6 合理的な非合理性

文字数 3,572文字

 書くのを忘れてましたけど、本章と次章あたりは、作者の「趣味の時間」です。ただ、今回の話では(話でも)謎解きと密接に絡む、と言うか謎解きそのものになってしまっています。面倒でも読んでみてください……。
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 板書した図をコツコツと叩きながら、神束は説明を続けた。
「ある事件において、観察者から見えるのは犯人がおかれた状況と、犯人のとった行動です。そして動機とは、その二つをつなぐ『説明』なのでした。では、犯人はどうやって、状況から行動に至るのか。より正確に言うと、我々はそのことをどのように捉えているのか。典型的には、次のようになるのではないでしょうか。まず、犯人の頭の中に、様々な行動の案が浮かぶ。犯人はその中から一つを選択して、実行に移す。

 ここで注意すべき点があります。第一の点は、犯人の行動には二つの種類があると言う点です。たとえば、被害者が偽の電話でおびき出され、殺される事件があったとしましょう。ここには『被害者の殺害』と『偽電話』の二つの行動がありますが、犯人の目的は殺害の方で、電話はそれを達成するための手段です。両者は、性格が大きく異なります。前者では、何を行うかは犯人の感情や嗜好、つまりは『主観的な評価』で決められます。恨み辛みや愛情、正義感、金銭欲や名誉欲、といったものですね。対して後者では、その行動が目的達成の手段として適当かどうか、つまり『客観的な合理性』が前面に出てくるんです。動機を推定するにあたっては、この二つは区別して考える必要があります。

 二つ目は、行動の選択についてです。行動案の中には優れたものも馬鹿げたものもあるでしょうが、それを選ぶのは犯人です。そして犯人が行う選択は、合理的とは限りません。単純な『判断ミス』や、あるいはまったく『非合理的な選択』もあり得ます。動機の推定に当たっては、これらも考慮に入れなければなりません。
 ただし、この非合理性には制約があります。それは、『犯人はパニック状態だった』とか、『薬物を摂取していた』といった、そんな判断を下した理由が必要になるという点です。まったく理由のないものは動機になりません。なぜなら、動機を評価するのは観察者なのですから、同じ非合理性でも、観察者が納得できる『合理的な非合理性』でなければならないんです。

 最後に、状況や結果についてです。観察者に見えている状況や結果が、犯人が見ていたそれと同じであるとは限りません。犯人は行動を失敗したかもしれませんし、状況の変化によって行動を修正したかもしれません。状況や結果が意図的に作り替えられた可能性や、見えている結果が主な目的ではなく、行動の余波や副作用に過ぎないこともあり得ます。さらに、得られた情報が完全なものではなく、何かしらの漏れがある可能性も、当然ながらあるでしょう。

 以上の検討を踏まえると、モデルはこのようになります」
 神束は書いたばかりの図を大幅に書き変えて、次のように修正した。



「これら各項目にトリックが働き、情報が歪められている可能性があるのは、これまでと同じですね。以上が、動機分析のモデルです。ではさっそく、本件にあてはめてみましょう。
 まずは状況と犯人の行動、結果から。ある中年男が毎週土曜日、特定の書店に続けて現れ、五十円玉二十枚を千円札へ両替した。男は急いでいる様子で、本を買ったことはない。男はなぜこんな事を繰り返すのか? その他の情報として、目撃者は女子大生のアルバイト。アルバイトは数人おり、肉体労働の割りに時給は低いが、新刊割引の特典あり……こんなところでしょうか。
 ただ、五十円玉をどうやって集めたかについては、商売の収入、賽銭泥棒、ゲームセンターの両替機など、既に様々なアイデアが出されています。また、『急いでいた』『土曜日だった』点については、これを扱った答に対して、反論や検討がほとんどなされていません。これらはどちらかといえばオマケ的な部分で、クリアできればボーナス点が入る、といった程度のものなのでしょう。そこで本論では、『特定の書店で、定期的・継続的に、五十円玉から千円札への両替を行った』部分に絞って検討したいと思います。警部さん、いかがです?」
「結構です。私が知りたいのもその点ですね」
 宇津井が同意する。
「次に、推理に使う仮定を挙げていきます。
 仮定一、『両替は最終目的ではない』。両替そのものが男の目的とは考えづらく、これは目的達成のための手段として選ばれた行動、あるいは別の行動の副作用・余波と考えるのが自然でしょう。
 仮定二、『両替の際には、状況の誤認識や行動の失敗・修正・副作用は起きなかった』。男がしたのは、書店に入り、五十円玉を渡し、千円札を受け取って、店から出ただけです。誤りや失敗が入ることは、まず考えられないでしょう。ただしこの仮定は、別の行動の失敗や副作用が原因で、両替をした可能性は否定しません。
 仮定三、『両替は、非合理的な判断でなされたものではない』。男は五十円玉という準備をした上で、十分な時間的余裕をもって両替をしています。多少はあわてたところはあったかもしれませんが、判断力を失うような状況ではありませんでした。しかも、同じ行動を定期的に繰り返しているのですから、彼の行動には、合理的な理由があったと考えるべきでしょう。ただし、何らかの非合理的な行動の副作用によって、あんなことをする羽目になった可能性までは排除しません。
 この三つの仮定により、犯人の感情や嗜好、非合理性、両替から生じる行動の失敗・修正・副作用、に関する議論は、考慮から除外できます」
「要するに、理詰めで考えればいいってことだな」
「そのとおりですね。続けます。
 仮定四、『両替は目立つためや、カモフラージュのための行動ではない』。今まで出された推理に対して、『そんなことをしたらかえって目立つ』という反論がありましたね。その一方で、『合図としては目立たない』ともされていました。これは、どちらも正しいと思います。この行動は中途半端に目立つため、合図にも隠匿にも向かないのです。そこでこの際、この二つは答ではないと仮定してしまいましょう」
「確かに中途半端かもしれないけど、犯人としては、精一杯隠したつもりかもしれないぞ」
 おれの反論に、神束はこんな返しをしてきた。
「最初に言ったでしょう。動機の解明とは犯人の心の内を知ることではなく、私たちが満足する理由を見つけることだ、って。合図やカモフラージュでは満足できません。だからこれは、答ではないんです。
 仮定五、『男が五十円玉二十枚を持っていたのは偶然ではなく、何らかの意図があった』。毎週、財布に五十円玉が二十枚貯まることはまずありませんし、商売などで五十円玉が入ってきたとしても、それを握りしめて持ち歩くことはないでしょう。それをわざわざ持って歩いていることには、何らかの意図があったと考えるべきです。
 仮定六、『より簡単な方法で実現できるものは、目的ではない』。五十円玉を二十個揃えるのは難しいことではありませんが、それでも準備は必要です。すると、男は何らかの意図をもち、それなりの準備をしたうえで行動したことになります。他に手段があるのなら、それを行ったでしょう。それが無いからこそ、しかたなく両替を行ったんです」
 神束は次々に仮定を積み上げていく。一つ一つは無理なものではなく、思考が徐々に整理されていく感覚もある。が、ゴールが見えたという手応えは、まだ感じられない。
「仮定七。より簡単な方法があるのだから『千円札へ換えることそのものは、目的ではない』。簡単な方法とはATMでの入金です。銀行によりますが、ATMでも百枚程度までは無料で入金できますし、百枚を超えても、それを繰り返せばいいんです。昔は、枚数制限なしで入金できる機械もありましたね。そうしておいてから引き出せば、お札に換えられます。商売ならもっと枚数があるでしょうが、だとしても、銀行を使うべきです。商売では継続的に小銭が発生するでしょうから、本屋で両替を繰り返すなんて一時しのぎは、かえって大変な作業になります。なお、この仮定は、お札への置き換え以外の効果は含みません。たとえば店員と会話する、五十円玉がレジに入る、千円札がレジから出る、などは除外されません。
 仮定八、『男は銀行を利用することができた』。仮定七は銀行という手段があることを前提としていましたが、解答の例にあったホームレスの場合などは、これを使えないかもしれません。ここでは、男がそういう人物である可能性は認めた上で、それ以外の答を探すために、この仮定を設けることにします。ホームレス説は、なかなか良くできてますね」

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