11 それが社会的な制度なら

文字数 2,557文字

「藤瀬瑞也、京都大学政治学部卒業。彼は大学では児童福祉サークルに所属していて、寺本の学習指導をしていました。施設の職員が覚えていたそうですよ。寺本は学校の成績は優秀だったのですが、センター試験の結果が思ったほどではなく、ひどく落ち込んでいました。藤瀬はそんな寺本につきっきりで指導していたそうです。寺本が難関の大阪大学に合格できたのは藤瀬のおかげだと、口々に証言してくれました。二人並んで勉強しているところは、まるで仲のいい兄弟のようだった、と。
 藤瀬は大学在学中に、事故でご両親を亡くしています。天涯孤独の身の上となりましたが、かなりの額の賠償金が入ったらしく、学費には困らなかったようです。ですが、就職活動はうまくいかず、就職先が決まらないまま大学を卒業しています。友人たちには公務員試験を受け直すと言っていましたが、卒業後は友人たちとの関わりを一切断ってしまったそうです」
「その人も自殺したんですか」
「いいえ。少なくとも、遺体は発見されていません。住民票上は、卒業後にご両親と住んでいた家に戻っています。山奥にある、わりと大きな家だそうですが、近所の方の話では人が住んでいる様子はなかったそうです。その後、二〇〇九年に再び住民票が動いていて、同じ頃にその家も人手に渡っています」
「じゃあ、まだ生きてますよね。住所も動いてるんだから」
 各務の問いに、神束はゆっくりとうなずいた。
「私もそう思っています。おそらくは、藤瀬から始ったのでしょう」
「始まったって、何がです?」
 この質問に、神束は直接には答えなかった。
「ここまでの情報をまとめると、『仮定していたことが確認された』となるでしょうか。各務君は覚えていますか? 噂の元は片門たちで、内容もほぼ正しいこと。警察の身元確認に誤りは無いこと。そして、外見が似ていてかつ癖や知識が共通の人物がいたら、同一人物と推定できること。この三つの仮定です。
 調査の結果、最初の二つはほぼ確認されました。すると、幽霊の噂は目撃証言となりますから、怪談としか思えない内容にも合理的な説明が可能なはずです。三つめの仮定も、常識的な判断として認めることにすると、その説明は、発見された三つの遺体が寺本たちであり、目撃のうち少なくとも寺本と片門は本人である、という条件を満たさなければなりません。寺本は独特の走り方を目撃されていますし、片門もある程度の時間、友人と会話してぼろを出していないんですから」
「でも、幽霊が出たのは遺体が発見された後なんですよね」
「そうです。ですから、幽霊として目撃されたのは、遺体とは別人ということになります」
「ええと、よくわからないんですが……」
 各務は混乱してしまったが、神束は落ち着いた声で、
「単純なことですよ。要するに、人が入れ替わっているんです。寺本の例で言えば、遺体を確認したのは高校まで世話をした施設の職員で、幽霊を目撃したのは大学時代の恋人です。ですから、高校卒業から大学入学までの間に入れ替わったと考えれば、この二つは矛盾しません。もちろん、高校までの寺本が本物で、大学の寺本は偽者でしょうね。そして大学卒業後、偽者が寺本であることをやめてしまえば、寺本は『失踪』したことになります。他の二人も、手品の種は同じです」
「でも、虫歯の痕が一致したんですよね」
「治療痕も、高校までのものは一致するのは当たり前ですよね。入れ替わった後、偽者が歯医者に行きたくなったらどうするかというと、元の人間に戻ってしまえばいいんです。偽者が自分の保険証で治療すれば、寺本の治療歴には残りませんから」
「ですけど、三人ですよ。そんなことが三回もあったって言うんですか?」
「三つの入れ替わりは、独立に起きたのではありません。ここまでの考えが正しければ、府川になったのは片門であり、片門になったのは寺本であり、寺本になったのは藤瀬だったことになります。すべての偽者の正体であり、一連の事件を引き起こしたのは、藤瀬瑞也──連鎖に共通する要因とは、藤瀬だったんです」
 なにかめまいのようなものを覚えて、各務は頭を振った。
「ちょっと信じられません。あなたの言うとおりだとして、藤瀬は何のためにそんなことをしたんですか」
「仮定から導けるのはここまでですね。動機については、推測するしかありません。まず、怨恨の線は薄いでしょう。怨恨だけなら、わざわざ入れ替わる必要はありませんから。寺本たちの生い立ちからして、名誉や財産も関係なさそうです。入れ替わりによって藤瀬が得たものは、寺本や片門としての身分というか、社会的な立場以外にはないように思えます。
 藤瀬は入れ替わりを三回行っています。その三回とも、彼は大学入学時に入れ替わりを始め、卒業と共に終えています。寺本たちに共通するのは、身寄りのない大学生ということくらいです。とすると、ここでも単純な答が正解ではないでしょうか。
 藤瀬の目的は、大学生であり続けることだった。私には、そうとしか思えないんです」
「なぜそんなことが理由になるんです? 大学生になりたければ、もう一度受験すればいいじゃないですか」
「それでは手に入らないものもあるんですよ。たとえば、あなたが卒業後に他の大学を受験して、再入学したとします。周りは同じ学生としてつきあってくれるでしょうか。あからさまな差別こそ無いかもしれませんが、自分たちとはちょっと違う存在として扱われませんか? そこに、『ごく普通の学生生活』はあるでしょうか」
 各務は答につまった。各務たちの後で、たった一人でゼミの発表をする、杉谷の姿を思い出したのだ。
「要するに、彼が欲しかったのは学籍などではなく、二十歳前後の学生としての生活だったんです。もっと単純に、『若さ』と言ってもいいかもしれません。彼の言葉を借りれば、若さとは『社会が作り出した制度である』……ちょっと長いかな、こんなのはどうでしょう。『若さとは、社会的なものである』。
 彼はこう考えたんでしょう。それが社会的なものであるなら、『そんなものに縛られる必要は無い』。逆に、どうにかして制度の隙を突いて、利用してやればいい。そうすれば、若さというものをコントロールできるだろう。うまくすれば、永遠の若さ(・・・・・)だって可能なはずだ、と」

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