1 タイムカプセルの発掘

文字数 3,276文字

 子供のころ、東海警部補は百葉箱の中を見たことが無かった。それは校庭で唯一芝生のある場所に立っていて、時たま理科の先生が、中をのぞき込んでいることがあった。何かをメモし、大事そうに蓋を閉めるのを見て、あそこには精密な機械がぎっしり詰まっているのだと思っていた。まわりの腕白たちも、あの周りには近づかなかったように思う。理科室の実験器具と同様、不思議な威厳を漂わせていたのだ。
 今、東海の目の前にあるのは、その最後の姿だった。白いペンキはすっかり剥げ、ひび割れた欠片がかさぶたのように張り付いている。かろうじて倒れてはいないが、柱の一本は明らかに腐食し、変色していた。少し離れたところには大きな鳥かごがあり、その隣には鉄棒と、半分埋まった古タイヤが並んでいる。鳥かごの中には何もいない。二階建ての木造校舎も残っていたが、既に建物の周りには足場が組まれていた。
 校庭の片隅に、人だかりができていた。小学生ではなく、二十代後半の若者たちで、その中心では二人の青年がシャベルを持ち、地面を掘り返していた。

 数年前、市紀町は合併して地崎市となり、しばらくすると市紀小学校も廃校となって、校舎の取り壊しが決まった。跡地には『総合的文化施設』が建てられるという。そのニュースを聞いた東海は、多少の感慨を抱いただけだったが、卒業生の一人があることを思い出した。タイムカプセルである。それは卒業の記念行事として校庭に埋められたもので、当時の約束では三十年後に開封することになっていた。しかし、別の建物が建てば掘り出すのは難しくなるし、それ以前に工事で壊れるかもしれない。そこで卒業生有志が市に掛け合い、繰り上げで発掘することになったのだ。この日集まったのは、地元を中心に二十人ほどの卒業生たち。東海もTシャツにジーンズというラフな格好で、その中に混じっていた。

「おまえ、東海か? でかくなったなあ」
 青の作業着を着た男が声をかけてきた。同級生の多々野又雄で、地元の電気屋の跡取り息子だ。今は外回りの修行中だが、今日は発掘を掛け合った一人として、仕事を抜けてきたという。
「考えてみればいい加減な話だよな。誰が、どうやって掘り返すのか決めてもいない。三十年後に先生が残ってるはずがないし、卒業生も覚えちゃいない。埋めた場所だって、きちんと記録されてなかったからな」
「場所がわからないのか?」
「学校には残ってなくて、聞いて歩いたよ。おまえにやってもらえば良かったな。専門家になったんだろ?」
 多々野は東海の逆三角形の胸板に眼をやると、もう一度「でっかくなったなあ」を繰り返した。
 しばらく話を交わした後、多々野は別の知り合いに声をかけ、側を離れていった。挨拶をして回っているらしい。東海は再び、発掘の様子を見守った。慣れない作業なのか、手つき腰つきが危なっかしく、踏み固められた土はなかなかいうことを聞いてくれない。それでも、徐々にではあるが、掘り出した土の山は大きくなっていった。

 しばらくすると小さなどよめきが起きて、人の輪が小さくなった。なにか出てきたらしい。東海もつま先立ちになって、中を覗きこんだ。
 地面から、四角い大きな塊が姿を表していた。青年がシャベルでこすると、鈍い金属音が響いて、土の下からくすんだ銀色が表れた。どうやら見つけたようだ。それは高さ五十センチ程の箱で、封をはがして蓋を開けると、中から古い布が顔を出した。タイムカプセルと言うからどんなものかと思ったが、大きなガラス瓶を布でくるんで、ブリキ缶に入れたもののようだ。多々野が東海の隣に戻ってきた。
「見つかって良かった。ここだとは思ってたけど、もし違っていたら、もうわからないからね」
「中身は大丈夫かな」
「どうなっているか、まあお楽しみだね。ガラスは割れてないみたいだ」
 厳重に巻き付けられた布テープがはがされ、いよいよガラス瓶が開けられた。シャベルを使っていた青年が一つ一つ中身を取り出しては、大声で解説を加えている。どうやら、思い出の品々はうまく保存はされているらしい。
「この厚紙はー、絵ですね、水彩画です。名前を書いた紙がちぎれていて、誰のだかわかりません。覚えている人、いますかー」
「これは半紙かな。習字です。もうぼろぼろだね。でも名前はわかります。大宮さん、羽田さん、いるー?」
「これはえーと、作文です。タイトルは『ぼくの夢、わたしの夢』。全員分あるのかな。回すからー、自分のを探してみてください」
 中のものが次々に手渡され、あちこちで歓声が上がった。
「これこれ、あたしのだ!」
「おまえ、いくらなんでもこれは、イタいんじゃないか」
「いやー、なんだこれ。全然憶えてないんだけど。誰かの陰謀だろ?」
 東海にも、『学級通信』の束が回ってきた。茶色くなった紙をめくり、『一学期をふりかえって』などの記事を眺めていると、再び多々野が現れた。どこか、戸惑ったような表情を浮かべている。「ちょっといいか」の言葉に応じて人の輪から離れると、多々野は声を低くしてたずねた。
「おまえ、村上のことは知っているか」
 東海はあいまいにうなずいた。同級生の男だが、同じクラスになったことはない。ただ最近、仕事の関係で、その名前は耳にしていた。
「聞いている。担当が違うから、くわしいことは知らないけどな」
「そうか。おれは地元だからだいたいのことは知ってるんだけど、ちょっとこれを見てくれ」
 多々野が差し出したのは厚手の冊子だった。うっすらと黄ばんでいるが、紙質が違うのか学級通信ほどには変色していない。多々野が開いたページには、全体に大きく、女の子の顔が描かれていた。大きな瞳に強いウェーブのかかった髪の毛は、一昔前の少女マンガにありそうな絵だった。模写かもしれないが、小学生にしてはうまく書けている。
「卒業文集だよ。覚えてるか? これは村上が書いたんだ」
「男が書いたのか」
「あいつ、変わってたからな。異常っていうんじゃなくて、かわいらしい、少しひ弱な男の子って感じで、おれたちより女の子とよく遊んでた。休み時間にペンを取り出して、絵を書いたりしてたな。軸の長い、インク壷に差し込んで使うやつだよ。漫画家になりたかったんだろうな。それより、ここなんだが」
 多々野は絵の下にある書き込みを指さした。そこには『村上一良』の名前の下に大きなハートマーク、そして子供っぽい字で
『鹿村乃亜をぜったいに幸せにする』
と書かれていた。東海はかつての同級生の名を思い出そうとしたが、仲の良かった数人以外は、なかなか浮かんでこない。それにしても、『乃亜』という名前には心当たりがなかった。
「鹿村って誰だっけ?」
「わからない。クラスにはいなかったし、同じ学年にもいなかった。全校なら『鹿村』は二、三人いたけど、名前が違うし村上と仲がいいとは思えなかった。大胆な告白だったから、クラスのみんなで探したんだよ。結局、誰だかわからなかった」
「マンガの登場人物じゃないのか」
「そう思って、女子にも聞いてみたんだ。この絵自体は少女マンガの主人公で間違いないんだが、名前はまったく違うらしい。確か、日本人じゃなかったような……それ以外のマンガやアニメにも、こんな名前はなかった」
「本人に聞かなかったのか」
「それが口を割らなかったんだ。誰が聞いても、何も答えなかった。ちょっと意外だったな、おとなしいやつだと思ってたから。最後はこっちが腹を立てて、喧嘩になったんだっけ」
 多々野の声に、昔を懐かしむような調子が混じる。東海は首をかしげた。懐かしいのはわかるが、話の要点がつかめない。
「それで?」
「だからさ、おれはずっと地元だから、事件のことも知ってるんだよ。あいつ、ストーカーで人の家に忍び込んで、ゴルフクラブで殴られたんだろ? それで逃げようとして、五階のベランダから落っこちたんだ。いい年して、小学生の女の子をつけ回してさ。昔はそんなやつじゃなかった。だけど、やっぱりどこかおかしかったのかもしれない。あいつがつけ回した女の子は、鹿村乃亜っていうんだ」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み