6 世界は、論理によって説明できる

文字数 2,609文字

 おれは唖然として、目の前の男を見た。つじつまが合わないからと、間違いないはずの犯行時間をねじ曲げてしまっている。これでは、今まで否定されてきた説と、お粗末さのレベルはあまり変わらないではないか。
「そんなんでいいのか?」
「良くはないのでしょうね。ですからこうして、ご相談にうかがったわけです」
 宇津井警部は、いつもどおりのさわやかな笑顔を浮かべてみせた。
 考えてみれば、安沢亜佐子が殺したことに間違いがないのなら、犯行方法なんてどうでもいいのかもしれない。犯人は、もう死んでいるのだ。『被疑者死亡のまま送検』とニュースで見ることがあるが、あの後はどうなるのだろう。描いたストーリーに多少の矛盾があっても、そのまま終わってしまうのだろうか。

 そんなことを考えていると、隣から少々間の抜けた高音が響いてきた。
「え、そんなことできるんですか?」
 神束である。ずっと黙ったままだったが、話は聞いていたらしい。
「犯行時間を動かすことですか?」
「いいえ。法医学の鑑定は確率的なものが入るでしょうから、リスクを承知の上でなら、幅を広げてもいいですよ。そうではなく、頭を打った後も動けるって言いましたね。そんなことが可能なんですか?」
 それは三つ四つ前の話題だろう。こいつは何かに集中すると周りが見えなくなるタイプだが、聞いてから理解するのに今までかかったとしたら、かなりの重症である。
「ええ、不可能ではありません。脳出血ですと、傷を負ってしばらくは頭痛程度の症状しかなく、その後で容体が急変することがあります。ただ、さきほども言ったとおり──」
「それを早く言ってくださいよ」
 神束はパタンと音を立ててノートを閉じた。
「なんだか、めんどくさいですね。アリバイって面倒なんです。密室より自由度が高いから、場合の数がすごいことになってしまう。でも面倒な作業ほど、システマティックにやらないと駄目なんですね。ということで、まずは現象のモデルを作りましょう。そして、その操作方法を定義して──」
「モデル?」
 おれはおうむ返しに聞き返した。その単語はひどく場違いで、今の文脈にふさわしい意味をあてはめることができなかったのだ。それは宇津井も同じらしく、「神束さん、なんの話ですか」と尋ねている。
「だから、アリバイという現象のモデル化ですよ」
 神束はいらだたしげに答えた。そして少し黙り込んだかと思うと、まったく予想外のことを言い出した。
「ねえ先輩。世界は、論理によって説明することができますよね」
「あん?」
 思わず生返事になってしまったが、神束はかまわずに続けた。
「気にいらなければ、世界の大部分、と限定してもいいです。でも事件の解明という作業は説明可能な部分に含まれるはずですし、含まれなければならない。実際、これまでに数多くの名探偵が登場し、膨大な数の事件を扱って、その一つ一つで論理的な解決を積み重ねてきました。でも、この蓄積には足りないものがあるんです。それらを統一的に説明する理論ですよ。理論化、モデル化の部分が決定的に欠けていて、だからこそ名探偵なんてものが、希少価値になってるんです」
 神束の口調が熱を帯びてきた。不穏な空気を感じ取ったか、宇津井はそそくさと資料をカバンに詰め込み、腰を浮かせた。
「では、そろそろよろしいですか?車も用意してあります。あとのお話は道々お伺いするとして、現場に──」
「行きませんよ?」
 神束は言下に断った。続けて、
「私は平凡な名探偵です。論理の飛躍はしないし、直観や超論理は使えないし、持ってる価値基準だって警部さんと変わりがない。でもそうであれば、私の中にあるシステムをモデル化できれば、誰にでも利用できるはず。わかります? そうすれば名探偵という機能(・・・・・・・・)を、誰でも利用できるようになるんですよ。私のすべき事は、事件の解決なんかじゃない。この分析こそが、、価値のある仕事だったんです」
 神束は決然とした様子で、なにごとかを断言した。しかし、こいつがこれほどの熱意をもって、何をしゃべっているのか、おれには良くわからなかった。
「何が言いたいんだ?」
「ですからね。私は今後、犯罪の現場に出るのは止めることにします」
 神束は高らかに宣言した。
「私の仕事は名探偵という機能をモデル化して、提供することです。だとしたら、現場になんて行かなくてもいいじゃないですか」
「しかし神束さん、するとあなたは、この事件で何をしてくださるんですか」
「講義をします」
 食い下がる宇津井に、神束は短く答えた。
「大学時代を思い出して。それとも、ディクスン・カーを思い出して、でしょうか。今回はアリバイですから、テーマは『アリバイ現象の構造と操作』、かな。細かいところはその時に話すとして、今日はこのへんにしません? 宇津井さん、明日の一時頃は時間がありますか。ここに来れます?」
「……事件に関係があるのでしたら、伺いましょう」
 宇津井はなんとか、それだけを答えた。それはいいのだが、
「おい、事件はもう解けたのか?」
「今回の課題はアリバイ現象ですね。実は、アリバイのモデルはもう作ってあるんです。あとはそこに、データをあてはめるだけですね」
「解けたんだな。つじつまが合わないからって、犯行時間を変えてはいないだろうな」
「はい」
「時間の余裕も必要だ。Uターン直後に事故が起きてその直後に発見されるのでは、ちょっと苦しい」
「はい」
「車の向きはどうだ? 『何らかの理由でUターンした』でも悪くはないが、もっときれいな理由が欲しい」
「わかりました」
 神束は三度うなずいた。あまり簡単に答を返すので、おれは改めて確認した。
「できるのか?」
「単純なことです。それらが必要なら、仮定してしまえばいいんですよ」
 神束はこともなげに答えた。
「必要な条件があるのなら、それを仮定あるいは評価項目として設定しておけばいい。その上で分析を進めるんです。単純、明快ですね。
 あ、一つだけ確認。現場近くにある展望所でしたっけ、そこへの入口は、車がぶつかった場所より南にあるんじゃないですか?」
「事故現場のすぐ近くですよ」宇津井が答える。
「正確には北ですか? 南ですか?」
「ええと……そうですね、南側です。南薮町寄りにあったはずですが、それが何か?」
「そうですか。どちらでもいいんですけど、その方が簡単でしょう。明日の一時で大丈夫ですか? ……ではまた、その時に」

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