1 平和な南の島にいた

文字数 3,298文字

 第5話は会話形式で進行します。そのためにインデントを入れたいのですが、自動で入れてくれる機能が無いようですので、手動で改行とスペースを入れて、それらしい形に成形しました。が、オートインデントではないので、スマホなど横幅の短い画面では、改行位置が乱れてしまいます。そこで、36文字改行版と18文字改行版の二つを用意しました(後者はタイトルに「18文字改行版」と入れてあります)。内容はまったく同じですので、両方を読んでいただく必要はありません。
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(宇津井警部、手にした数枚のルーズリーフをぼんやりと眺めている。紙は少し
汚れており、左肩に一枚の写真がとめてある)
神束 :なにしてるんです?
宇津井:ああ、神束さん……いえ、何でもありません。少々考え事を。
神束 :なんですそれ。また事件ですか?(ルーズリーフを見ながら首をかしげ
    る)
宇津井:いえ、事件ではありません。事件ではないのですが、ちょっとありまし
    てね。
今野 :おまえなあ、わざわざこんなとこまで来て、何してんだよ。
(今野が立ち上がり、宇津井の反対側からのぞき込もうとする。その紙には、こ
んな文章が書かれていた)

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   ふと思い出すことがある。そう以前のことではない。ほんの数日前の話だ。
   ぼくたちは、平和な南の島にいた。どこかが狂ったような暑い日が続き、
  窓からはあふれるほどの光が差し込んでいた。真っ白い部屋の中で、稚子は
  腕を組み、カンバスを見つめていた。……
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今野 :なんだこれ。小説か?
(宇津井は肩をすくめ、写真を外す。そしてルーズリーフだけを神束に渡す)
宇津井:実はこんなものが届いたのです。私の担当とも思えないのですが、どう
    にも判断がつきかねましてね。
神束 :読んでいいんですか?
宇津井:(軽くうなずき、二人の顔をじっと見つめる)どうぞ。でも、面白いも
    のではありませんよ。

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   ふと思い出すことがある。そう以前のことではない。ほんの数日前の話だ。
   ぼくたちは、平和な南の島にいた。どこかが狂ったような暑い日が続き、
  窓からはあふれるほどの光が差し込んでいた。真っ白い部屋の中で、稚子は
  腕を組み、カンバスを見つめていた。ぼくは友香梨の肩を軽くたたくと、車
  椅子から離れて稚子の右に立った。なにかのデッサンらしいが、何を描いて
  いるのかはわからない。
  「おまえ、女なんだから」
  「え?」
   稚子はきょとんとしている。ぼくは彼女の耳に手を伸ばし、短く切った髪
  からのぞいている鉛筆をさっと引き抜いた。
  「ハハ、ありがと。でもこうしないと気分でないんだよね」
  「もう、おねえちゃんたら」
   友香梨が笑うと、稚子は
  「あんたも人のこと言えないでしょ」
  と、妹の手を指さした。右手の薬指と中指には絆創膏が貼られている。
  「ちゃんと料理できなきゃ、布川君にきらわれるよ」
   友香梨はちょっと顔を赤らめた。
   稚子は鉛筆をぼくから取り、髪の毛にさしなおすと、再び腕を組んだ。袖
  からやけどの痕がのぞいている。子供のころ、妹と遊んでいてできたという
  やけど。今でも家族以外には見せたがらないが、ぼくの前では気にしなくな
  っていた。ぼくは友香梨の側に戻り、長い髪がかかっている肩に手を置いた。
  性格も外見も対照的な二人だが、こうして横顔を見ていると、やはり姉妹だ
  と思う。
   友香梨は軽く頭をあずけて、幸せそうな表情で目を閉じた。
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   気がつくと、もう外は暗くなっていた。唇が離れ、ぼくの体が離れるとき、
  車椅子がきしんで音を立てた。暗がりでみる彼女の表情は、いつもより悲し
  げに見えた。
  「ちゃんと食べた?」
   彼女は小さくうなずく。しかし見たところ、食べ物はほとんど減っていな
  い。
  「友香梨、ちゃんと食べないとだめだ。良くなるものも良くならないよ」
   少し大きな声になった。彼女は二の腕を抱いたまま動かない。差し出した
  スプーンはおとなしく受け取ったが、目の前の皿に手を付けようとはせず、
  中のスープをじっと見つめている。髪をなでようと頭に手をのばしたが、彼
  女は左手をあげて、ぼくの手をそっと外した。
   ぼくがドアを閉めるときも、彼女はまだスプーンを持ったままだった。廊
  下に出ると、友香梨の母親が心配そうな表情で立っていた。しかしぼくには、
  彼女にかけるべき言葉が見つからなかった。だから
  「まだ、会いたくないって」
  とだけ告げて、その側を通り過ぎた。
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  今野 :なんだこれ、小説か? なんでこんなところで、こんなもの読んで
      るんだよ。おまえが行こうって言うから、久しぶりの母校に来たっ
      てのに。嫌がる神束を引っ張ってさ。
  神束 :まあ、私も久しぶりに一ノ谷先生にお会いしたかったですから。で
      いいんでしょうか。教授室に、三人も押しかけてしまって。
  今野 :いいんじゃないかな。先生、お留守みたいだから。それにしても不
      用心だな。部屋を開けっぱなしにしたままで。
  神束 :全然、戻ってきませんもんね……ところで、ルーズリーフに書いて
      あった文章ですけど、これって小説でしょうか? それにしては短
      すぎます。けど、日記にしては書き方が不自然ですね。
  宇津井:基本的には日記です。書き方が変なのは書き手が趣味で小説を書い
      ていたからで、短すぎるのは、ここにあるのが、そのうちの一部だ
      けだからです。
  (今野、添えられていた写真を手に取る。車椅子に長髪の少女が座り、両隣
   に若い男女が並んでいる)
  宇津井:車椅子に座っているのが白谷友香梨、隣のショートカットの女性が
      姉の白谷稚子です。もう一人の青年が手記の『ぼく』で、布川仁茂
      というK大の学生です。
  今野 :ここの学生なのか……(姉妹を見比べて)似ているようなことが書
      いてあるけど、写真だとそうでもないな。
  宇津井:友香梨は子供の頃の事故が原因で下半身不随になり、実家で両親と
      一緒に暮らしていました。稚子はK市の美大に進学しているのです
      が、この時は帰省していたのでしょうね。布川は学生ですが友香梨
      と婚約しており、これは彼が婚約者の実家をたずねたときの記録で
      す。
  神束 :と言うことは、本当にあったことなのかな。
  宇津井:聞いたところでは、フィクションではないようですね。もっとも、
      他人にはどうでもいいことですが。
  今野 :まさにどうでもいい内容だな。しかし宇津井、おまえが持っている
      んだから、仕事関係なんだろ。
  宇津井:まあ、そうなのですがね。
  神束 :そうなの? じゃあ今回のテーマは、「叙述トリック」ですね!



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 と言うわけで、第5話は「叙述論」です。ただ、叙述トリックというものは、多くの人がいろいろな議論をしている(そういう議論をしたくなる)題材だと思います。私はその手の論をあんまり読んでいませんし、その人たちより深い議論ができている自信も、あんまりありません。と言うわけで、叙述「論」というほどのものではない、ちょっと名前負けの話になっているかもしれませんが、そのあたりは素人の書いたものと言うことで、勘弁していただければと思います。


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