10 広がる空に頭を下げて

文字数 2,194文字

 神束は確認するような口調で言った。
「理由はわかりますね。たとえば六百円の本が売れても、五十円玉の増減はほとんど無いでしょう。けど二割引の四百八十円なら、レジの五十円玉は増えていくと思います。問題の本は、割り引き前後でそんな関係になる価格だったんです。売れたのが数冊ならそれほど目立たないでしょうが、店にはかなりの人数のアルバイトがいました。もしも、それぞれの友達が来店して、割引で買っていったとしたら……レジには不自然な数の五十円玉が、どんどんたまっていったでしょう。
 それを店長に見つかったんです。そして、その質問をされたバイトの子も、すぐに原因に気づきました。そしてとっさに、ある話をでっちあげたんです。いえ店長、さっき変な男が来て、五十円玉を千円札に両替していったんですよ。なんなんでしょうね、あの中年男」
 神束は説明しながら、バイトの高校生っぽい演技をしてみせた。持ち前の高音のため、まったくそれらしくは聞こえなかったのだが。
「こうして両替男が誕生しました。彼の役割はレジの五十円玉を、多少奇妙な形ではあっても、合法的に説明することだったんです。五十円玉で本を買った男でも良かったけど、両替の方がリアリティがあったんでしょう。中年男である必要性も全然無いけど、怪しげな人物のステレオタイプが中年男だったんでしょうね。たぶん、その子にとっては。
 ところがその子は、店長から思わぬ追撃をうけてしまったんです」
「これが初めてではないと言われたのですね」
 宇津井が口をはさんだ。
「そう! そのとおりです。でもねえ君。先週も五十円玉が多かったんだよ。不思議だなあ。あの時はなんだったんだろう。
 こうして、両替男に『たびたび店に来る』という属性が追加されました。しかし、その場は乗り切れたものの、たびたび来るのならば実際に登場させなければなりません。しかも設定を中年男にしてしまったので、友人に頼むこともできなくなってしまいました。知り合いの中年男、おそらくは父親にでも頼みこんだんでしょうね。父親は、いやいやながらそれに協力してくれました。両替男が土曜日にしか現れなくなったのはやむを得ません。彼にも仕事はあるし、日曜はゆっくりしていたいでしょうからね。都合のいい曜日の、すき間の時間帯に済ませたんでしょう。それでも、やっぱり気は進まなかったので、早く立ち去れるように予め五十円玉の枚数を数え、すぐ取り出せるよう握りしめていました。そして両替の間も落ち着かず、終わったら即座に店を出て行ったんです」
 一息に言い切った後、神束はにこりと笑った。
「まあ、最後の方はまったくの想像です。犯人はバイトじゃなくて正職員でもいいですし、父親ではなく話のわかるおじさんでもいい。そこら辺は適当に変形すればいいですよ。
 この話がアルバイトの間でも秘密にされていたのは、この『犯行』を行ったのが、比較的少人数だったからかもしれません。さもなければ、バイト仲間の秘密として共有されていそうですから。まあ、中にはアルバイトなのにこういうことにうるさい人がいて、その人にだけ秘密にしていたのかもしれませんけど。
 で、どうですか、警部さん?」
 ちょっと間が開いた。宇津井は、どこか遠くを見るような目をしていたと思う。
「そうですね。たいへん面白く伺いました。新しい視点でしたし、うまく材料を使っているとも思います。どうやら違法行為にもつながっているようです。まあ刑法犯になるかどうかはわかりませんし、立証も弱いですが、いずれにしろ時効です。それに私は、担当が違いますからね。
 ところで神束さん」
 宇津井は急に、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「私に話してくれた女性なんですが、彼女が犯人──両替男を作った当人でしょうか?」
「そうですね。その人、しばらくしてバイトを辞めたんでしたね。肝心の中年男の描写が、何となく曖昧な感じもしますし、両替男が土曜日に現れたのはもしかしたら彼の都合ではなく、店長に気づかれた曜日に合わせた可能性もあります。だとすると、その日にシフトが入っている人が、怪しいことになりますね。
 それからもう一つ、事件と関係なさそうな社員割引の件を、わざわざ説明してるのも気になります。犯人であれば普通は情報を隠すでしょうけど、もう終わったことなら武勇伝みたいなものです。ちょっとした遊びとして、あえて手がかりを並べてみせて、正解が出るかどうか試したのかもしれません。特に、その人がそんな小説が好きで、フェアプレー精神を持っていたなら、怪しいかもしれませんね。でも」
 神束はつと顔を上げると、窓の外に広がる空へ視線を送り、ぺこりと頭を下げた。
「でも、もしも違ってたら、ごめんなさい」



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 書いた直後に解説を入れるのも馬鹿みたいですが、最後に「ぺこりと頭を下げた」のは、「五十円玉二十枚の謎」問題の提出者(作家の若竹七海さん)へのご挨拶のつもりです。この問題、ご本人の体験談として、紹介されているので……改めまして、もしも違ってたら、ごめんなさい。

 第4話は、話としてはこれで終わりですが、もう少しだけ無駄話があります。完全に趣味の品なので、興味無い方は読む必要はありません。その後の第5話は……ストックが尽きたので、週明けか、その次の週末になるかと。

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