11 あれは『仕込み』だった

文字数 1,976文字

 続いて呼び出された宅間は、なかなか口を割らなかった。しかし、目撃者がいると告げ、認めなければ警察に通報するが今なら弁償で済むとゆさぶり、「特別な細工がなければ、メールの差出人なんて簡単にわかりますよ」と脅しをかけると、渋々ながら自らの行為を認めた。
「どうしてあんな手段を選んだんですか」
 神束が追及した。
「針木さんに恨みはないから、できるだけ被害を小さくしたかったんだ。拡張ボードなんて買っても数千円だし、接着剤だって時間をかければ取れるかもしれないだろ」
「部屋の鍵はどうしました」
「開いていたよ。忍び込む方法なんて考えてなかったから、助かった」
「金庫の鍵は?」
「……何のこと?」
 宅間は警戒するような表情で聞き返したが、神束はそれを無視した。
「それにしてもです。今日は将棋ソフトにとっては、記念すべき日でしょう。それなのに、なぜあなたのような人が邪魔をしたんです。あなたのソフトが雷王戦に出場できなかったのが、そんなにくやしかったんですか」
「違う!」
 宅間は強く首を振った。
「ぼくのソフトは、予選突破もできない弱小ソフトだ。クラスターズとは格が違うし、悔しがってなんかないよ。ぼくは気がついたんだ」
「気がついた? 何にです」
 宅間は、どこか狂信的なものを感じさせる目つきで神束をにらんだ。
「6二玉の目的だよ! あれは、どう見ても奇襲作戦だ。なのに、わざわざ本番前に手をさらして見せた。なぜだかわかる? あれはね、『仕込み』だったんだ」
「仕込み、ですか?」
 言葉の意味がわからず、神束はおうむ返しに問い返した。
「そうさ。あれは今までに無かった手だ。まあ絶対にないとは断言できないけど、初級者程度の棋力があれば、指すような手じゃない」
「そのようですね。しかしそれは、6二玉があまり良い手ではないからでしょう?」
「ところが、プレマッチのことが話題になって、ちょくちょく指されるようになったんだよ。ネット将棋を検索すれば、けっこうな件数がヒットする。と言っても、もちろんプロは指さないし、アマチュアでも上級者は指していない。初級から中級クラスが指した棋譜が、大量に流れてるんだ」
「ははあ、なるほど。そう言うことですか」
 神束は早くも、宅間の言わんとすることを察したらしい。しかし海野には、今の話が雷王戦とどうつながるのか、まだわからなかった。
「アマチュアが6二玉を指したら、どうなるんです」
「クラスターズはネット将棋の棋譜も取り込むんだろ? でも、二手目6二玉には定跡もプロの実戦もなくて、せいぜいアマ中級クラスの棋譜しかない。つまりあのソフトは、そんなレベルの棋譜を『定跡』として仕込まれたんだ。そんなデータで棋士と戦ったらどうなる?」
 宅間の声がつまった。見ると、目にうっすらと涙をにじませている。
「正々堂々と戦った結果なら、勝っても負けてもいい。でも、こんな手に引っかかって負けてしまうのは、ぼくには我慢できなかったんだ」
「なるほどね。うん、話としてはわかりますが……」
 神束は左手を鼻に添えて考えていたが、つと顔を上げると、
「宅間さん。一つ確認したいのですが、それは本当のことなんですか」
「ぼくは嘘なんて言わないよ!」
「そうではありません。あなたの話したことは、現実になっていたのですか。つまり、クラスターズは本当に弱くなっていたのでしょうか。プレマッチでは、クラスターズは前例の無い手に対応して、見事に勝利しています。そこに幾ばくかの棋譜データが加わったとして、そんなに弱くなるのでしょうか?」
 宅間は憑き物が落ちたような顔になった。しばらくの沈黙の後、肩を落とし、力なく首を振った。
「わからない。ぼくはしょせんプログラマで、棋士じゃない。強い人にやってもらわないと、わからないよ」

「なかなか興味深いお話でしたね。お二人の考えからすると、永倉理事長は今日も、6二玉を指されることになりそうです」
 宅間が去って行ったドアを見ながら、神束は感想を述べた。洞谷は腕を組んで、
「しかし、ノートパソコンはどうなったんです。君は犯人がわかったと言ったが、金庫の件は二人とも知らないそぶりでしたよ」
「あ、さっきの話は、犯人云々とは別なんですよ。あの二人は単純な混ざり物で、説明の前に取り除いておきたかったんです」
「すると、荒井さんたちがやったのは、本当に水と接着剤だけなのかね」
「はい。二人は水をかけたこと、接着剤を使ったことは進んで話してくれました。私が具体的な手段を言わなかったのに、です。ノートパソコンについてだけ、ことさらに隠す理由は無いでしょう。
 パソコンが二度殺されたのは、犯人が二人だったから。きれいな解答です。と言うことは、三通りの犯行がなされたのは、三人目の犯人がいたからではないでしょうか」
 こう言うと、神束は席を立って、ドアへと向かった。
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