10 大盤解説でも見ているような

文字数 2,520文字

「この中で、時間的に間に合っていないのは、『殺人』ノードから『事故』ノードへのつながりです。何らかの操作によって、つじつまを合わせる必要があります。例えば」
 神束は『事故発見』のカードの下に『嘘』と書き加え、『事故』を少し右にずらした。



「『事故発見』ノードの内容をを『嘘』として『事故』の時刻を後ろにずらせば、昨日先輩が唱えた、目撃者偽証説になります。アローの方も、つけ直さないといけませんけどね。それから」
 カードを元に戻すと、今度は『殺人』を『窃盗』の右隣に移して、



「『殺人』ノードの『場所』を北藪町にして内容を『典枝が亜佐子を殴打』に変えてあげれば、典枝犯人説になります。共犯者による身代わり説は、『事故』ノードを『窃盗』と『殺人』の間に移し、『事故発見』の『亜佐子』を『共犯者』に変えればいいでしょう」



 神束はカードを動かしながら説明を加えていく。なんだか、将棋の大盤解説でも見ているみたいだ。その様子を眺めながら、おれはつぶやいた。
「そういう入替を、全部試すのか? かなり面倒だな」
「ですが、可能性があるのなら、検討すべきです。アリバイって、めんどうでしょ? こんな複雑な問題に、走査的な推理で答を出せる人間の能力はすばらしいと言えますし、そこに見落としが出るのもやむを得ないとも言えます」
「それをやっていけば、最後は答が一つになるのかね」
「いいえ。密室に比べて条件の縛りが緩いので、複数の答が残ってしまいがちですね。でも、答を絞ることはできなくても、選ぶことはできます。答が複数出たのなら、その中から最も優れたものを選べばいいんです。たとえば、昨日お話があった車の向きですが、あれは仮定に入れると、向きを説明できない推理は即、失格となってしまいます。そこまで強い材料ではないでしょう。ですので、これはできた推理を選ぶ際の評価項目として扱いたいと思います。本来は評価もできるだけシステマティックに行いたいところですが、今回は本職の警部さんがいますので、その経験に委ねることにしましょう。
 仮定の設定、モデルの作成は以上です。これで準備が整いましたので、いよいよモデル操作に移ります」
 神束は再びカードを戻した。ちょっと頭を引き、元通りになっているかどうか確認してから、
「とはいえ、今回は、設定した仮定のおかげで、操作できる項目はかなり少なくなっています。
 『事故』と『事故発見』の二つのノード以外は、すべての項目が確定となっていて、変えることができません。それらが実際に起きたことも、警察や消防、あるいは事件の中心にない人物の証言によって確定ですので、ノードの削除もできません。アローも、亜佐子や典枝の関与が確定しているノード間は結ばなければなりませんから、ほとんどが削除不可です。さっきの三つの答すべてを否定できるのも、仮定のどれかに反しているからです。
 結局、できるのは『事故発見』の内容や配置を変えること、『事故』の時刻と配置を変えること、この二つだけとなります」
 神束はマーカーの先っぽで、二つのカードを交互につついた。
「このうち、『事故発見』は主役にはなりません。仮にこの出来事が無かったとしても、それだけでは、時間的な矛盾は解消しませんよね。つまり、これをいくらいじったところで、解決にはならないんです。事件解明のためには、『事故』ノードを操作するしかありません。そして『殺人』と『事故』に登場する『亜佐子』は確定で動かせませんから、両ノードは、少なくとも間接的にはアローでつなぐ必要があります。では、どちらを前に置くか。
 まずは、今のまま、『殺人』を前にしてみましょう。すると、アローの所要時間二十分は確定、『殺人』の終わりは早くて二十一時半ですから、『事故』は最も早くて二十一時五十分となります。事故が起きたのは偶然ですから、これ以前に事故を知ることはできません。従って、尾藤が展望所で事故を発見し、二十二時までに消防署にかけ込むのは不可能となります。これを間に合わせるには、亜佐子から尾藤へ何らかの方法で事故を連絡し、尾藤が事故を目撃したと、虚偽の通報を行うしかありません」



「アリバイのために事故を偽装するんじゃなくて、本当に事故を起こした、って意味か? で、その後で尾藤に偽証を頼んだのかな。そりゃ、そうすれば時間的には間に合うかもしれないが……どうしてそんなことをするんだよ」
 おれは質問を入れた。当然の疑問だと思ったのだが、神束は困ったものだというふうに軽くため息をついて、
「理由については、この段階では考慮しません。アリバイは一種の不可能状況なんですから、最優先すべきなのは、不可能性の排除です。ある推理が事件の大部分を説明できたとしても、それが物理的に実行できなければ、答としては落第ですよね。逆に、ある推理が実行可能なら、他の理由、たとえば動機などによって否定すべきではないでしょう。最初に設定した仮定も、満たしているんですから。動機の不自然さは、評価の段階で考慮すべきです。
 ということで、ここは決定権限を持つ警部さんの評価を伺いたいと思います。警部さん、この答を受け入れますか?」
 神束が話を向けると、宇津井は即座に首を振った。
「尾藤共犯説をアレンジした感じですが、あまりうまくありませんね。運転手が死んでしまった点が回避できる代わりに、尾藤との連絡手段という問題が生じています。亜佐子の携帯に、八時二十分以降の通話記録はありません。何らかの理由で、予め別の携帯を用意していたという逃げ道はありますが、やはり苦しいですね」


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 時刻についてだけ、根拠を書いておきます。「事故」「事故発見」以外は、公的機関の記録や第三者の証言が根拠なので、確定値となっています。
窃盗    亜佐子の目撃証言-前後10分の幅
電話    電話局の記録
殺人    鑑識+前後10分+所要時間10分
死体発見  発見者の証言+前後10分
事故    「事故発見」からの逆算+10分の余裕
事故発見  発見者の証言+前後10分
通報    消防の記録
消防到着  消防の記録

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