4 ちょっと飛ばして読んだところ(18字改行版)

文字数 4,097文字

  (神束、一呼吸おき、再び口調を変
  えて)
  神束 :このように、客観的な叙述
      が無ければ、最も基本的な
      事柄でさえ、確定するのは
      困難になります。そして叙
      述トリックは、本来は客観
      的な叙述であるはずの「地
      の文」から、その機能を失
      わせるんです。文章の「解
      釈」という仕組みを使って
      ね。
  宇津井:しかし、その仕組み自体は、
      どんな小説も同じですよね。
      普通の小説でも、短い言葉
      のやりとりから、そこに書
      かれていない事をあれこれ
      想像させるものですから。
  神束 :その通りですが、使われ方
      が違います。たとえば、家
      族四人が食卓を囲んで会話
      するという、なんてことの
      ない風景の描写があったと
      します。普通の小説なら、
      登場人物のキャラクターや
      人間関係、抱えている悩み
      などを、彼らのやりとりか
      ら読み取ってもらおうとす
      るんでしょう。しかし、こ
      れが叙述トリックになると、
      食事の場所は日本ではなく
      外国の出来事になり、四人
      と思ったのが実は三人しか
      おらず、一つの空行の間に
      一時間が経過していたりす
      るんです。
       このように、叙述トリッ
      クは一般の小説以上に積極
      的に、『解釈』を利用しま
      す。いくつか例を見てみま
      しょう。

  【作者注】以下では、実例としてい
  くつかの作品の叙述トリックを説明
  しています。作品名は挙げていませ
  んが、ネタバレが気になる方は、次
  の「【ここまで】」まで、飛ばして
  お読みください。


       「描写をしない」のが代
      表的な手法だと言いました
      が、同じ「描写しない」に
      しても、行動そのものを欠
      落させるのではなく、主語
      を省いたり、主語が指す人
      物を入れ替える、といった
      方法もあります。「私」視
      点の文章が続いていたら、
      読者は当然、同じ人物だと
      思うでしょう。ところがい
      つの間にか、その「私」が
      別人になっていたりするん
      です。これは「私」に限り
      ません。「あなた」や「父
      親」「ユキちゃん」などの
      言葉が示しうる人物は、一
      人だけではありませんから。

       単に描写を省くだけでな
      く、さらに積極的に、読者
      の解釈を誘導しようとする
      こともあります。登場人物
      AとBの間で会話があれば、
      二人は同じ場所にいると思
      いますよね。しかし、そう
      ではなかった。いつの間に
      かBの返事がなくなってい
      て、そこから姿を消してい
      たのです。普通ならAも、
      そして読者も気づくでしょ
      うが、例えばAが事件発生
      を目撃し、あわてていたり
      すればその限りではありま
      せん。当然、犯人はその場
      にいなかったB、なんです
      ね。

       その誘導の方法も、文章
      を読解する上での「作法」
      的なものを使ったり、社会
      的な常識を使ったりなど、
      様々です。作中の「私」が
      「生きている彼を見たのは、
      この時が最後だった」と書
      けば、「彼」はこの後で死
      ぬんだろうと思うでしょう。
      しかし、死ぬのは「私」の
      ほうなんです。元刑事が講
      演を行い、かつて自分が手
      がけた事件の話をし、さら
      に犯人当ての問題を提出し
      ました。実は、その事件の
      犯人は元刑事自身だった。
      彼の講演は刑務所の中で行
      われていた、更生プログラ
      ムの一環だったんです。犯
      人当て問題は、ほとんどの
      人が正解だったでしょうね。
      単なる表現技法から進んで、
      「文学的な読み方」とでも
      言うべきものが利用される
      場合もあります。捜査が膠
      着状態になった捜査本部で、
      ある刑事がパソコンの文書
      保存に失敗し、飲もうとし
      たミルクティーに異臭を感
      じて、思わずを吐き出して
      しまいます。牛乳が腐って
      いたんです。これらの出来
      事は、刑事や捜査陣の「疲
      れ」を象徴するものとして
      描かれています。が、実は
      それは前日に停電があった
      ためで、パソコンや冷蔵庫
      の電源が落ちていたのが原
      因でした。その停電が、事
      件解決の大きな手がかりに
      なる、というわけです。

       小説世界の内部ではなく、
      その外側、小説自体の構成
      や形式を利用するものもあ
      ります。ストーリーAとス
      トーリーBが交互に叙述さ
      れ、Aでは連続殺人の犯人
      の行動が、Bでは殺人事件
      を追う刑事の捜査が描かれ
      ています。AとBは時間的
      にも交互なのかと思いきや、
      実はBは過去の話で、その
      刑事が新たな連続殺人犯と
      なる物語でした。つまり彼
      こそが、ストーリーAの犯
      人だったんです。その他に、
      あたかもサイコ・ホラーの
      ように進んだ物語が、ラス
      トでは論理的な解決がなさ
      れたり、ホラーやコメディ
      の連作短編の中に、一つだ
      けクイーン風の本格ミステ
      リが入っていたりする、な
      んていうものも、「これは
      このジャンルの小説なんだ」
      という読者の思い込み・解
      釈を利用した、叙述トリッ
      クの一種といえるでしょう
      ね。

       さらに大胆に、小説の枠
      さえ超えて、小説が存在す
      る世界の約束事を利用する
      ものもあります。ある作品
      では、ストーリーの途中で
      「私」と恋人の性行為が描
      かれるんですが、当然のこ
      とながら、詳細な描写はな
      されません。性的表現を避
      けるためには、適度にぼか
      さなければなりませんから
      ね。ところがこれが省略で
      はなく、本当に「存在して
      いなかった」、という例が
      あります。これなどは「こ
      の小説は日本の法律を遵守
      して書かれている」という、
      小説の外にある規則を利用
      していますね。
  伊津野:ああ、それは私も読んだこ
      とがあります。そのあたり
      の描写になった時、私はち
      ょっと飛ばし気味に読んで
      しまったんです。この作者
      の、この本に求めているの
      はこういうものではないん
      だけどなあ、と思いながら。
      ところがそれこそがトリッ
      クだったとわかって、本当
      に驚きました。
  
  【ここまで】
  
  神束 :そしてトリックの効果は、
      基本的にあらゆるものに及
      びます。叙述によって成り
      立つ世界でその叙述をいじ
      るんですから、当然と言え
      ば当然ですね。具体的には、
      「時間」や「場所」、「人
      物」、「行動」、「環境」
      といったものが代表的です。
      「時間」では時刻、時間間
      隔、季節、年、時代といっ
      たものが、「場所」では地
      図上の位置、所在する国、
      半球、惑星、「人物」では
      名前、性別、身長、年齢、
      容貌、民族や人種、職業、
      身分、身体障害の有無、人
      数、家族内での呼称、性格
      や他者による人物評価など、
      「行動」はそれこそあらゆ
      る行動や出来着とが対象で
      すが、犯行そのものや犯行
      の準備・後始末、発見時の
      各種隠匿行為といったとこ
      ろが多いでしょうか。「環
      境」は、天候や気象と言っ
      た自然環境の他に、社会制
      度なども含みます。普通の
      小説だと思っていたら、実
      際には核戦争後の社会での
      話だった、といったもので
      す。こういう、実はディス
      トピアだったという落ちは、
      ミステリに限らず、SFや
      一般の小説でも多いかもし
      れません。
  今野 :それこそ、何でもありだか
      らなあ。アンフェアと言わ
      れるのもわかるな。
  神束 :叙述トリックには、昔から
      批判がつきものでした。最
      近では、正面切っての批判
      は少なくなったかもしれま
      せんが、それでも作品によ
      っては、「ずるい」と感じ
      る読者も多いかもしれませ
      ん。そしてこの感想は、必
      ずしも理由のないものでは
      ないんです。
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