9 アリバイ論再び

文字数 3,342文字

「今回の出来事を、確率現象ではなく、『予言』という、一つの不可能現象として捉え直してみましょう」
 神束は続けた。
「そこには、どんな不可能性があるのでしょうか。予言現象では、まずなんらかの予言がなされ、その後で予言の内容が現実となります。もう少し詳しく言うと、まず予言が書かれ、その後で内容が明らかにされ、他方で予言された事が実現し、後にその実現が知らされます。予言が書かれた時刻が、内容の実現を知った時刻よりも早ければ、予言現象が成立します。ここで不可能性を作っているのは、時間的な矛盾です。
 時間的な矛盾による不可能性……どこかで聞いたことがありませんか。そう、アリバイです。時間的な矛盾という形が、まったく同じですよね。つまり、予言とはアリバイの一種、情報に関するアリバイ現象なんです」
 神束は、アリバイの時と似たような図形をホワイトボードに描いた。



「以降では、予言の内容を『予言情報』、予言内容が実現したという出来事を『事実情報』と呼ぶことにしましょう。
 『予言情報の発生』とは、その予言がなされたことを指します。『開示』と別になっているのは、たとえば『予言を書いた紙を封に入れ、時間をおいて開封する』場合などは、二つの間にかなりの時間が空くからです。その間に細工をするのは、手品などではよくある手ですね。
 『事実情報の発生』は、普通は、その出来事が起きたことを指します。が、これはあくまで『情報』の発生であることには、注意が必要です。例えば、その出来事がかなりの確度で予想可能だったり、あるいはそれを実行する計画が立てられていた場合には、その予想や計画立案が『情報の発生』となることがあります。
 さて、この図だけでは、予言と事実が一致した理由がわかりませんので、その説明が必要になりますね。ここで、前提として三つの仮定を置きます」
 神束は左手の指を一本ずつ立てながら、説明を加えていった。
「一つ目は、『予言情報と事実情報が、まったくの偶然で一致することはない』です。偶然の一致については確率論で考えましたから、こちらでは無視してもいいでしょう。
 二つ目、『実際には一致していない予言を、一致したと錯覚してはいない』。何を当たり前のことを、と言われそうですが、これ、実際にはよくあるんです。例えば、どこかの予言者が世界に終末が来ると予言して、それが外れたとしましょう。しかし、予言者を信じる人は、それを認めようとしないんです。『予言の解釈が間違っていた』とか、『予言のおかげで、終末を回避できた』と言いだして、実際には予言は当たっていたんだ、と思い込んでしまうんですね。こういった集団心理は、社会心理学などからは面白いかもしれませんが、私が想定する『予言』とは関係ありませんので、考慮から外すことにします。
 最後に、『事実情報は、予言情報の影響で発生したのではない』。これで、いわゆる自己成就予言を除外します。自己成就予言とは、予言そのものが原因になって、予言の中身を実現してしまうもので、たとえば銀行が破産するという予言で取り付け騒ぎが起こり、銀行が本当に破産するような例がこれにあたります。昔、日本でも似たようなことが起きてますね。この事件で言えば、『村上は自分が描いた絵に影響されて、鹿村乃亜をストーキングした』となるでしょうか。しかし、こういった精神医学的な可能性は警察でも検討済みで、その答に満足できなかったからこそ、警部さんはここに来たんでしょう。ですからこれも、今回の検討からは外すことにします。

 さて、これらの仮定から言えることがあります。偶然の一致ではないんですから、『予言情報の発生』と『事実情報の発生』には何らかの関係があることになり、したがって両者は直接あるいは間接に、アローで結ばれます。また、事実情報は予言情報から発生したのではないんですから、予言情報から事実情報への矢印は不可となります。よって、アローの結び方は次のいずれかとなります」
 神束はさらさらとマーカーを滑らせて、矢印を一本と、新たな図一つを書き足した。





「二つ目の図は、予言情報・事実情報共通の原因となったなんらかの『元情報』があった場合を表しています。今回の例で言えば、村上も鹿村夫妻も、有名なキャラクターにちなんだ名前をつけた、なんてケースがこれにあたります。ただし、先ほどの検討でも述べたとおり、今回は元情報になりそうなものはありませんでした。ですので、今回はこちらのモデルは無し。一つ目だけを、考えればいいでしょう。
 あ、そうだ。仮定をもう一つ追加しておきましょう。『警察など公的機関の記録・鑑定に誤りはない』。前回も同じ仮定をしましたが、今回のこれは基本的な事柄の確認です。具体的には、問題の卒業文集は間違いなく11年前のものであり、原稿締め切りは前年の12月で年度内に配布されており、後から絵や文章の差し替えはされていないこと。それから、ストーカー被害者の名前は間違いなく鹿村乃亜で、年齢にも偽りがないこと、くらいですかね。他にも細かい事実は使うかもしれませんが」
 神束は「かまいませんよね?」と宇津井に確認を入れると、二つの図をささっと消し、新たな図を書き上げた。



「では、さっそく具体化していきましょう。
 今回は『情報の開示』は関わりませんし、場所という要素も省略できますので、非常に単純なモデルになります。事実情報が11年前、予言情報が12年前ですから、これは矛盾です。なお、事実情報の内容は『子供の名前の決定』です。ストーカーや家宅侵入ではありませんので、念のため注意してください」
「ちょっと待った。名前だけでいいなら、鹿村夫妻が村上の絵を見た、って答でもいいんじゃないか? 確か、当時は地崎市に住んでたんだよな。まあ、小学校の卒業文集を見る機会なんてあんまり無いだろうし、そこから子供の名前を決めるとも思えないけどさ」
「思えませんね。それに、乃亜という名前は、夢子の両親から一文字をもらって付けたはずです。可能性ゼロとは言いませんが、ほぼそれに近いでしょう。もちろん、警部さんが今の答でいいのなら、それでもかまいませんが……」
 神束はこんな答を返し、宇津井は黙って首を振った。神束は続けた。
「モデルを作ってしまえば、あとは可能な操作を試してみるだけです。
 まずはノードやアローの削除ですが、これは不可です。仮定により、『鹿村乃亜』の名前がつけられたこと、村上が『鹿村乃亜』の名を書いたこと、両者に関連があることは確定です。この答は成立しません。
 次に、『原稿への名前の記入』時刻を遅くする操作ですが、これも不可能です。仮定により、名前が卒業文集に書かれており、後から差し替えられたりはしておらず、原稿締め切りは12月で、少なくとも年度内には文集が配られたことは、確定しています。
 三番目は、『子供の名前の決定』時刻の操作。これは可能性があります。名前が正式に決まったのは出生届を提出した時ですが、それを計画した時刻なら、遡らせることができるからです。例えば、妊娠がわかった時点で子供の名前を考えた。あるいは前々から男ならA、女ならBと名前を決めていた、なんてケースは、よくあるのではないでしょうか。妊娠期間を十ヶ月とすれば、八月生まれなら妊娠したのは前年の十月頃となり、十二月より前にすることができます。よって、この答は成立します」
「え? そりゃできないことはないだろうけど、どうやって村上が知ったのさ」
「この段階では、モデル操作で不可能性が解消できるかどうか、それだけを考えます。出た答をどう解釈するかは別の問題で、必要なら後で検討すればいいでしょう。
 最後は、各ノードの登場人物を鹿村・村上から変える操作です。子供の名前を村上がつけた、あるいは原稿に記入する名前を鹿村が決めたのなら、名前が一致するのは不思議ではなくなります。が、これだけでは時刻の矛盾は残ったままです。矛盾を解消するには、結局は子供の名前を決めた時刻を変える必要があります。この操作だけでは、答とはなりません。

 まとめます。本事件は、子供の名前を決めた時刻を早めることで、解明することができます」




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