6 (最初から最後まで)想像上の解決(18字改行版)

文字数 4,231文字

  (ルーズリーフを指差しながら)
  神束 :この『小説』の中で提示さ
      れている要素は、舞台とし
      ての場所と時間、そして登
      場人物とその行動です。人
      物には人数、名前、性別、
      髪の長さ、傷痕、性格、体
      調、人間関係、癖、特技、
      動作、口調といった属性が
      加えられており、また小道
      具としてカンバス、鉛筆、
      車椅子、コップなどが登場
      しています。なお、本件で
      は警部さんからの情報は叙
      述の外にありますから、正
      確であると考えていいでし
      ょう。よって三人の名前、
      性別、写真からわかる外見
      などは確定値となります。

       これらを順番に点検して
      いきましょう。まずは時間
      です。手記の前段には『あ
      ふれるほどの光』『狂った
      ように暑い』とあって夏の
      日中を連想させ、後段では
      『暗くなっていた』で夜に
      なっています。『思い出す
      こと』がどこまでなのかは
      明確ではなく、後段は時間
      的に離れているのかもしれ
      ません。ここにはトリック
      があるのでしょうか? 無
      いとは言えません。たとえ
      ば『南の島』が実は南半球
      にあって『狂ったように暑
      い』のは七月ではなく十二
      月だった、『暗くなってい
      た』のは日食のためで時間
      はお昼過ぎだった、ルーズ
      リーフのページが狂ってい
      て後段は前段より前の話だ
      った、などは、可能性とし
      てはありえるでしょう。し
      かし、私はここに仕掛けが
      あるとは思いません。なぜ
      なら、矛盾がないからです。
      あまりにも記述が少なすぎ
      て、矛盾となることができ
      そうにないんです。それゆ
      え、叙述トリックが持つべ
      き制約により、ここにはト
      リックは存在しないことに
      なります。

  今野 :うーん、前提がそういう前
      提なんだろうけど、なんて
      いうか、おかしな推理だよ
      な。論理が転倒していると
      いうか、循環しているとい
      うか。

  神束 :そのとおりですが、叙述ト
      リックとはそういうものな
      んですから、仕方がありま
      せん。『叙述にトリックを
      仕掛けること』自体が、循
      環的で転倒したものなんで
      しょう。先を続けますね。

       場所についても同じ事が
      言えます。前段に『平和な
      南の島』とある以外にはほ
      とんど描写が無く、わずか
      に『廊下』『白い部屋』
      『窓』といった言葉だけで
      は、矛盾が生まれるだけの
      情報量はないでしょう。し
      たがって、ここにもトリッ
      クはありません。各種小道
      具も同様です。

       では、人物に関してはど
      うでしょうか。人数は警察
      情報なので確定です。それ
      ぞれの名前も、手記前段に
      登場する友香梨と稚子はい
      ずれも地の文で描写されて
      おり、不明瞭な部分はあり
      ません。『ぼく』の名前は
      稚子の言葉だけでは確定で
      きませんが、これが布川で
      あることは警部さんが保証
      していますね。

       では後段の人物はどうで
      しょう。友香梨と布川らし
      い人物が登場し、なにやら
      物憂げなやりとりをしてい
      ますが、彼らは本当にこの
      二人でしょうか? 布川は
      いいでしょう。警部さんの
      保証は、後段にもあてはま
      りますからね。しかし友香
      梨は、布川が『友香梨』と
      呼んだだけですから確定値
      とはなりません。彼女が別
      人である可能性は残ります。

  今野 :それはただの可能性だろ。
  神束 :トリックの有無は、矛盾の
      有無によって判別すること
      ができます。叙述から材料
      を拾ってみましょう。まず
      前段から、稚子は姉で、短
      髪で、活発な性格で、腕に
      やけどの痕があることはわ
      かりますね。そして彼女は
      右利きです。なぜなら『稚
      子の右に立った』布川が鉛
      筆に気がついたのですから、
      それは右耳にさしていたは
      ず。つまり右手で鉛筆を持
      っていたことになるからで
      す。同様に、やけどがある
      のも右腕でしょう。

       一方の友香梨は妹で、長
      髪で、車椅子を使っていて、
      布川の婚約者です。姉と
      『対照的』ということは、
      おとなしい性格なのでしょ
      う。そして彼女は左利きで
      す。料理の失敗で『右手の
      薬指と中指』に絆創膏を貼
      ったのなら、包丁は左手に
      持っていたはずですから。

       では後段の女性はどうで
      しょう。彼女は車椅子に座
      り、布川から『友香梨』と
      呼ばれ、彼とキスをしてい
      たようです。いずれも友香
      梨の特徴と一致しますが、
      一つおかしな所があります。
      この女性は右利きなのです。
      なぜなら、スプーンを持っ
      た状態で『ぼくの手を外し
      た』のが左手だったからで
      す。ここに矛盾があります。
      矛盾があるという事は叙述
      トリックの存在を意味し、
      この女性が友香梨以外の何
      者かであることを示します。
      では彼女は誰なのか。まっ
      たくの第三者でもいいので
      すが、すぐ近くにちょうど
      いい人がいますよね。友香
      梨と利害関係があり、友香
      梨と入れ替わることができ
      る程度には似ていて、布川
      とも接点のある人物。もち
      ろん、稚子のことです。

  宇津井:しかし、二人はそれほど似
      ていません。それに、稚子
      は髪が短いですよ。
  神束 :入れ替わるつもりなら、カ
      ツラくらい準備しています
      よ。布川の手を払ったのは、
      カツラがずれて、入れ替わ
      りが露見するを避けるため
      めかもしれません。ドアの
      外には、母親がいたんです
      から。
       彼女は、その母親に向か
      って『会いたくない』と言
      い、部屋に入れようとしま
      せんでした。当然、それ以
      外の人にも、顔を見せては
      いないでしょう。これなら、
      それほど似ていなくても、
      入れ替わりは可能と思われ
      ます。とはいえ用心は必要
      です。部屋が暗かったのは
      顔を見せないためかもしれ
      ませんし、二の腕を抱いて
      いたのは、やけどの痕を隠
      していたのかもしれません
      ね。暑い日が続いていたよ
      うですから、長袖を着るの
      は不自然だったんでしょう。

  今野 :だけど、布川は『友香梨』
      と呼んでるぞ。二人きりの
      時に偽の名前を呼ぶ必要は
      ないだろう。
  神束 :ポイントは、それが『少し
      大きな声』だったところで
      す。部屋の外にいる人間に、
      一緒にいるのが友香梨であ
      ることをアピールしたかっ
      たですよ。
  宇津井:だとしても、二人はなぜ入
      れ替わる必要があったので
      すか。
  神束 :ここからは想像……いや、
      今回は最初から最後まで想
      像なんですけどね。
       この入れ替わりは、長い
      時間続けられるものではあ
      りません。もともとそんな
      に似ていないし、近くには
      家族もいます。ごく短時間
      しかもたないけれど、そん
      なことは布川たちも、最初
      から承知でしょう。と言う
      ことは、それで十分なんで
      す。目的も、ジョークや悪
      ふざけとは思えません。な
      にしろ、布川とキスしてま
      すからね。そこには邪なも
      のが感じられます。それに、
      これは警部さんからの追加
      情報ですが、友香梨は既に
      死亡しているらしい。入れ
      替わりの前後で当人が死ん
      でいるのは、はたして偶然
      でしょうか?

  今野 :友香梨を殺すための、アリ
      バイ工作と言いたいのか。
  神束 :そんなところでしょうね。
      死亡推定時刻をずらすのは、
      密室やアリバイに限らず、
      さまざまな現象の基本です
      から。
       動機ですか? ここに書
      かれた材料だけで判断すれ
      ば、思いつくのは三角関係
      でしょう。姉にしてみれば、
      『妹と遊んでいて』受けた
      やけどのことで、友香梨を
      恨んでいたのかもしれない。
      布川にしてみれば、車椅子
      の女性というのが、つきあ
      ってみたら重荷だったのか
      もしれません。家事も大変
      そうですしね。いや、単な
      る想像にしても、これは言
      い過ぎでしょうかね。

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