10 恣意的でも、できるだけ不協和の少なそうな

文字数 2,890文字

 神束はこれだけ言うと、パイプ椅子に腰を下ろした。手元のノートに目を落として、何やら読み返している。こいつは結論を言う時、あっさり終わらすのが癖らしい。
 確かに、形だけみれば答にはなっている。予言と現実が一致したのは偶然か、偶然ではないかのどちらかだ。偶然の一致を否定するなら、現実から予言が作られたか、予言から現実が作られたか、あるいは両者に共通の原因があるのか、三つに一つだ。それはそのとおりだろう。が、その先にでた答の意味が、さっぱりわからない。
「神束さん、それでは話の筋が見えません」
 おれが思っていたのと同じ疑問を、宇津井が口にした。
「鹿村夫妻は乃亜という名前を早くから考えていた。それを村上に教えたから、彼はあの絵を描くことができた。こういうことですよね。しかし、なぜそんなことをしたんです? 夫妻は村上との面識はないと言っていますし、乃亜が生まれた時には、北海道で暮らしていました。村上にしても、ストーカー行為を起こすまでは、鹿村一家となんの関係もなく過ごしていたように見えます。夫妻はどのような理由で、大切な子供の名前を、見ず知らずの小学生に伝えたんですか」
「ここからはモデルの解釈になって、蓋然性が混じってくるんですが……まあいいか。警部さん、あなたは大事なところを抜かしましたよ。村上は絵を描いただけじゃない。『乃亜を幸せにする』と宣言してるんです」
 神束がおだやかに指摘した。
「名前の情報源も鹿村『夫妻』とは限りません。夫だけでも、妻だけでもいいんです。面識がないと言ったらしいけど、名前を教えたのならその証言の方が、嘘になります。まあ厳密に言えば、名前を伝えたのは、夫妻とは限りません。たとえば、考えた名前を夫妻が友人に話し、それが村上まで伝わった、と考えてもいいんですが」
「他人の、生まれてもいない子供の名前をか? そんなことあるのかな」
 神束は即座に、おれの反論を受け入れた。
「はい。実は私も、間接的に伝わったとは思いません。それが常識的な判断ですし、『幸せにする』宣言も、直接聞いたと考える方がしっくりきますよね。ではここで、今までの推理を並べてみましょう。

 乃亜の名前は鹿村から村上へ、何らかの経路で伝達された。
 名前が間接的な経路で伝わったとは考えにくい。したがって、それは当人同士の、直接的な経路で伝達された。
 しかし鹿村は村上との面識を否定しており、村上も黙秘して語らない。つまりこの関係は、隠しておきたい種類のものだった。
 村上は乃亜に対する愛情を宣言し、現在までその愛情を持ち続けている。これが真の愛情と呼べるものかなんて議論は、この際関係ありません。
 その宣言は、夢子の妊娠期間中になされている。
 村上は可愛い感じの、少し人見知りだが明るい性格の子供だった。しかし小学校卒業後、つまり宣言の後は、根暗な青年になった。
 鹿村は夫婦で相談して名前を決めたと言っているが、妻の両親から字をもらっているのだから、主導したのは夢子と考えられる。これも常識的な推定ですね。すると出産前に名前の案を考えていたのは夢子で、したがって名前を伝えたのも夢子である可能性が高い」
「神束さん、もしかしたら、あなたがおっしゃっているのは──」
「ちょっと恣意的だったかな? だから解釈って嫌いなんですよ。でもまあ、このあたりはモデルから出るものじゃないから、恣意が入ってくるのは仕方がありません。私は、乃亜は村上の子供ではないかと思ってるんです」

「──否定的な結論というのも大事ですよね。まず対象を名前の一致に限り、その上で偶然の一致が否定されたら、後はほとんど一本道なんですから」
 神束が何か話している。おれは当時の年齢を計算してみた。十二年前なら、鹿村夢子は二十四才。村上は十二才にしかならない。
「しかし、相手は十二の子供だぜ。そんなことが──」
「二十四の男が小学五年生をストーカーしてもおかしくないなら、二十四の女が六年生と関係を持つのも、おかしくはないでしょ」
 神束は簡潔に切って捨てた。
「話の筋、というのを作ってみましょうか。恣意的だけど、できるだけ不協和の少なそうなものを。
 その当時、村上と夢子は性的な関係を持っていました。何がきっかけかはわからないけど、勝由が少年サッカーの監督をしていたから、そのあたりかもしれません。夢子が夫の手伝いで、村上は友達の応援にでも来ていたのかもしれませんね。そこらへんは想像するしかありません。ただその結果だけを言えば、夢子の妊娠でした。
 もちろん、衝撃的な出来事だったでしょう。村上は何を思ったんでしょうね。悪いことをした、というのは子供心にもわかったろうけど、本当の意味は理解していなかったかもしれません。もしかしたら、愛する人と赤ん坊の三人で暮らすなんて夢を、心に描いていたかもしれません。なにしろ、まだ小学生だったんですから。
 しかし夢子にとっては、どうすべきかは明らかでした。なにしろ自分は人妻で、相手は小学生です。世間が許すはずがありません。周囲から猛烈な非難を浴びるのは確実で、警察に逮捕される可能性だってある。夫と別れれば、経済的にも行き詰まるでしょう。つまりこの関係は、いずれ精算すべきものだったんです。そこで彼女は、これを機会に村上との関係を絶つことにしました。そして夫と共に北海道へ転勤し、夫の子供として、乃亜を産んだんです」







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 「感染している人の中で、どのくらいの割合を陽性と判定できるか」を「感度」、「感染していない人の中で、どのくらいの割合を陰性と判定できるか」を「特異度」と呼ぶそうです。どちらも100%が理想なのは当然ですが、現実にはトレードオフの関係(一方を高くすると他方が下がる)になることが多いんだとか。

 お気づきの方もおられるでしょうが、問題8は新型コロナのPCR検査がモデルになっています。ただし、私はPCR検査の感度や特異度の値を知りませんし(ネットでは「感度は3~7割」なんて数字が出てきますが、本当かどうか不明)、たとえば「偽陽性になった人に2回目の検査をすれば、99.9%の精度で正しい判定ができるのか」どうかも知りません *1。
 ですので、「全国民にPCR検査をすべきか」などの議論について、この問題によって、何かを主張したいわけではありません。ただ、検査というのは、これをやれば完全に白黒はっきりするというものではなく、(たとえ「90%」「99.9%」という信頼性の高そうなものであっても)ある程度はグレーゾーンが残ってしまうこと。そして、その小さなグレーゾーンが、意外に大きな影響を与える場合がある、ということを知っていただければと。

*1 ネットの解説を読んだ限りでは、完全にランダムに偽陽性になるわけではなく、偽陽性になりやすい検体があるような感じ(検査の結果でてきた数値が、基準値より大きいか小さいかで判定している、つまり、基準値近くの検体は間違いやすい)でしたが……まあ素人の読解なので、このあたりは間違ってるかも。
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