第85話 道

文字数 1,112文字

 10月になったのに、暑い日が続く。
 昨日のこと、日傘をさして歩いている婦人の後ろ姿を見た。だが、彼女は杖をついて歩いている。その道は交通量も少なくない。歩行帯を示す薄れた白い線は、あってないようなもの。車道が狭いから、対向車が行き違う際など、平気で歩行帯へ車は入って来る。
 日傘の婦人は、その杖を前方に差し出しながら、探るように歩いている。
「あ、目が…」僕は思わず、口に手をあてた。その歩く道には、フタのない側溝がある。電柱もある。何より、車が危ない、日傘に引っ掛かって、倒れたりしかねない。
 しかし、彼女は杖で探り探りながら、自分の力で歩いているのだ。

 スーパーに行く途中だった僕は、声も掛けず、ただ車道を隔てた道沿いに、彼女を見つつ、歩くことにした。不審人物、ストーカーになりそうだったが、これは仕方ない。
 やがて道はバス通りの大きな交差点にさしかかる。横断歩道の信号は赤だった。彼女は、立ち止まる。青になり、ピッポー、ピッポー、と信号機が音を鳴らすと、彼女はしゃんしゃん歩き始め、そのまま真っ直ぐ行く。
 あ、大丈夫だ、と思った僕は、スーパーに行くために左へ曲がろうとした。だが、ほんとうに大丈夫か。真っ直ぐ行った先は、また道が狭くなって交通量も多い。

 思い直して、再び道路を隔てて彼女を見守る?ようにその道へ戻った。歩くのが早い。もうずいぶん離れている。そして彼女は右へ曲がり、姿が見えなくなった。
 その道の右は、駐車場であった。何軒か、家も建ち並んでいる。あ、無事にどこかへ着いたんだ、思った。
 ホッとした後、すごいなぁ、と思った。自分も、少し目をつむって歩いてみたが、10歩も行かないうちに、不安でたまらなくなった。

 先日も、ドラッグストアでレジ待ちの行列にいた時、右斜め前方で、腰の曲がった老婆がチャリンとお金を落とした。下を向いたら、財布からまた1枚、チャリンと硬貨が落ちた。手押し車の死角になって、2枚の硬貨がどこにあるのか分からない様子。僕が拾いに行って手を伸ばすと、「ああ、そこにあったか、大丈夫大丈夫」みたいなことだった。そして自分でチャンと拾っていた。

 昨日の杖の婦人は、その杖を自分の目のようにして、しっかり歩いていた。老婆は、自分でチャンと落としたお金を拾えていた。時間は、「健常者」より、掛かるかもしれない。
 けれど、時間が少し掛かるだけなのだ。「健常者」から見れば、不自由そうに見える。でも、そんな、大丈夫なんだと思った。できることができる、自分で、できることができる。
 杖があれば歩ける。手押し車があれば歩ける。杖も手押し車もないけれど、二本足だけで歩いている僕と、何が違うだろうと思う。
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