第28話 投稿サイトの出逢い

文字数 1,373文字

 その「なろう」で、よくコメントをくれた Jさんとは、今もたまーに、やりとりしている。ぼくはもう退会したけれど、この Jさんと知り合えただけでも、よかったと思う。
 Jさんはぼくより20歳以上年下だ。でも、人づきあいに年齢は関係ないなと、つくづく思う。
 その Jさんは、ぼくが「かなり自分に近い気持ちを表現できた」文章に、きまってコメントをくれた。しかも、そういう文ほど、ほとんど誰にも読まれなかったのに。上から目線でなく、その感性のようなものに驚いた。そして正直な感想を書いてくれるのだった。
 まだ会ったことはないが、けっこうやりとりをしていたので、いつ会っても違和感がないと思う。たぶんコロナ騒動が落ち着いたら、実際に会うと思う。

 ブログをやっていた時に今の家人と出逢ったし、絵を描く友達とも出会えた。
 働いていた時も、友達と呼べるような人と出会えたのは稀だった。何か根本的なところ、個人個人、ひとりひとりの人どうしとして、何か決定的に共鳴し合えるようなものを持っている者どうしでないと、なかなか親しい友達になれない。
 男と女になると、男どうしとは違う、別の何かが作用する感じがする。男女は決定的に何かが違っているのだと思う。それでも、いや、それだから、愛し合ったり結婚したりする。もちろん男どうしだって愛し合える。同棲だってできる。でも、やっぱり男と女は何かがほんとに違うんだな…

 さて、Jさんとぼくの共鳴点。「生きる」ということに対して、抱いている気持ちに、その引力を感じる。「なぜ存在しているのか・なぜ生きているのか」といったような、「考えても仕方のないこと」を考えてしまう性質のようなところ。
「なぜ生きているのか」を考える人の情況を想像するに、病気で余命が限られているとか、経済的に切迫しているとか、自分自身に何らかの越え難い壁があることが想像される。でも、それは目に見える、分かり易い壁だ。

 ぼくは自分の精神に壁があると思っている。で、わけのわからないことをウダウダ書いていて、それでもホントウらしい気持ちはあって、その気持ちに近いものを言葉に表せた時、きまってJさんがコメントをくれた、ということ。

 彼もいろいろ書いていて、ぼくもよくコメントを入れさせてもらった。そしていつも丁寧に返信をくれた。ぼくは年来の友達にメールとかする時も、ひどく言葉を選んで、ひどく時間がかかるのに、Jさんに対しては全く時間がかからなかった。思ったことを、そのまま書けるのだ。だから長い返信を送ってしまったこともあったが、それでもとにかく仲良くなれた。
 実際に会っても、こんなふうでありたい。いや、こうあるだろう。Jさんも、どうぞそのままでいて下さい。

 話は変わるが、自分の生き方、心掛けのようなものによって、出逢う人も変わってくるように思う。
 自分が荒んだ心でいる時、なげやりな毎日を送っている時は、そのような人と町でよくスレ違う気がする。そんな時、あ、オレ、心、荒んでる、と気づいたりする。
 人と人の間には、月と地球のような引力が、引っ張り合い、引きつけ合うものがある気がする。人との関係は、宇宙のような気がする。
 こんな自分でも、自分の中の芯に近いものが言葉にできて、それに反応してくれた人が善き人であったなら、ぼくはまだ大丈夫だという気になれる。
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