8 そこに足りないのはシステム!

文字数 3,798文字

「はあ?」
 海野は思わず、間抜けな声を出していた。
「だって、あそこは密室になってただろ」
「いえ、私が存在しないと言ったのは『密室』ではなく、『密室トリック』です。そうですね……たとえば、こんな例はどうでしょう。
 鍵のかかった部屋から悲鳴が聞こえ、中から死体が発見されたとします。実はその悲鳴は犯人が作った偽物で、本当の犯行は救助のために鍵を開けた、その後で行われていたんです。これはいわゆる、密室トリックですよね?」
「まあ、そうだな。ちょっと古くさいけど、トリックとしては密室トリックだろう」
「では、そこでもしも、最初から鍵がかかっていなかったとしたらどうなりますか?
 扉は開いていたんですから、もはや密室ではありません。それでも、犯行推定時刻がずれますから、犯人にアリバイが成立するでしょう。つまり、偽の悲鳴という同じ仕掛けが、今度はアリバイトリックになるんです。ここからさらに犯人を取り除いて、代わりに被害者が自殺したことにしてしまえば、偽の悲鳴は他殺偽装のトリックとして働くことになるでしょう。
 密室トリックやアリバイトリックなんてものは、概念としてはともかく、実体としては存在しないんです。実際にあるのは、犯行時刻をずらす『時刻誤認のトリック』や、鍵の状態を誤認させる『扉の開閉状況の誤認トリック』、室内に犯人がいたかのように思わせる『犯人の状態の誤認トリック』といった、個別具体的なトリックだけ。それらの、いわば単機能なトリックが結びついて、密室やアリバイといった現象になるんです」
 神束の声にはますます熱が加わり、ますます早口になっていった。
「そもそも、トリックとは何でしょう?
 密室などの現象は、様々な要素で構成されています。犯人の行動、被害者の生死、目撃者の証言や扉の施錠の状態、などですね。もし、それらが正確に認識されていたとしたら、そんな現象が現れるはずがありません。密室なんて、物理的にはありえないことなんですから。認識が間違っているからこそ、密室は密室になることができたんです。
 つまりですね。トリックとは、そうした要素の『認識を歪めるもの』。単機能トリックとは、ある一つの要素の認識を歪めるもの、と言えるんです」
「よくわからないな。密室トリックと、その単機能トリックってやつを区別することに、どんなメリットがあるんだ? そうしたからって、密室が解けるわけではないだろ」
「そうでもありません。先輩の考え方には、欠けているものがありますね。それは──」
 神束は人指し指を鼻から離し、そのままびしっと、海野に突きつけた。
「そこに足りないのはシステム!」
 海野は思った。たしかに、ちょっと厄介な性格だ。こんな風に、突如議論に熱中して周りが見えなくなるようでは、こいつはいつもハズれているに違いない。さっきまでまともに見えたのは、慣れない場所での初めての取材で、おとなしくしていただけだったのか……海野の微妙な表情にもかまわず、神束は熱に浮かされたように言葉を続けた。
「そう、システムです。問題を分析し、それを構成する要素に還元して、その一つ一つに検討を加えていく。こんなこと、問題解決の基本じゃないですか。密室だって同じですよ。密室という現象を解きたいのなら、密室トリックなんておおざっぱなくくりで考えるのではなく、まずはそれを分析することです。そうして、現象の『モデル』を作って、モデルを構成する要素ごとに、推理を加えていけばいい。
 ちょっと話がずれますけど、トリックの分類なんてものも、単機能トリックを基準にするほうが、実用的なものになると思うんですよね。たとえば今度の事件で、参考になる例を引っ張ってこようとしても、『密室トリック』というくくりで分類してあったら、数は限られるでしょう。でも、『犯行時刻偽装トリック』なら、これまでにたくさんの事例が積み上げられてます。密室に限らず、アリバイから人物入れ替え、その他もろもろの現象まで。密室を解いたり作ったりするのなら、こっちのほうが便利なデータベースになってくれると思うんですよ」
 神束は指を引っ込め、その代わりにずいと顔を突き出しながら、こう断言した。既に十分腰が引けていた海野だったが、なぜか何かに導かれたかのように、また別の反論を口にしてしまった。
「そういえばさっきも、モデルにデータを入れただけ、なんて言ってたな。だけどさ。肝心のデータの方が間違っていたらどうするんだよ。そもそもの話、手に入れた証拠が真実を示しているとは限らないだろ。
 たとえば、ダイイング・メッセージなんかがわかりやすいな。被害者が残したメモを探偵が見つけて、それを元にあれこれ推理していく。そんな話、ミステリーではよくあるけど、あれって正しいのかな? だって、それが現場にあったのは、『探偵はこんな推理をするだろう』と予想した犯人が、あえて残したからかもしれないだろ。だとしたら、探偵の推理は犯人によってミスリードされたことになってしまう。そんなことをするのは犯人にとって危険だ、メリットよりデメリットが大きい、って反論がされることもあるけど、それなら今度は、『その反論を予想して、あえて危険な行為をした』可能性がでてきてしまう。メモを根拠に、探偵が間違った犯人をつかまえてくれれば、それより大きなデメリットなんて無いんだから。
 これは、ダイイング・メッセージに限らない。事件で見つかる、どんな手がかりにも言えることなんだ。ってことは、どんな推理もひっくり返される可能性があるし、出した結論が正しいとは限らないってことじゃないか?」
「それのどこが問題なんです? そういう推理をしたいのなら、『ダイイング・メッセージが残されていたのは、犯人の作為ではない』と仮定(・・)してしまえばいいじゃないですか」
 神束はきょとんとした顔で即答した。
「現象をモデル化し、それぞれの要素について、仮定に基づく推理を進めていく。システマティックな推理とは、そういうものでしょう。
 だいたいですね。どんな捜査にだって、仮定は存在するんですよ。現場付近で聞き込みをする刑事は、『事件と無関係な第三者は、意図的な嘘は言わない』と仮定して話を聞いているでしょうし、死亡時刻を推定する監察医も、『この死体は、死後に起きる反応が標準的な経過をたどっている』と仮定していると思います。指紋が一致した容疑者を逮捕する時でさえ、『別人の指紋が偶然に一致することはありえない』という仮定があるはずです。でも、それはしかたありません。すべての物事を100%確定させるなんて、現実には不可能なんですから。
 その代わりに、出した結論を提出するときには、使った仮定とセットにしてあげればいいんです。『ダイイング・メッセージが犯人の作為ではないと仮定すれば、犯人は発見者の警官である』、とかね。あとは答を受け取った側が、仮定の妥当性も考慮して、採用するかどうか決めればいい。ダイイング・メッセージを使った推理が怪しいのは、『ダイイング・メッセージは犯人の作為ではない』という仮定が怪しいからでしょう。でも、この仮定付きの答の正しさは、後から『ダイイング・メッセージが犯人の作為ではない』の部分が誤りと判明したとしても、変わることはありません。その代償として、答は含みを持ったものになってしまいますが、探偵に、というか人間にできることって、そこまでだと思うんですよ。
 こう考えてみると、ミステリーの非職業的探偵という設定、特に事件の進行に何の責任も持たないタイプの探偵には、それなり意味があったんですね。これが刑事や検事になってしまうと、出した答を判断する責任が生まれてしまいます。その判断は、間違ってしまう可能性がある。それは推理の誤りというより、どちらかというと行政的な失敗のような気がしますが、それでもクイーンとか法月綸太郎──作家本人ではなく、探偵役の方──あたりは、ぎりぎりの危ない立ち位置にいたことになりますね。

 あ、念のため言っておきますけど、『ノートパソコンだけが壊されずに消えたのは、犯人の作為ではない』なんて仮定、私は置くつもりはありませんよ。ダイイング・メッセージなみに怪しそうだし、そんなことをしなくても、答はほとんど出てるんですから」




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 最後の方の議論は、いわゆる「後期クイーン問題」ですね。これ、私にはどうにも違和感があった、というかどうしてこれが問題にされるのかが、よくわからなかったんです。そのあたりの感想を書いてみました。あまり深く調べていないので、的外れな内容だったらごめんなさい。この問題、今はどんな決着が付いているんでしょうか。

(追記)
 判りにくいかもしれないので、ちょっと追記を。「pならばqである」という命題は、「pが真で、qが真」ならば真、「pが真でqが偽」なら偽となります。では、「pが偽」の場合はどうなるかというと、実は論理学では、qが真であろうと偽であろうと、真になるのです。「仮定付きの答の正しさは、『~』の部分が誤りと判明しても変わらない」というのはこういう意味でした。まあ、日常言語の「ならば」と、論理学の「ならば(→)」は完全に同じではないのですが、神束の「ならば」は論理学の用語と考えていただければいいかと。

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