9 関係者のようなものだから

文字数 2,892文字

 二月のキャンパスには、いつものような活気はなかった。既に春休みに入って学生の姿はなく、入学試験の準備をする大学職員がちらほら見えるだけだ。そんな寂しい景色の中を通り抜けて、各務は深閑堂のドアを開けた。いつもの席に、なじみの顔は見あたらない。ボックス席のソファーに腰を下ろし、バイトの子に注文を伝えると、各務の口から思わずため息がもれた。
 厳しい質問や高圧的な態度で学生を追い詰めていく面接を、『圧迫面接』という。各務もこれまでに一度だけ経験していたが、今回はひどかった。最後まで座らせないなんて聞いたこともない。だがそんなことよりも、面接官の最後の質問に答えられなかったことが、各務にはこたえていた。
 今までの人生で頑張ってきたこと、か。面接官の態度はひどいものだったが、質問自体は正当なものだったのかもしれない。だとしたら、これに答えられなかった自分は、どうすればいいのだろう。今から何かに頑張ったとして、間に合ってくれるだろうか。各務の胸に、一つの不安が浮かんだ──内定が決まらないまま、卒業してしまったらどうしよう?
 これまでに何度も浮かんでは、そのたびに押し殺してきた不安だった。もしもそうなったら、既卒での就活を続けなければならない。新卒でさえ厳しいのだから、既卒、しかも職務経験無しとなれば、さらに厳しくなるのは目に見えている。中富や友利のことを軽薄な顔で話していた自分が、なんとも愚かに思えた。以前、山倉が冗談交じりに言っていた日付が、大きなプレッシャーとなってのしかかってきた。三月三十一日。どうしても、その日までに決めておかなければならない。
 三月三十一日と四月一日。たった一日の違いで、自分という人間が変わるわけがない。それなのに、社会の受け取り方は変わってしまうらしいのだ。それも百八十度といってもいいくらい極端に。馬鹿馬鹿しい。どうしてこんなことに付き合わなければならないのか。『こんな理不尽な、社会が作った期限に縛られる必要は無い』。向川から聞いた、寺本と言う人の言葉が頭に甦った。その人も、自分と同じ不安や怒りを感じていたのだろうか。
 暗澹(あんたん)たる思いでコーヒーをすすっていると、ドアベルが大きく鳴って、リクルートスーツ姿の月穂が飛び込んできた。
「ハクトは来なかった?」
「山倉? いや、今日は見てないけど」
「あのバカ、いったい何してるんだ!」
 答を聞くや、月穂はたいへんな剣幕で怒り出した。地団駄を踏むようなその格好に、各務の気持ちが少し軽くなった。
「まあ落ち着けよ。山倉のやつがどうかしたのか」
「あんまり、ゆっくりもしてられないんだけど……」
 そう言いながらも、月穂は席についてホットを注文した。話を聞くと、この後でT社の三次面接が控えているという。そこを突破できれば、いよいよ最終面接らしい。
「Tって、たしか月穂の第一志望だったよな。頑張ってこいよ」
「うん、ありがと。それはいいんだけどさ。なんか最近、ハクトの様子がおかしくて」
「あいつが?」そういえば、各務はこのところ山倉の顔を見ていなかった。「何かあったの」
「どうもね。圧迫面接をやられたらしいんだ」
 各務は胃を締め付けられるような感覚を覚えたが、無理をして笑顔を作った。
「あれか。あれはこたえるよなあ。でも、まともに受け取らない方がいいよ。あれは本当に学生を責めてるんじゃなくて、ストレスをかけた時の対応を見てるらしいから。それに、圧迫面接があったら内定も近いって言うだろ」
 この言葉は、半分は自分に向けて言っているのかもしれなかった。内定云々のくだりも、確かにそういう話も聞くが、真偽のほどはわからない。中には、単なる鬱憤晴らしでやる面接官もいるらしいのだ。だが、月穂は素直にうなずいて、
「そうだよね。でもあいつバカだから、面接官に食ってかかったらしいの。結局そこは落ちちゃって、まあそれは仕方ないんだけどね。それ以来、どこを受けたとか、どんな感じだったかなんて話をしなくなったのよ。まさか、就活をやめたとは思わないけど……」
「おいおい、まだ始まったばかりだぞ。そりゃあ、早いやつはそろそろ内々定が出るらしいけどさ。まだまだ先は長いよ」
「私もそう言ったんだ。けど、なんだか、ずいぶん落ち込んでいて……電話やメールにも、応えなくなってきたの。昨日やっと捕まえて、今日ここで会うって約束したら、今度は私に面接が入っちゃってね。悪いけど、あいつが顔を出したら、私が来れなくなったって伝えてくれる? それから就活がどうなってるのか、聞いといて欲しいんだ」
「わかった。もうしばらくはここにいるから、来たら話しておくよ。
 それにしてもさ。おまえたち、うまくいってんの?」
 各務としては、ほんの軽口のつもりだった。だが、月穂は浮かせかけた腰を落として、少しの間黙りこんだ。
「わたし、あいつと寝てないんだよね」
「おいおい、いきなり何をぶっちゃけて──」
 いきなりのカミングアウトに、各務は反射的に笑い出しそうになった。だが、月穂は真剣な顔つきで、
「私のせいじゃないよ。ハクトの方が、なんだか煮え切らなくてさ。それでも、がっついてくる男よりましだと思ってたんだけど、なんかわからなくなってきちゃって。
 就活なんてしてると、どうしても先を見ちゃうって言うか、見えちゃうじゃない。もう少ししたら卒業で、卒業したら就職で、就職したら次は結婚だ、なんて」
「うん。でも先を考えるのは、悪いことじゃないだろ」
「悪くはないけど、寂しくはなるでしょ。結婚した後は出産、その後は子育て。その全部に締め切りがあるっていうんだから嫌になるよ。建前はともかく、事実上は。
 もしかしたら、あいつもそんなこと考えてるんじゃないかな。ここで将来が決まりそうだけど、ここで決めちゃっていいのか、とかね。文句を言ってるんじゃないよ。ハクトって皮肉屋のわりに、けっこう繊細なところがあるからさ。いろんなこと考え出して、身動き取れなくなってるんじゃないかなあ」
 月穂は腰を上げて、口元だけで笑った。
「でもね、だとしたらやっぱりバカだよ。大学生活はまだ、一年も残ってるんだから」

 月穂が出て行ったすぐ後に、再びドアベルが鳴った。入ってきたのは山倉ではなかった。その人物は、各務と目が合うと調子っぱずれの裏声で「あれ」と言い、笑顔で各務に近寄っていった。
「そうか、今はちょうど大変な時期ですよね。就職活動はうまくいっていますか」
 各務のスーツ姿を見て、神束はこんな挨拶をした。各務は「まあ、ぼちぼちやってます」と適当な答を返した。
「今日はお友達はいないんですか」
「さっきまでいたんですけど、面接に行きました。それより、どうしたんです。もしかして、例の噂の件ですか?」
 就活の話を避けたかった各務は、こんな事を言ってみた。暗さに目が慣れていないのか、神束はきょろきょろと店内を見回していたが、各務の質問に、少し迷ったような表情を浮かべた。
「……そうですね。あなたも関係者のようなものですから、お話ししておきましょうか。あれから、いろいろなことがわかりました」

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