第95話 音

文字数 1,424文字

 家の裏庭に面している、無人の家、廃屋化した家が、何やら取り壊されそうな気配をみせている。昨日から、業者らしき人が二、三人来て、家の中の物をトラックへ投げ入れていた。けっこう、うるさい。
 その家の駐車場を挟んだ向かいの家からは、ワンワン、キャンキャンと犬の声。
 表の庭からは、土手に生い茂った猫じゃらしや雑草を、草刈り機でブーブー刈る音。
 夜は夜で、はす向かいのマンションの二階から、窓を開けて何やら話し合う男たちの声。夜の11時を過ぎても、響いてきた。
 午前0時近くには、ばんばんばん、と、やはり裏庭に面した一軒家から、何かを叩く音が響いてくる。連日続くこともあれば、たまにの時もある。洗濯物関係だと思うが、これもうるさい。

 これらの「音」に対する、ぼくの内心事情を話してみよう。
 廃屋の解体作業は、やむをえまい。30年以上は放置されていたようだし、いつかはこうなる。ただ、実際に壊す作業に入ったら、と考えると、憂鬱になる。そしてその先、何ができるのか?その土地はやたら広い。マンションか駐車場か、一軒家は考えにくい…などと想像すると、憂鬱になる。
「それが実際に行われるより、それまでの考える時間に苦労がある」を地でいっている。

 犬は好きだが、鳴いても怒らない飼い主は好きでない。しかし、犬の寿命はきっと短いだろう、と、少し残酷なことを思う。たぶん、永遠に続くこともない、と考えられる。
 草刈り機は、仕方がない。しかし、家の前の土手沿いの草を刈らなかったのは、どうしたわけだろう。いつも、刈られていたのに。仕方なく、カマを持って自分で刈った。

 マンションの二階は、あまり品のない男が住んでいるようだ。ひとりでいる時はおとなしいのに、誰かが来ると気が大きくなって、人の迷惑を顧みない感じがする。関わり合うこともない。
 はす向かいの、ばんばんばんは、謎である。なぜ深夜に叩かなければならないのか? 引っ越しの挨拶に行った時、ちょっと世の中をバカにしているようなおばあさんが出てきた。この家の犬も、夜中の1時ぐらいによく吠える。駐車場や土地を持っていて、自動販売機もあり、お金持ちだろうけれど、あまり関わりたくない。どこか、不幸そうにもみえる。

 しかし音は、関わりたくないにも関わらず、聞こえてきてしまうもの。夜、ぼくは10時ぐらいには寝床に入って、本を読む。眠くなって寝ようとするが、あのばんばんばんに起こされるのかな、などと想像すると、眠れなくなったりする。
 が、なるべく、音の主を恨まないようにしている。一時期、念力でも送って、腕を捻じ曲げてやろうかと思ったが(ジョジョのスタンドみたいに)、効果もないし、やめた。今は読みたい本もあり、眠れなくなったら本を読むことにしている。ニーチェの「ツァラトゥストラ」。睡眠よりも、大切なものに思える。血となり肉となる、この読書。

 ぼくも、何か音を出して、迷惑をかけているかもしれない。家が、寒暖差があると、朝や夜に「バキッ」とか「ビシッ」とか、たまに「家鳴り」を起こすのだ。築40年を過ぎた木造で、木が伸び縮みするらしい。これはぼくが発している音ではないが、その所有者であるぼくの責任でもある。最近はなくなったけれど、その代償を払っているのかもしれない。
 聞きたくない時に、聞きたくない音が聞こえるのは、不快なものだ。不快を、不快と思わぬよう、努力だけはしている。快適な住処など、なかなか、ないものだから。
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