4 人間なんて変わるから

文字数 3,700文字

 宇津井は一息入れて、ちらりと神束を見た。が、相手はそっぽを向いたまま、何の反応も示さない。宇津井は視線を戻して説明に戻った。
「位置関係を整理しますと、殺しのあったのが南薮町、亜佐子のアパートのあるのがその北の北藪町です。事故があったのはちょうど町境のあたりで、稲川という大きな川の川沿いでした。川沿いにある小さな展望所の、すぐ近くでぶつかっています。被害者宅まで車で二十分、亜佐子宅へも同じく二十分ほどの位置です。事故のあった国道は北薮町と南薮町を直接つなぐ唯一の道なのですが、山間部を走る狭い道路のため、多くの車は西回りの『新道』を使います。こちらは『旧道』と呼ばれており、交通量は多くありません。なお、当日は雨のため旧道は通行止めでしたが、物理的に閉鎖してはいなかったので、走行は可能でした」



「事故を発見したのは北薮町の自営業者、尾藤光則。午後九時三十分ころ、南薮町から自宅へ戻る途中、軽トラックと乗用車が正面衝突しているのに出くわしました。軽トラックはひどい状態で、潰れた車体に運転手が体をはさまれており、乗用車の運転席でも、女性が気を失っていたそうです。その後、救急により二人とも救出されましたが、軽トラックの運転手は病院で死亡が確認され、乗用車の女性も一旦意識が戻ったものの、その後様態が急変して死亡しました。女性の死因は脳出血。シートベルトを装着していなかったため、衝突時にフロントガラスに頭部を激しく打ち付けたものと思われます」
「その女が、安沢亜佐子?」
「そのとおりです。道がふさがれていたため、尾藤は南薮町へ引き返し、消防署まで出向いて事故を伝えました。消防の記録によると、通報受理は十時ちょうど、事故現場に到着したのは十時二十分となっています」
「出向いたっていうと、消防署まで直接行ったのか」
「尾藤は七十八歳の老人で、携帯を持っていないんですよ。最近は公衆電話も少ないですからね。それに、旧道が通れなければ南薮町に戻って新道を回ることになりますが、消防署はその道順にあるんです。
 問題は時刻です。事故を発見した九時三十分は、犯行推定時間と同じなんですよ。事故現場から犯行現場までは車で二十分、犯行に要した時間や事故を起こしてから発見されるまでの時間も考慮すれば、さらに長い時間が必要になるでしょう。それが、ほとんど同時刻になってしまっているんです。
 もう一つ、車の向きもふに落ちません。犯行後に事故を起こしたなら北薮町方向に走っているはずなのですが、典枝の車は南薮町へ向かっていました。形だけ見れば、犯行に行く途中で事故にあっているんですね。まあこれについては、何らかの理由で現場に戻ろうとしたのかもしれませんが」
「何らかの理由、って何だよ」
「わかりません。何か忘れ物でもしたのか、現場に証拠を残してきたと思ってしまったのか。想像だけならいくらでもできますが──」
 ふと見ると、神束はいつの間にか姿勢を正し、広げたノートに何か書き付けていた。顔つきはだいぶましになったが、まだ自分から話し出しそうな気配は無い。
「犯行時間と事故の発見時間が同じ、ねえ……ドライブレコーダーはどうだったの」
「二台とも積んでいませんでした」
「犯行現場まで二十分と言ったけど、ほかに道はないのかね。新道を走った方が早い、とか」
「ありません。新道は通行可能でしたが、西隣の九山市をぐるっと回るので、事故現場からだと一時間はかかってしまいます。他に未舗装の林道もありますが、時間的にもコンディション的にも、無視していいでしょう」
「何か裏技的なものは無いのかな。例えばだけど、実はバイクなら車より早く着く、とか」
「旧道は道幅が狭く、カーブも多い山道です。当日の天候も考えれば、バイクにしろ自動車にしろ、タイムを縮めるのは難しいですね」
 それもそうか。普通に考えれば、一番早い交通手段は地元の人が考える方法で、かかる時間も地元の人が考える時間が正しいのだろう。
「じゃあ、事故が起きた時間はどうだ。もっと遅くならないのかな。発見したおじいさんが、時間を間違えたってことは?」
「通報時刻の十時は消防署の記録ですから、これは間違いないでしょう。ここから逆算すると、遅くとも九時四十分には発見していたはずです。発見者によると、現場をちょっとうろついた後、慎重に運転して山を下りたそうですので、九時三十分という時間にそれほどの狂いはなさそうです」
「だったら、犯行時間のほうが違っているんだ」
「そう考えたいのは山々ですが、現場の状況、主に血痕の凝固の状態から割り出されたのが、九時三十分という時刻です。幅があるとしても、せいぜい十分程度でしょう」
「それは鑑識の結論なんだな」
「もちろん。科学的な判定結果です」
 科学と言われては、こちらも引き下がるしかない。だが、事故の時刻と犯行時刻に間違いがなく、移動時間も短くできないなら、どうしようもないように思えるのだが。
「要するに、アリバイってやつだな。犯人は死んじゃってるけど……待てよ。犯人は、本当に亜佐子なのかね。典枝を殺す理由なんてあったの?」
「亜佐子の銀行口座を調べたところ、動機に結び付きそうなことが出てきました。典枝の口座から、定期的にお金が入っていたのです。月に一度、十万円の振り込みが、三年ほど前から続いています。亜佐子はその振り込みとわずかな貯金の取り崩し、そして両親からせびったお金で生活していたようですね」
「仕事はしてなかったのか」
「五年ほど前まで居酒屋でパートをしていましたが、今は無職です。職場の人間ともめて、暴行事件を起こしたようですね。警察沙汰にはなりませんでしたが。現在は独身の一人暮らしで、結婚歴もなし。周囲には、自分は必ず作家になってみせる、新人賞の最終選考に残ったこともあるんだ、などと吹聴していたようです」
 宇津井はフンと鼻を鳴らした。どうやら、彼にとってあまり好ましいプロフィールではないようだ。
「その振り込み、友人の夢を叶えるための応援……ではないよなあ。もしかして、恐喝?」
「おそらくは。二人は、高校時代は親友と言っていい間柄で、卒業後も親しくしていました。しかし、三年ほど前に仲違いしたらしく、今ではほとんど口もきかなくなってしまったそうです。仲が悪くなった頃に、援助を始めるのは不自然でしょう。
 恐喝のネタはわかりませんが、想像をたくましくするなら、典枝の夫がらみですかね。死別したと言いましたが、死因は自殺だったんです。その原因について、親友だった亜佐子に典枝が相談し、それが今になって脅しに使われた、なんてのはどうでしょう。このあたり、想像以上のものではありませんが」
 神束が、思い切り不快そうに顔をしかめた。こういった欲望むき出しの人間関係は、こいつの苦手分野である。
「そんなやつがたずねてきて、典枝は家に上げたのかね」
「亜佐子は二十時二十分に、典枝に電話をしています。典枝が自宅にいることを確かめたのでしょうが、その際、これから行くと伝えたのかもしれません。雨で動けなくなったなどの言い訳を使ったのか、それとも脅しめいたことを言って従わせたのか、はわかりませんが」
「高校時代の親友を、恐喝ねえ。まあ、人間なんて変わるからな……ちょっと待て。恐喝を受けたのは典枝の方だろ。だったら、典枝が亜佐子を殺そうとするんじゃないのか?」
「感情のもつれの原因となるものがあった、ということです。そこから、殺意が生まれた可能性はあるのではないでしょうか」
 わかったようなわからないような説明をしたあと、宇津井はこう付け加えた。
「まあ動機はともかく、血痕や組織片という物証がありますから」
 それは説得力がある。が、だったらどう考えればいいのか、がわからない。
「じゃあ、とりあえず亜佐子が犯人だとして……話はアリバイに戻るわけか。そうなると、今まで聞いた話のどこかに、嘘か間違いがあるはずだ。一番怪しいのは、自動車事故かな……そうだ! 事故のあった旧道は、雨で通行止めになってたんだよな。だとしたら、事故を見たって話自体が嘘だった、ってのはどうだ?」



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 アリバイものの場合、細かい時刻や場所を全部説明しなければならないのが面倒ですね。読む方も面倒でしょうから、簡単な時刻表を作っておきます。こんなの出すのなら、本文がいらないんじゃない? と言われてしまいそうですが、必要なんです。あらすじの中に伏線を入れることはできませんから。

18:30頃 典枝、北藪町のスーパーで目撃される
19:25  典枝、自宅で会社からの電話を受ける
19:27  典枝、自宅で息子に電話
19:40  木下、自動車を北藪町の道路に放置
20:15  亜佐子、木下の車の近くで目撃される
20:20  亜佐子、典枝に電話
21:30頃 尾藤、交通事故を発見
21:30? 亜佐子、典枝を殺害(警察による犯行推定時刻)
21:40  駒坂、典枝の死体発見
22:00  尾藤、交通事故を消防へ通報
22:20  消防、事故現場到着
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