3 ここに事件の本質はない

文字数 2,961文字

「そうだなあ」
 おれはもっともらしく腕を組んでみせた。探偵の真似事をする気はないが、聞かれれば答えるくらいは、やむを得ない。
「宇津井の言うとおり、上に登るのは難しそうだ。下に逃げるのも、足跡がないから不可能だな。どちらも物理的にできないのだから、これは認めるしかない」
「そうでしょうね。それで?」
「上も下もダメなら、残るは林道を通って逃げるしかないだろう。と言うことは、誰かの証言が嘘ってことになるな。具体的には、三通りの嘘が考えられるわけだが」
「三つもありますか。それは是非ともお伺いしたいですね」
 宇津井が口をはさんでくる。本気か皮肉か、表情からはよくわからない。
「三つというのは、単なる場合分けだよ。まず、島瀬を見たという証言が嘘だった場合。島瀬はもともといないんだから、彼がいなくなるのはあたりまえだ。つまりこの証言をした落合の言葉が真実でなければ、この謎は解決となる」
「なぜそのような嘘を? 落合と島瀬には特別な関係はありませんし、もし関係があったとしても、そんな嘘をつく理由がわかりません。それに、何者かが二組の間を歩いていたことは、他の三人も証言していますよ」
「嘘がだめなら、間違いでもいいさ。それから、四人の間に誰かいたのが確実で、かつ、島瀬を見たという証言が間違っているのなら、その男は島瀬ではなかった、という事になる。落合が顔を見たのは一瞬で、その後は後ろ姿しか見ていないんだから、人違いだとしてもおかしくはないだろ。最初から島瀬なんて男はいなくて、四人が見たのは別の男だったんだ。
 そして、四人の間にいたのは、一人だけだ。よって、間違えた相手もその男となる。教育委員会の鈴木だよ。鈴木は峠から林道を下って遺跡に下り、発掘を始めた。落合はその姿を後ろから見て、島瀬と間違えたんだ。たったこれだけのことで、一人の男が消えてしまったんだよ」
「ははあ、なるほど」宇津井はうなずいたが、さして感心している風でも無かった。「あとの二つは?」
「島瀬を見なかった、というのが嘘である可能性もある。つまり、目撃者がくぼみに入ったときに、まだ島瀬はいたんだ。しかし何らかの理由で、見なかったと証言した」
「四人ともですか?」
「全員でなくてもいい。たとえば、島瀬は一旦くぼみに入ったあと、中曽根たちが来る直前に引き返して、くぼみから出る。そして落合に、ここで会ったことは秘密にしてくれと頼んだんだ。泣き落としで口説かれたのか、あるいは弱みでも握られていたのかは知らないが、落合は承知した。四谷も、話を合わせたんだろうね。その様子は、くぼみの中にいた中曽根たちには見えなかった。落合たちが中曽根と出会い、挨拶を交わしている間に、島瀬は峠まで引き返して、どこかへ消えた」
「なるほど」宇津井は今度も首を縦に振る。「あと一つあるんですか」
「最後は鈴木だな。鈴木は遺跡にいたが、誰も来なかったと述べている。この否定は『鈴木は島瀬を見たか、あるいは遺跡にいなかった』だ。足跡の件があるから、彼が島瀬を見ていたとしても意味はないが、彼が遺跡にいなかったとなると、話は別だ。落合たちは、鈴木らしい男を目撃しているんだからな。そこには誰かが存在しなければならなず、それができるのは、今度は島瀬ということになる。
 島瀬は落合と中曽根にはさみうちされて、とっさのアイデアで遺跡におり、地面にはいつくばったんだろう。もしかしたら別の服に着替えたり、帽子やサングラスを着けたのかもしれない。逃亡するつもりなら、着替えを持っていてもおかしくないからな。こうして島瀬は遺跡を発掘する男に変装し、落合たちはあの変人がまた何か掘っていると、思ってしまった。そして四人がいなくなってから、島瀬は悠々と立ち去ったのさ」
「その時、鈴木はどうしていたのです」
「食事かトイレにでも行っていたんだろう。それを話さなかったのは単に忘れていたのか、面倒になったからか。あるいは、変人にありがちな『権力には反発する』というやつで、警察には話さなかったのかもしれないな」
「なるほど、お話はわかりました。即席の議論としては良くできていますね。中には、私たちで検討した案もあります」
 宇津井はまたうなずいて、一旦はおれを持ち上げた。がしかし、すぐさま反論を並べ始めた。
「ただ、どの説にも無理がありそうです。
 鈴木と島瀬を見間違えたという説については、鈴木自身が否定しています。彼は利沢峠ではなく、逆の側から林道に入って、ここまで登ってきたのです。鈴木は矢西町の人間ですから、こちらのルートをとるのが自然ですよね。したがって鈴木は峠には行っておらず、間違えられることもありません。念のため言い添えますと、島瀬と鈴木はまったく似ていません。島瀬はがっしりした体つきでやや太り気味ですが、鈴木はやせぎすの小男です。
 島瀬が峠に戻ったという説は、くぼみから出るタイミングがシビアですね。本当に中曽根たちに見えないのでしょうか。そのあたりは偶然が助けたとしても、四人の間で島瀬の話題がでたのはおかしいでしょう。彼を知っていたのは落合だけなのですから、彼女が黙っていれば名前が出るはずがありません。そして、彼女が島瀬の頼みをきいたのならば、あえて話題にするとは思えません」
「変装説もおかしいですね」
 神束も口を出してきた。
「話としては面白いんですが、根本的な欠陥があります。島瀬には、『消失』を演じてみせる理由が無いんです。姿を見られたくなければ、近くの林に逃げ込めばいい。わざわざ危険を冒して、鈴木のふりをする必要はありませんよね」
「ああそうか。それもそうだな」
 三つの反論はどれも、こちらの痛いところを突いてきた。話した時にはいいアイデアとも思えたんだが、しょせんはその場の思いつきだったらしい。
「それなら、おまえの考えを聞こうか。しかし、今のがダメとなると、なかなか難しいんじゃないか? 島瀬が自ら消失しようとするのが駄目だとすると、他の誰かが消そうとするのもおかしい。そんなことが、そいつの利益になるとは考えにくいからな。とすると、島瀬はなぜ消失なんてしたのか……どう説明する?」
「その制約をクリアできれば、答としてはいい線いっていますよね。では、戻りましょうか」
「戻る?」
「ゴジラがあったところ……もっと上だったかな、あそこじゃないかもしれないけど、説明だけなら、違っていても構いません」
 神束はこう言い捨てると、さっさともと来た道を戻り始めた。宇津井があわてて、
「ここはもういいんですか?」
「プロが探して何にも見つからなかったんですから、それはもう確定値ですよ。あ、忘れてた。宇津井さんは、この事件をどう考えているんですか?」
「こちらの意見は、特にありません。警察では、この場所での経過が法的に重要とは考えていないのです。事件が起き、容疑者が特定され、逃亡しました。経過と結果ははっきりしており、ここには事件の本質はありません」
 宇津井は真面目な顔でそう答えた。だったらこんなところに引っ張ってくるなと思うが、あくまで公式見解ではそういうこと、と言いたいのだろうか。神束も一瞬キョトンとしてから、くつくつと喉の奥で笑った。
「『本質』はよかったですね。でも、確かにそのとおりなんです」

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