11 名探偵には重すぎる

文字数 3,221文字

「褒められたことじゃないんだろうけど、子供を堕ろすとかは考えなかったのかな」
「それは考えたでしょうけど、実際問題としては、簡単なことではありませんよね。特に、夫に黙って、となると。それにもしかしたら、夫の方が先に、妊娠に気づいた可能性もあります。だとしたら、親子関係をごまかす以外になかったでしょう」
「相手が小学生でも妊娠するのかな」
「生殖能力のことですか? 不可能ではないでしょう。小学生も高学年になれば、精通する子が出てくるそうですし。昔は十二才くらいで元服、結婚して、子供を作ってたんですから」
 神束はここで「あれ? 元服って数え年だっけ」とやや自信なさげにつぶやいた。今度は宇津井が質問をはさむ。
「そうだったとしても、どうやって子供の名前を知ったのでしょう」
「妊娠を喜び、一緒に名前を考えた可能性もなくはありません。でも、どちらかというと、絶縁の手段に使われたんじゃないかな。たとえばですけど、自分は妊娠を喜んでいる、その証拠に子供の名前も考えた。でもその代償と責任はものすごく大きいから、あなたのために別れてもいい。どうすべきかはあなたが決めて、とか……こうやってプレッシャーをかけて、別れるようにしむけたとしたらどうでしょう。小学生にその責任は重すぎますから、逃げる以外にはなかったでしょう」
 自分で説明しながら、神束は眉をしかめ、露骨に嫌そうな顔をした。こいつは本当に、この手の話が苦手らしい。
「子供の性別は?」
「胎児の性別判定をしていたのか、でなければ男女別に名前を二つ伝えたんでしょう。後者だったら、村上が女の子を描いたのは、彼にとっての子供のイメージが『可愛い女の子』だったからかもしれませんね。女系家族だそうだし」
「教えた名前を、本当に使う必要はないでしょう」
「いろいろ解釈はできますよ。村上との思い出を大切にしたかった。終わったことだから変えるまでもないと判断した。うっかり教えてしまったが、祖父母からの一文字の縛りのために、下手に変えられなかった。あるいは、話したこと自体忘れていた、でもいいかもしれません。このあたりは、推理の成否に影響しません。どれでもいいです。

 ともかく、こうして夢子は村上と別れ、おなかの子供と共に地崎市を離れました。彼女にとっては、これで終わりのつもりだったでしょう。しかし、村上にはそうではありませんでした。正確には、彼は夢子の事は忘れても、子供のことは思い続けていたんです。宇津井さんの言うとおり、自分の言葉に縛られたのか、あるいは父性がとても強い人だったのかもしれません。あ、父性じゃなくて、母性が正しいのかな。それでも大学卒業までは、その気持ちが表に出ることはありませんでした。しかし卒業後、地崎市に戻った村上は、やはり転勤から戻っていた夢子と再会し、乃亜の姿を目撃してしまいます。そして彼は夢子ではなく、乃亜をつけ回すようになったんです。
 これは夢子にとって、計算外だったでしょう。夢子はつきまとうのを止めろと迫りますが、今度は村上も引き下がらない。相手にも、不倫や淫行の弱みがあるとわかってますからね。そのうちに乃亜が村上の存在に気づき、おびえるようになりましたが、警察に相談することもできません。村上を追いつめたら、自分の旧悪がばらされるおそれがあります。もしもそうなったら、ストーカー被害者から淫行の加害者に転落して、身の破滅です。
 ですが、とうとうストーカーの存在が夫に伝わり、警察に届けが出されてしまった。事態が動く前に決着をつけなければなりません。そこで夢子は、村上を呼び出したんでしょう」
「どうやって呼んだんだろうな」
「これも想像ですが、『子供には会わせるけど、本人に気づかれたくない。寝静まってから来てくれ』とでも言ったんじゃないですかね。犯行時刻が深夜ですから。だとすると、村上が彼女の部屋を覗いたのは、本当にあった光景かもしれなません。その後、夢子は話があると言って村上をベランダへ連れ出し、不意をついてゴルフクラブで殴り倒します。そして抵抗できなくなった村上を、ベランダから投げ捨てたんです。侵入の痕がなかったのは、村上が玄関から入ったからですね。ベランダあたりを侵入経路にしたかったんだろうけど、警察が雨どいや手すりまで調べるとは、思わなかったんでしょう」
「最初から殺意があったのでしょうか」
「もちろん、そうでしょう。なにしろタイミングが良すぎます。勝由の通報後で、警察が動く前ですからね。それにやるとなったら、殺さなければ意味がなさそうだし」
「自宅で殺すのは危険じゃないか」
「もう警察に相談しちゃいましたからね。どこで殺しても、関係者として名前は浮かんでしまいます。それなら、呼び出しておいて正当防衛で殺す方が安全と考えたんじゃないですかね。過剰防衛になるかもしれないけど、世間と、何よりも家族は、自分を守ってくれるでしょう。刺殺や撲殺ではなく転落死という手段にしたのは、室内で殺したくなかったためかもしれません。この先、人を殺した部屋で暮らしていくのは、嫌でしょうから。その結果、村上は死を免れることになったんです」
 神束は口調を改めて、締めくくりの言葉を述べた。
「念のため付け加えておきますが、今の話は解釈の一つです。モデル操作から直接導かれるものではありません。それから、確率論と予言論は、どちらかがより優れているわけではありません。二つの結論は、同じ説得力を持ちます。そのどちらを選ぶかは、当事者である宇津井警部の判断にお任せします」

「村上が認めたってさ」
 おれはスマホの通話を終え、宇津井の話を神束に伝えた。
「鹿村夢子は否認しているらしい。しかし、鹿村家の固定電話から村上への通話記録が残っていて、面識があったことまでは認めたそうだ。もっとも、それで全部決まりというわけでもないようだけど」
 神束は表情を変えずに「そうですか」とだけ答えた。あまり興味がないらしい。ただおれには、一つ気になっていたことがあった。
「なあ神束。鹿村乃亜は、本当に村上の子供なのかな」
 神束は「はい?」と、語尾を少し上げて答えた。
「なるほど。別れるための手段として、夫との子供を使ったってことですか? 村上を脅せればいいんだから、それもありなのか。ただそれだと、相手を殺すまでに追いつめられるかなあ」
「DNA鑑定でもやれば、はっきりするけどな」
「真実よりも利益、という考え方もありますね。ストーカーにされたあげく殺されそうになった村上は、まず救ってあげなければなりません。他方で、乃亜の将来も配慮すべきでしょう。勝由だって被害者です。夢子はあまり気にしなくていいですけど、もしも可能なら、できる範囲で考えてあげてもいいかもしれません。利害が錯綜してわけがわからなくなったら、そこで真実という切り札もありますよね。要するに──どうすればいいのか、私にはよくわかりません」
「そうか」
 そうだな。これは、たかだか名探偵でしかない人間には、重すぎる判断だ。黙って宇津井に任せることにしよう。



【参考文献】
 T.ギロビッチ「人間 この信じやすきもの」
 市川伸一「考えることの科学」
 M.ガードナー「奇妙な論理」



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 本章で第3話完結です。「確率論」「予言論」二つのモデルが登場しましたが、後者はたくさんの例があるのに対して、確率論は、ミステリではあんまり登場しないかもしれません。ぱっと思いつくのはクイーンの短編と、モンティ・ホール問題を大胆に使った某短編くらいでしょうか(どちらも、謎解きの主役ではありませんでしたが)。あとは「プロバビリティの犯罪」ものが、ちょっとかするくらいかな……まあ、わかりづらいですからね。それでも、確率の話は扱っておきたかったので、本話ではこちらを主役にしました。
 さて、次章から第4話、「動機論」となる予定です。
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