1 『早期老化症』

文字数 2,348文字

「それで、今日はどうしましたか」
 しばらく答が返ってこないので、藤村医師は走らせていたペンを止めて、顔を上げた。診察室の丸椅子には小柄な男が腰を下ろしていた。チェックのシャツによれよれのTシャツ、足にはポケットの多いワークパンツを履いている。どこかの大学の学生だろう。重ねて質問しようとした時、男はようやく口を開いた。
「先生、ぼくを見てどう思います。どっか変じゃありませんか」
「うん? いや、普通の服装だと思うが──」
「服じゃありません。ぼくの顔、おかしくないですか」
「顔?」
「ひどく年を取って見えないでしょうか」
 藤村は老眼鏡を外して、あらためて男の顔を見た。整った顔立ちだが、肌に張りがなく、目尻に細かい皺が寄っている。頭には白いものが目立っていた。藤村は問診票の氏名欄に目をやった。杉澤昭信、十八才。確かに年の割りに老けて見えるが、異常と言うほどではない。
「さあどうでしょう。年齢が顔にどう表れるかは、人それぞれですから」
「ぼく、『早期老化症』という病気のことを聞いたことがあるんですが……」
「珍しい病気を知っていますね。私も、写真では見たことがあります。名前のとおり急速に老化が進む病気で、ある患者さんはまだ子供なのに、老人のようなしわがありました」
「ぼくくらいの年齢で、急に症状が出ることもあるんでしょうか」
「さあ、それは……私も詳しくはないが、確か、出産後の女性が突然発病した例があったんじゃないかな」
「ぼくはその病気じゃないでしょうか。たとえばですけど、遺伝子検査で、年齢よりも老化が進んでいるといった診断はできるんでしょうか。できるとしたら、老化を止める薬はありますか。障害者と認めてもらって、医療費や生活費の補助は受けられるんでしょうか。必要な書類や手続きは、どの役所にお願いすればいいんですか……」
 杉澤は前のめりになってまくし立てた。熱の籠もった、しかしどこかピントのずれた質問だ。だが、藤村にはその内容よりも、この男の目つきの方が気になっていた。奇妙に熱気のない、空っぽなまなざし。以前、どこかでみたことがあるような……。
「どうでしょうなあ。私の知る限りでは原因はまだわかっていないはずですし、難病指定もされていたかどうか。それから、老化を止める薬などありません。もし発見されれば、それこそノーベル賞ものですよ。
 それにですね。早期老化症は奇病中の奇病です。正直なところ、あなたがあの病気だとは、私には少々信じかねるんですよ。いったい、いつ頃から症状が気になり始めたんですか」
「えーと……この一月ほどです。それまで、こんなことはなかったんですけど」
「今は何を? 学生さんですか」
「はい。あ、いいえ。四月から予備校に通ってます」
「大変ですね。今年から一人暮らしですか」
「はい」
「お友達はあなたの症状について、なにか言っていますか」
「おまえ、老けてるなあって。でも、周りに昔からの知り合いがいないので、全然わかってもらえないんです」
「他に症状はありませんか。たとえば夜眠れない、頭痛や目眩がする、食欲がわかない」
「あ、あります。よく眠れなくて、夜中に何度も目が覚めるんです。そのせいか、昼間も眠くて……」
 杉澤はため息をつき、眉間に深い皺を寄せた。なるほど、と藤村は思った。少し時期が遅いが、おそらくは五月病の一種だろう。それが容貌に関するコンプレックス、やや偏執的な性格と結びついて、一風変わった主訴が形成されたに違いない。
「そうですか。だとすると、環境の変化によるストレスが原因かもしれません。初めての一人暮らしは、食生活や生活習慣が乱れがちです。若いからと言って油断していると、とたんに肌に影響しますよ。なに、生活を改善すればすぐ元に戻ります。どうしても気になるなら、それまでの間はお化粧してもいいし、髪は染めてもいい。男の化粧というと嫌がる人もいますが、それで気分が変わるのなら、私はいいと思いますよ。こういうことは気の持ちようが大きいんです。元気になれば、その態度だけで若く見えるものです。私もこう見えて、いつも本当の歳より、十は下に見られるんですよ。ハハハ……どうした?」
 最後の言葉は、診察室に入ってきた看護師に向けてのものだった。看護師は妙に緊張した表情を浮かべている。その耳打ちを受けて、藤村はいぶかしげな顔になった。
「なんだって? ……わかった。お通しして」
 診察室に現れたのは身長百八十センチはあろうかという大男と、狐目の小男だった。大男は杉澤の前に立つと、スーツの内ポケットから身分証を取り出し、事務的な口調で告げた。
「県警の東海です。杉澤昭信さんですね。寺本秀明さんの死体が遺棄された事件で、お伺いしたいことがあります。署までご同行願えますか」
 杉澤は「おれ?」と言ったきり、立ち上がろうともしなかった。その顔を見て、藤村は思い出した。あの時の叔父だ。子供だった藤村を捕まえ、これからの計画を熱っぽくしゃべっていた叔父。会社からリストラされ、妻子に去られた頃の叔父の目に、そっくりだったのだ。



────────────────────
 第3話……ではなく、「間話」を開始します。第2話はけっこうがっつりめにモデルを使う話でしたので、ちょっとお口直しに。「奇妙な味」風の短編になります。「奇妙な味・論」ではありませんので、念のため。
 タイトルには「間話」と入っていますが、無駄話ではなく、ちゃんとしたミステリです。ただ、トリック論からは離れますので、間話扱いにしました。第1話の後書きににちょっと書いた、「雷王の礎」の翌年に応募した作品で、最終選考直前までは行ったので、そこまでひどい出来ではないのではないか。と。個人的には、割と気に入っているのですが。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み