第43話 スーパーマーケット

文字数 1,262文字

 どうして自分は堂々とできないのだろう。
 基本的に「ひきこもり」の生活をしていると、社会との接点はスーパーマーケットと銭湯になる。銭湯は、そんなに気にすることもない。人と、関わることもなく、黙々と、自分の身体をいたわるために行く。
 だが、スーパーは、そうはいかない。ほとんど毎日、買い物に行くし(一応、主夫なのだ)、近所のスーパーは店員もいつも同じ、2,3人がいる。

「この人は、結婚もしてないのだろうか」「会社員でもなさそうだ」「ひとりで、何してるんだろう」ああ、レジの人は、何も、そんなこと、考えまい。ぼくの、きっと、妄想なのだ。いや、たとえ、何と思われようが、構わないではないか。チャンとジーパンもはいているし、おかしな格好もしていない。
 けれど、やはりレジは緊張する。いつも、少し年配の女性であるからかもしれない。男性であったら、そんな、気にすることも、ないかもしれない。

 また、ぼくの家は川の土手沿いにあるのだが(幅5、6mの小さな川だ。だが、激しい雨が降ると、もう、ちょっとした大川になって、海のようにザバンザバン波打って流れる)、その向こう土手、つまり対岸に、やはり家があるのだ。土手沿いに庭があって、主婦が、家庭菜園をしている姿をよく見かける。ぼくの家の玄関は土手沿いにあって、つまり、こちらが外に行く時、こちらも姿を見られることになる。
 対岸どうしだし、挨拶を交わしたことはない。お隣りさんやご近所だったら、もちろん挨拶をするが、対岸なのだし、いいのかなと、先方も思っていると思う。

 だが、やはり意識はしてしまう。これから、仕事に行くんですよ、というようなふりをしたくなる。こちらが玄関を出て、あちらがさっさと家へ戻ろうとする時など、偶然であるのだろうとしても、自分が家を出なければ、よかった、と思ってしまう。
 また、土手沿いから公道に出る曲がり角のところに、一軒、家があって、そこは私が世話になった整体師の、妹さんと旦那さんの家なのだ。ばったり出くわせば、もちろん挨拶をするけれど、土手には街灯がなく、公道も夜は、さほど明るくない。暗い中で、こんばんわ、というのも気が引ける。旦那さんが、車の中にいる時など、どうしようかと思う。いつかは、家に帰る時、自分が不審者と思われるんじゃないかと、不安になって、旦那さんの車のライトが消灯するまで、曲がり角のところに行けず、そこらを散歩してしまった時もあった。

 それもこれも、「自分が働いていない、不就労者である」自意識から来る、「堂々と出来なさ」なのだ。
 主夫といっても、炊事も掃除も、きっといい加減である。洗濯など、家人のジーパンに、いつもシワをつけてしまう。「のばして干す」技術がない。気をつけているのに、ダメである。Tシャツも、近所迷惑を恐れて、パンパンしなかったために、先日、しわくちゃにしてしまった。

 自縄自縛。自分で、自分を、あいかわらず、苦しめているようだ。漱石の、「考え、ものを書く人間は、けっして怠け者ではない」が、唯一の救いのようになっている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み