8 正直なところ、ぱっとしない推理

文字数 1,949文字

「わかりました。では、この答は保留扱いにして、先に進みます。
 二つ目の『直観的な確率判断』ですが、これはこの事件では該当しないようです。確率計算はしていますし、計算の際に簡略化もしていませんから。

 次は『確率の計算』の『計算式と仮定の設定』。ここは検討すべき点があります。まず、モンティ・ホール問題のように、条件付き確率を無視している可能性。つまり、『Aが起きたという条件でBが起きているのに、Aのことを無視している』場合です。最も極端な形でこの事件に適用すれば、『奇妙な事件が起きたのを警部さんが知ったという条件下で、奇妙な事件が起きた確率』となるでしょうか。最初の『実は試行回数が多かった』という推理と、かなり重なるところがありますね。おわかりのとおり、この文章はトートロジーですから、確率を計算すれば100%。起きたとしても、不思議でもなんでもありません。
 このように、何らかの条件を見落としているという考えは、答となり得ます。が、今回のケースでは、あまりうまく行かないでしょう。具体的に、どんな条件を見落としているのかがわからない点もありますが、もともとの計算結果が四千万分の一なので、これを『起きて当然』にするには、対象を四千万倍にも広げなければならないからです。そこまで強い条件をつけると、さっきの答と同様、『解釈に過ぎない』という反論がでてきてしまいそうです。この答も、保留扱いとしておきましょう。

 『仮定の設定』が誤っている可能性もあります。今回の計算で使っているのは、『名前と姓は、地崎市一帯の人名リストからランダムに選択される』と、『名前と姓の選択が独立である』でしょうか。これはどちらも、かなり怪しい仮定です。前者は『名前・姓を選ぶ確率は、地崎市一帯の人名の比率と一致する』にすれば、それなりにもっともらしくなりますが、それでも、無条件に受けいられる仮定ではないでしょう。
 ただ、この反論だけで、すべてを説明できそうにはありません。この答は要するに、『何らかの理由で名前・姓の選択が偏っていた』というものなのですが、その『何らかの理由』がわからないからです。ありがちなのは『知人や有名人・有名キャラクターの名前からとった』ですが、当時の友人たちがいくら探しても、そんなものは見当たりませんでした。地崎署管内に『鹿村乃亜』の実例がなく、『のあ』読みもほとんどないことから、姓名判断の影響、地域や年代による偏りも考えにくい。もともとの仮定に怪しさがあるのは間違いありませんが、それを指摘するだけでは、答としては不十分です。批判するだけじゃなくて、具体策を出せ、といったところですかね。もちろん、私たちの知らない理由が隠れている可能性はありますが、それが発見できない限り、この答も保留扱いにせざるを得ないでしょう。

 残る『統計データ』の誤りと『判定基準』の誤りは、本件では該当しそうもありません。仮定により、住民の登録データに誤りはありませんし、判定が警部さん任せなのはアレですが、四千万分の一という数値は、十分な説得力を持つだろうからです」
 神束は一呼吸入れると、まとめに入った。
「残った答は、次の二つです。
 一つめ。この事件は、氏名の一致という特徴があったために、事後的に注目されたものである。数限りなくある事件から事後的に拾い上げたものだから、氏名の一致は驚くべき偶然などではない。ただし、これは単なる解釈に過ぎないという反論があります。
 二つめ。我々は確率計算上の何らかの条件、あるいは姓と名前を選ぶ際の何らかの偏りを見逃している。氏名の一致はこれらの条件や偏りのためである。ただし、その具体的な内容は不明です。
 以上ですが、警部さん、いかがですか?」
「うーむ」
 神束に問われて、宇津井はうめき声をもらした。
「正直なところを言わせていただくと──ぱっとしませんね。まだしも説得力がありそうなのは最初の答ですが、だからどうしたと言われると……」
「そうだな。二個目のやつも、こんな可能性があると言ってるだけで、中身は何にも無いからな」
 おれも後に続いた。二人揃っての否定的な言葉だったが、神束はさして意に介したふうでもなかった。
「なるほど。ご意見はわかりました。確率論による答は受け入れられない、ということですね。警部さん、これはとても重要な判断なんですよ。わかります? 確率的な事象ではない──つまり、偶然で説明できる出来事ではないとなれば、これは必然的な出来事である(・・・・・・・・・・)、となるんですから」
 そう言うと、神束は手元の紙一枚を横に伏せ、次の紙を手にした。
「では、二つめの推理に移ります。タイトルは、そうですね……さっきのが『確率論』ですから、こちらは『予言論』とでもしましょうか」




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