8 アリバイは──デスマーチだ

文字数 2,513文字

 まるで決めぜりふでも吐いたかのように、神束は胸を張って、おれたちの顔を順繰りに眺めた。だが、これはちょっと意味不明だ。宇津井はおうむ返しに問い返した。
「デスマーチ、ですか?」
「はい。そのまま訳すと『死の行進』ですが、今では納期が近いのに完成の見通しが立っていなかったり、十分な人材が回されずに現場が破綻しているプロジェクトを指す言葉になっています。どうしてそれが死の行進かというと、現場の人が連日の徹夜や休日出勤を強いられて、倒れることになるから。そんな状況にならないためには、完成までにクリアすべきタスクを整理し、それらが必要とする時間や資源を把握するといった、プロジェクト管理をきちんと行っておく必要があります。
 この状況、なにかに似ていませんか。そう、アリバイです。アリバイ現象でも、実行すべき様々なタスクがあり、他方でそれに充てるリソースが十分にないために、期限に間に合わない状態が生じている。そう解釈することができますよね。ですが、その事業は現実に、完遂されているんです。犯人はよほど巧みにプロジェクト管理を行ったらしい。そこで私たちも、犯人が行ったはずの管理方法を、後追いで考えてみましょう。そのためには、求めるものは同じなんですから、プロジェクト管理の技法を借用するのが簡単です。今回はPERTという手法を使ってみました」
 神束は立ち上がると、ホワイトボードに次のような図を描いた。



「さて、アリバイの最も基本的な性質とは何でしょう? それは時間的な矛盾です。今回の事件を例にとると、まず『亜佐子が南薮町で典枝を殺した』、『亜佐子が展望所で目撃された』という出来事があり、それぞれの時刻と、『南薮町から展望所へ移動する』ための所要時間がわかっています。この三者の間に、明らかな矛盾がある。ここに我々は、アリバイを認識するわけです。
 しかし、もう少し突き詰めて考えると、どうしてこの三つの時間が『矛盾』を生むのでしょうか? それは、これらの出来事に関連性があるからです。『殺害』と『事故』には亜佐子という共通の登場人物がいます。ですから、亜佐子が典枝を殺害した後に車で逃げ、その途中で事故を起こしたのなら、『殺害』は『事故』の後に置いて、その間を『場所の移動』で結ばなければならないのです。この関連性を、図では矢印で表現しています。以降、出来事を『ノード』、矢印を『アロー』と呼ぶことにしましょう。
 このようにして、ある事件から重要な出来事をすべて抜き出し、それらの間の関係を残らず記載していきます。そうすれば、できた図がそのまま、事件のモデルとなってくれるんです。時間という要素に限定したものですが、アリバイを扱うには、ちょうどいいレベルの単純さでしょう」
「これが事件のデータを整理したものだ、というのはわかりましたが」
 宇津井が疑問を呈した。
「ここからどうするんです。このままでは、ただ間に合わないと言っているだけに思えますが」
「モデルを作ったら、それを『操作』します。つまり、そこに含まれる要素を様々に変えて、矛盾のないものに再構成するんです。具体的には、三つの方法があります。
 一つは、ノードやアローに書かれているものの値を変えること。例えば、『殺害』ノードの時刻を九時二十分にして、『移動』の所要時間を十分に短縮する。これができれば、矛盾は解消され、アリバイは破られることになります。変えるものは時刻や所要時間に限らず、登場人物や行動内容であってもかまいません。それが可能であれば、ですが。
 二つ目は、アローを変えること。削除したり、方向を変えてしまえば、矛盾をなくせるかもしれません。先輩の『殺人の後に事故が起きたのではなく、事故の後に殺した』という答は、これにあたりますね。
 三つ目は、ノード自体を変えてしまうことです。先輩の『事故の目撃など無かった』は、『事故の目撃』というノードを削除した例ですね。ノードの追加もできますが、単なる追加では制約条件が増えるだけなので、既存ノードの修正を伴う形になるでしょう。『二つの場所の中間地点で犯人と被害者が会っていた』ノードを加えれば、移動距離が減るので所要時間も減る、なんていうのがわかりやすいでしょうか。

 もちろん、これらの操作は無制限にできるわけではありません。『殺害』ノードで死んだのが典枝であることは動かせませんし、『事故』ノードを削除するのも無理でしょう。これらができないのは、何らかの根拠があって、そうなっているからです。このモデルでは、それらの根拠は『仮定』として明示しておくことにします。例えば、『警察による鑑定結果は覆せない』と仮定すれば、被害者が典枝であることや、犯行の推定時刻は確定項目となり、操作の対象から除かれます。
 こうして、動かせない、動かすべきでない事実を『仮定』として並べ、その上で、まだ確定していない項目に対して操作を行っていきます。そうすれば、一連の仮定の下での、答の一覧を得ることができるんです。
 それでは、実際にやってみますか」
 神束は手元のノートを1ページめくった。
「まずは仮定の列挙から始めます。最初に、大前提として『犯人は亜佐子または典枝である』と仮定します」
「どうして? 可能性としては、第三者が犯人でもいいだろ」
 すかさず反駁したが、神束は首を振った。
「いいえ。なぜならアリバイとは、特定の人物を犯人と仮定することで、成立するものだからです」



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 本来のPERTは「移動」も独立のノードにするのかもしれませんが、ちょっと変えました。アリバイだとこの方がわかりやすそうなので。
 さて、作者の趣味の時間はここまでなのですが、今回は推理の方も、この「モデル」をがっつり使ったものになっています。そのため、10章~11章に渡ってモデルの図が登場し、探偵はその図を元に推理を展開します(仕方ありません、そういう探偵法なので)。12章では、ちゃんと「解釈」をいれますので、そこまでは読み飛ばして興味があれば読み返していただく、というのもいいかもしれません。
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