3 男は黙ってサッポロビール

文字数 3,090文字

「終わった終わった。あとは残りの発表を聞くだけだな」
 ソファーに腰を下ろすなり、山倉は大きくのびをした。
 喫茶店『深閑堂』の店内には壁沿いに四つのボックス席と、その反対側にカウンター、そしてカウンター奥にもう一つボックス席が設けられていた。窓には厚いカーテンがかかっていて、昼間でも薄暗い。木製テーブルの上にある白色電球のスタンドが、黄色い光を放っているだけだった。山倉のチャコールグレーのPコートが、各務の黒のバイクジャケットと同じ色に見えた。
「なあにが終わっただよ。最初にちょっと手伝っただけで、調べたのはほとんど、ぼくと月穂だったじゃないか」
「共同発表者だからな、いつ質問が来るかとひやひやしてたんだ。おれの仕事はそれさ」
「質問が来ても答えてなかったじゃない。それとも、ハクトに振っちゃえば良かった?」
 山倉の横に座った月穂が追撃した。今日の月穂はデニムシャツの上にモコモコした生地のパーカーを引っかけている。ショートヘアーで、女性としては背が高い方なのもあって、ボーイッシュな印象を与えた。
「いいよぉ? 振ってくれれば答えてたよ。でも本当に怖いのは、質問より沈黙なんだけどね」
 山倉に言われて、各務は大げさに首をうなだれて見せた。
「あー、あれはきつかった。先生、ずっと黙ってるんだもんなあ」
「客の前で出来の悪い発表しやがって、って感じだったな」
「しょうがないよ。私たち、ゼミに入って半年ちょっとだもん。それで一人前の発表なんて、求める方が無理だって」
 月穂が逆ギレ気味に口をとがらせると、山倉が「そうそう。しょうがないしょうがない」と、人ごとのように笑った。きれいに眉をそろえた顔が、化粧っ気のない月穂とは対照的だ。
 各務たちは京都学院大学社会学部の三年生だが、所属する玉田ゼミでは、ゼミ生全員がその年の研究成果を発表することになっている。その発表会が、ついさっき終わったところだった。本来は年度末に行われるものなのだが、今年は三年生だけは十二月に繰り上げられたため、その分、準備期間が減ってしまったのである。
「来週は杉谷さんか。ぼくたちがまとまったから一人になっちゃったけど、大丈夫かな」
「大丈夫だろ。なんせ、勉強をやりなおしたくなってうちに入った人なんだから」
「勉強したい人が、京院大なんかに入るのかなあ」
 笑いながら、月穂は遠慮のないことを言った。杉谷は各務たちと同じ三年だが、別の大学を卒業してから京院大に再入学しているので、年齢はもう二十代後半である。
「ま、発表さえすれば単位はくれるみたいだから、これで一段落だな。ご苦労さまでした。でも、ゼミ発表なんてせいぜい中ボスなんだよなあ。後ろには、ラスボスが控えてんだ」
「就活かあ」
 各務はうなって、苦いコーヒーをすすった。少しの間、ボックス席に沈黙が流れた。

 就職活動、いわゆる就活の時期は年によって変わるが、2013年度は12月に解禁となった。発表会の時期がずれたのもこの影響である。既に合同会社説明会は各地で開かれており、個別の説明会も始まっていた。年が明けたら二月にはエントリーシートを提出、面接やペーパーテストを経て、早い人なら春休みには内定が出るだろう。だが月穂が漏らしたとおり、大学の偏差値で言えば京院大は真ん中よりやや下に位置している。厳しい戦いになるだろうことは、各務にも予想がついた。
「そういえば中富先輩、久しぶりに顔を出してたな。内定、決まったの?」
「まだだってよ。今年の三年生が始まっちまったから、そうとう焦ってるらしい」
「友利さんは? 今年で院を出るんだよね」
「そっちもまだ。教職は無理そうだからいろいろ回ってるんだけど、全部『お祈り』だって」
 『お祈り』とは『貴方のますますのご健康とご活躍をお祈りします』という文言を含むメール、要するに不採用通知のことである。月穂が心配そうに首をかしげた。
「さっきも元気なかったもんね」
「そうだな。中富さんも友利さんも、なんか一気に老けた感じだった。中富さんなんか、以前はゼミのムードメーカーだったのに、一気に十歳くらい年をとったみたいだよな。たった半年で。まあ、一年も就活やってるんだもんな」
「友利さんって頭も切れるし、いい人なのになあ。どうして院なんかに行ったんだろ」
「四年の時、先生に引っ張られたって聞いたぜ」
「そうなのか? それなら、先生が面倒を見てくれないのかな」
「んなわけないだろ。この大学は歴史が浅いからな、研究職なんて無理だよ。うちの教授たち見ても、OBなんて一人もいないだろうが」
 山倉に訳知り顔で言われて、各務は教授や准教授たちのプロフィールを思い浮かべてみた。確かに、どの先生も他の大学から来た人ばかりで、京院大の生え抜きは一人もいない。玉田教授も、たしか大阪大学の出身だった。
「まあ人のことより、いよいよおれたちの番なんだよなあ。そういえば、この間テレビでニュース見てたんだけどさ」
「おまえ、ニュースなんて見るのか」各務が軽く茶々を入れる。
「チャンネル回したらやってたんだよ。って言うか、おれもニュースくらい見るよ。で、どっかの合同説明会が写ってたんだけど、そこで一発芸みたいなのをやったやつがいた」
「合同説明会で?」
「小さいブースで五、六人しかいなかったから、集団面接みたいになってたのかな。その中の一人が叫んでたんだ。『お金で買えない価値がある。買えるものはマスダカズヤ!』」
「マスダカズヤ?」
 人名なら『増田一也』あたりだろうか。だとしても、各務には意味がわからなかった。
「クレジットカードのCMをひねったんだろ。それで考えたんだけど、こんなのはどうだ? インフラ系の面接に行って、ずっと黙ってんの。それで最後に一言だけ、大声で言うんだ。『いい国作ろう、山倉博人! どうぞよろしく!』」
「なんだよそれ」
「たぶん、あれでしょ。『男は黙ってサッポロビール』の真似」
 苦笑を浮かべながら、月穂が解説した。
 就活生の間には、いくつか伝説めいた出来事が語り継がれているが、その一つにこんなものがある。サッポロビールの面接で、ある学生は何を聞かれても黙ったまま、答えようとしなかった。腹を立てた面接官が面接を打ち切ろうとして、「最後に何か言っておきたいことはあるかね」と尋ねると、学生はこう言い放った。「男は黙ってサッポロビール!」。その学生は見事に合格したという……
「あれは、あのセリフがサッポロビールのCMコピーだったから決まったの。何でも勢いよく言えばいいってことじゃないんだからね」
「ま、本当に合格したかもわからないしな。そういえば一発芸のやつ、女の子とアベックだった上に、二人とも私服だった。ジーパンにスニーカーでさ、何考えてんだろ」
「『お好きな服装でおいでください』を鵜呑みにしたんじゃない?」
「そっか。それだな。ま、たぶん名前は覚えてもらったんじゃないか。ブラックリスト入りだろうけど」
 山倉は無責任なことを言って笑った。もちろん、説明会の通知にある『お好きな服装』とは社会人としてのお好きな服装であり、私服で良いという意味ではない。だが、就活本を読んでいなければ、各務も間違えたかもしれかった。意地の悪い引っかけ問題みたいだ。



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 この話も数年前に書いたものなので、就活スケジュールなどは当時(2013年)のものです。現在の日程に直したところで、どうせまた変わるでしょうから、このままにしておきます。就活に苦闘する学生の背景は、木枯らし舞うキャンパスが似合いそうですしね。それに……。

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