第97話 「ツァラトゥストラ」

文字数 815文字

 これは、読む者をその気にさせる本だ。ゆっくり、吟味しながら読む。ワンセンテンスも短く、短文の中に、じわじわと効いてくる文字が散りばめられ。
「否、否、三たび、否!」と叫ぶツァラトゥストラには、心底から笑いが湧く。
 この「超人思想」は、超えてゆくこと、おのれの壁、並んだドミノのように障害がめんめんと連なるとしても、超えてゆくこと、超え続けることに、無限の意味がある。

 その冒頭、出だしで、物語の運命はすでに暗示されていた。
 綱渡り。ひとりの道化師が綱を渡っている、しかし後方から、もう一人、道化師が。
 おぼつかぬ足取りで前を行く道化師に、後方からの道化師が、「邪魔だ、どけ!」という。業を煮やし、ついに彼は前方を行く道化師を飛び越えた。驚き、動揺した先駆の道化師は、落下して死んだ。

 神は死んだ。ニーチェの超人思想の、産声がここにあがった。
「神は人間に同情し、死んだのだ」という。だから同情など、するべきではない。そんなものは美徳でも何でもない。
 およそこの世で賢者と呼ばれるもの、神がかりし者は、その時点ですでに民衆に迎合している。先を行く、導き者ではない。民衆に認められるものにすぎなかったのだ。
 そのようなものを、私は求めない。私の兄弟たちよ、私たちは、もっと高みへ行こう──ツァラトゥストラは言う、神は死んだのだ。私たちは、私たちが超人になるのだ。おのれを、おのれが超えてゆくのだ。

 そのニーチェが、晩年、最も尊敬した人物は、かの仏教の祖、ゴータマ・シッダールタであった。
「ブッダを、ニーチェは尊敬していたらしいよ」ぼくが家人に言うと、「神は死んだのに?」と言う。「ホトケは、まだ死んでいないんだろう」と言って、笑った。
 三島、大江、漱石、太宰…多くの文人が、日本でも影響を受けただろう。
 創造とは何か。
 ニーチェは、人をその気にさせる。
「否、否、三たび、否!」そしてすすめる、超えてゆけ、それを、超えてゆけ、そこを、と。
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