3 チューリング・テスト

文字数 2,719文字

  神束 :(急に口調を崩して)あ、それで思い出した。さっき言いかけたホ
      フスタッターなんですけど、チューリング・テストの章を話そうと
      してたんです。
  今野 :チューリング・テスト?
  宇津井:アラン・チューリングの考えた、『コンピュータは考えることがで
      きるか』を判定するテストですね。簡単に言うと、相手の性別をあ
      てるゲームです。
  今野 :そんなのは、見ればだいたい判るだろ。最近は、そうでもないかも
      しれないけど。
  神束 :いえ、相手を見ることはできないし、声も聞けません。チャット
      (キーボードで打ちこんだ文字だけで行う会話)だけで性別をあて
      るんです。ゲームの回答者には、二人のチャット相手が紹介されま
      す。それぞれの性別は隠されていて、一人は男性、もう一人が女性
      であるとだけ教えられるんです。ゲームの目的は、この二人とチャ
      ットをして、どちらが女性なのかを当てること。ただし、女性は正
      直に応答するけど、男性は、自分がさも女性であるかのように話し
      て、回答者の邪魔をしてきます。
  今野 :コンピュータはどこに出てくるんだ?
  神束 :何回かゲームをするうちに、回答者に内緒で、コンピュータに男性
      役をさせるんです。そのことで、正解率がどのように変わるかを調
      べます。もし人間と同等以上の成績を残せるなら、そのコンピュー
      ターは『考える』ことができると判定しよう、これが、チューリン
      グの提案です。
  今野 :それは、性別あてのゲームでコンピュータが強かった、と言うだけ
      じゃないのか? チェスや将棋のソフトだって、最近はずいぶん強
      いぞ。
  神束 :性別あてでなくてもいいんです。もっと直接に、『どちらが機械で、
      どちらが人間か』でもいい。重要なのは、『女性と男性の違い』の
      ような極めて人間的なテーマで、人間の言語を使って、人間以上の
      行動ができるかという点です。人間の心について、人間が使う最も
      重要な道具を使い、人間以上の働きができるのなら、それは『考え
      る』と認めてもいいじゃないか、と。
  今野 :ピンと来ないな。第一、コンピュータはプログラムに従って動くん
      だろ。人間が決めたとおりにしか動かないんだから、それは『考え
      る』ではなく、『考える』の真似だろう。
  宇津井:そういう言い方をすると、人間だってニューロンが決めた通りにし
      か動かないでしょう。もっと突き詰めれば、物理法則の通りにしか
      動かない。それに将棋ソフトもそうですが、最近のAIはディープ
      ・ラーニングという手法をとっているんでしょう? あれは、プロ
      グラムがどんな判断を下すか、その判断はどういう理由で下された
      のかが、プログラマーにもわからないんですよね。ああいうのは、
      『プログラマーが考えたとおりにしか動かない』と言えるんでしょ
      うか。
  今野 :そういえばおまえ、将棋強かったっけな。
  神束 :このあたりは、考え出すときりがなくなってしまいますね。『意識』
      とは何か、『考える』とは何か。それは『考えるの真似事』とどこ
      が違うのか。人間が意識を持っていてコンピュータが持てないのな
      ら、猿はどうか。クジラは、牛は? 爬虫類は? 境界線はどこに
      引けるのか。機械でニューロンを完全にエミュレートできるように
      なったら、それは意識を持っているのか。おそらく、いろんな立場
      の人が出てきて、問題設定の段階で収拾がつかなくなるでしょう。
      そんな面倒な議論は横において、もっと条件の明確な、外から判断
      できる問題に置き換え、そこから始めよう。チューリング・テスト
      は、そういう提案なんです。
  今野 :なんとなく、動機論の話と似てきたな。
  神束 :個人的には、意識とは脳というハードの動きを後付けで解釈するソ
      フトである、という考えがしっくりきますけどね。何かがひらめく
      時って、まずアイデアが稲妻のように走って、そのあとで一生懸命、
      言葉にしている感じがするでしょ。あれが意識じゃないのかな。た
      だ、このソフトはマクロ言語をもっているから、『意識的な動き』
      もできるんです。インタプリタだから遅いし、自己書き換えもして
      しまいがちですけどね。
  
  宇津井:ところで、今の話は叙述トリックと関係があるのですか。
  神束 :ホフスタッターは、三人の学生の会話という形でチューリング・テ
      ストの説明をしていくんですが、その三人には男性にも女性にも使
      われる名前がついているんですよ。そして、彼らが男なのか女なの
      かは、明言されていない。つまり、チューリング・テストについて
      説明しながら、そのテストを行っているという仕掛けなんですね。
  今野 :凝ってるな。でも外人の名前だと、日本人には判りづらいな。
  神束 :日本で言えば『ひなた』とか『ゆうき』とか、そんな名前じゃない
      かなあ。
  宇津井優樹:!
  神束 陽向:!
  今野  明:!
  今野 :あ、おれは大丈夫か。『明』だからな。
  宇津井:『明』は『あかり』とも読むらしいですよ。
  今野 :でもほら、おれは『おれ』って言うだろ。
  神束 :あまり好きではないですね、自分のことを『おれ』と呼ぶ女性キャ
      ラは。少々、あざとい感じがして。
  宇津井:私は捜査一課所属ですからねえ。残念ながら、ここに女性を配置す
      るほど、警察組織は進んでいないのです。
  神束 :意外に説得力ある。けど、本当かなあ。
  今野 :まあでも、神束が女なのは決まりだろ。言葉づかいからしてそうだ
      し、山で気を失っただろ?
  神束 :気を失ったからって、女性とは限らないでしょ。ホームズが復活し
      たとき、ワトソンも気絶してるじゃないですか。
  宇津井:それは反論になっていませんねえ。
  今野 :背も低いし、髪も長めだし、顔つきも中性的だし。やっぱり、決ま
      りだな。
  神束 :なるほど、疑えば疑えるもんですね。でも、それでいいんです。

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