船で話し合う老人に話したら、「逃げまくりの人生やったな」とか言われ、彼はおチャラけたように舌を出した。「うん、逃げまくり」でした」と、ぼくも笑って答えた。
 逃げまくり。何から逃げて来たんだろう。よく、考える。仕事? 人間関係? 飽きっぽい? …理由をつければ、いくらでもありそうだ。ただ言えるのは、どうしようもなく、そうなって行った、ということ。

 どうでもいいが、少し振り返る。東京は板橋に生まれ…小田急線は登戸駅、多摩川のそばで結婚生活をし…岐阜県の土岐市駅近くの社宅に住み…埼玉は川角駅から徒歩20分の一軒家を借り…千葉の柏に住み、ひとり愛知は渥美半島へ出稼ぎに行き、寮に住み…離婚後、やはり愛知は豊橋で誰かと一緒に住み始め…また何か出逢いがあって、奈良に来た。

 ここにいて、良かったも悪かったもない。すべてが必然の流れのようでもあり、単なる物の弾みのようでもあった。人と、場所、時間と自分に、流れ流され、わけのわからぬうちに、こうなった。そして今も、わけがわからぬ。
 この「わからぬ」が、逃げなのだ、とは思う。

 何のビジョンもなく、具体的に、建設的に、何をどうしよう、こうしようと、たいした決意も覚悟もせず、その場その場の、自分でつくったような窮地を、どうしようどうしようとして来た、というのが精一杯の言い訳だ。
 決められたことをするのが基本的に好きでなく、といって自分で何か決めて、何かをずっと続ける継続力・持続力もなく、要するに無能な、トシとメシだけは食ってきた、それだけの男といえる。

 何か、世のタメにしたようなこともあったらしいが、だからなんだという話である。まったく、どうしようもなかった、として言いようがない。
 前向きな意味での「さぁ、どうしよう」で、人生に向かった試しが、ない。文字通り、「どうしよう」と路頭に迷う子どものように、手もなくひとりで切羽詰まってきただけである。「悔いよ、悔いて改めよ」と言われても、いつから悔いればいいのか、見当もつかない。まして、改めるなど、今さらできそうにない。

 生まれてきたことは、べつに悔いていない。悔いる余地もない。むしろ、ほんとうにありがたい思いでいっぱいだ。問題は、このありがたさを、どうにもできないところにある。
 ただ、感じているだけでいいいのだろうか。

 庭では、昨日カエルの鳴き声がした。可愛いメジロも、よく来てくれる。ロウバイの黄色、椿の赤……町に出るには、家が川沿いにあるので、土手を歩くことになる。カモが、何羽か、泳いだりしている。桜の木が、春の準備をしている気配がする。
 家が立ち並び、この中にもいろんな人がいるんだろうなと思う。生活をしているんだろうなと思う。奈良の人は、あまり挨拶をしないらしいので、顔を合わせたくないなと思う。

 商店街へ入れば、もう知らない人ばかりで、気軽になる。自分も、まるで知らない人の仲間に入れたような…
 ただ、人とすれ違うのに気を使う。足が短いのは仕方ないが、ジーパンはみっともなくないだろうか、とか自意識もする。
 昨日は、ラジオの天気予報が、「今日は暖かく、何をしても気持ちの良い日になるでしょう」と言っていた。
 何をしても気持ちの良い日! ほんとに昨日は、その通りだった。嬉々として掃除洗濯、布団も干せ、町にも身軽に行った。今日は一転、冬に戻って、曇天模様。ほとんど何もしていない。

 まだ分からないが、銭湯には、行こうと思う。町を歩いて、いろんな人とすれ違って、裸になって湯に浸かり、また服を着て歩くのだ。
 歩くこと、スーパーマーケットに行くこと、銭湯に行くこと。これが、私の唯一の「社会参加」であるような気がしている。
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