4 コラムの件は、ちょっと保留に

文字数 2,476文字

「そういうのって面倒だよなあ。正直、もう少しのんびりしたかったよ。あと一年くらい、待ってくれないかな」
 各務のぼやきに、山倉がすかさず突っ込んでくる。
「なに、おまえ留年すんの?」
「そんなことしたら、就活がアウトになるだろ」
「じゃああれか、杉谷さんみたいに再入学」
「ますますアウトだよ。山倉は一浪だったよね。いいなあ。なんだかずるいよな、一年長く学生やって」
「この大学が決まったのは最後の最後だったから、かなり焦ったけどな。おまえは現役だっけ? 浪人は許しても、留年はこの社会が許さねえ。ま、社会が不公平なのはよくあることだ、あきらめな。それが嫌なら、どうにかして利用してやるんだな」
「留年をどう利用すればいいんだよ。あーあ。今からでも浪人したことにして、その一年分を取り替えてくれないかな」
 ぼやき続ける各務に、月穂が半分あきれ顔で言った。
「バカなことを言っててもしょうがないでしょ。早いうちに内定を決めて、その後で遊べばいいじゃない。そのためにもきっちり準備しておこうよ、ね」

 店を出て、停めておいたバイクに向かうと、月穂が物珍しそうに近寄ってきた。
「各務、こんなところにバイク置いてるんだ」
「大学の中が狭いからね。マスターにはちゃんと許可を取ってあるよ」
「大きいね。何cc?」
「二百五十。大きくもないよ」
「ふーん。気をつけなさいよ。この時期に捕まったり事故を起こしたりしたら、取り返しがつかないかもしれないんだから」
「大丈夫だよ、制限速度でしか走らないから。今日もぴったり六十キロで走ってきた」
 それを聞いて、山倉はニヤニヤと笑った。
「十キロならスピードガンの誤差の範囲で捕まらない、って言うからな。でも、気をつけろよ。サッポロビールと同じで、それも伝説かもしれないぜ」
 じゃあな、と軽く別れの挨拶をして、山倉と月穂は店の前の坂道を下っていった。くっつけるように肩を並べ、楽しげに言葉を交わしている。最近になってつきあい始めたらしい。骨細で中性的な顔つきの山倉と、ボーイッシュで背の高い月穂。男女が逆になったようなシルエットだが、いかにも仲むつまじい姿だった。
 ふと、あの二人、これからどうなるのだろうという、(らち)もない疑問がわいた。卒業し、就職したら、今の生活は一変する。場所的に離ればなれになるかもしれないし、運良く勤務地が近くになっても、自由な時間は限られるだろう。その変化は、大学に進んだときの比ではないはずだ。環境が変わり、生活が変われば否応なく、気持ちも変わってしまうのではないか……できればこのままでいて欲しい、と各務は思った。なんとなくではあるけれど、我らの青春時代の記念として。
 学生生活は、あと一年以上も残っている。それでも、就職活動がスタートしたという事実は、そんなこと──青春なんていう、今まで考えたこともない言葉にさえ、目を向けさせるものらしかった。

 そんなことを考えながら二人を見送っていると、各務の背後から声がかかった。
「各務君ですね?」
 裏返ったような女性の声だった。振り返ると、どこか見覚えのある女性が立っていた。
「あれ? あなたは、えーと……」
「先ほど、ゼミにお邪魔させていただいた者です。発表、ご苦労様でした」
 声は依然として高いままで、どうやらこれが地声らしい。女性は名刺を取り出した。そこには『神束陽向』という名前の上に、『月刊パスカル』という雑誌名が印刷されていた。
「記者さんだったんですか。月刊パスカルって、科学雑誌でしたっけ」
「はい。次号の特集が『都市伝説』に決まったので、玉田先生にお話を伺っていました。そうしたら、ちょうど噂のテーマで発表する生徒がいるので、聞いていかないかと誘っていただいたんです」
 こう言われて、各務は申し訳ないような気持ちになった。
「なんかすみません。つまんないものを聞かせてしまって」
「いえ、面白かったですよ。ネットで調べれば簡単なところを、あえて口頭で語られる噂に絞ったのは、良かったと思います。あの幽霊の噂、コラムの中で使わせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「もちろんです。もしかしたら、そんなことで追いかけてきてくれたんですか?」
「本当は、早めに原稿をまとめたいと思って、静かそうなお店に入ったんですけどね」
 神束は喫茶店の看板にちらりと視線をやった。深閑堂の名前のとおり、BGMなどは流れていないが、あの照明で書き物は難しいだろう。
「仕方ないのでコーヒーを飲んで一休みしていたら、あなたがたのお話が聞こえたんです。失礼とは思いましたけど、耳に入ってきてしまって……そうだ。少し確認したいのですが、幽霊の噂はどこで集めたんですか。一つはサークルと聞きましたが、残り二つは?」
「三つともですよ。ぼくと山倉が同じサークルなんで、そこで調べたんです。あいつは何もしなかったけど」
「え? すると、三つの幽霊の噂は、全部そこで集めたものなんですか」
「そうなりますね。噂を集めるのに、他の知り合いにも頼みましたし、鶴田さんもいろいろと聞いて回ってくれました。ただ、あの系統の幽霊話は、他では聞かなかったんです」
 神束は意外そうな表情を浮かべた。
「そのサークルというのは?」
「『があふぁんくる』っていうボランティアサークルです。養護施設の子供たちを訪ねて、一緒に遊んだり、勉強を教えたりしています。勉強と言っても、ぼくたちのレベルだとがせいぜい中学生までですけどね。夏休みには子供たちと一緒に、泊まりで合宿に行きました」
「子供専門ですか。高齢者の慰問とかは?」
「うちの規模だと、そこまで手が回らないです。高齢者福祉は別のサークルもありますから。あ、今度クリスマス会も予定してるんですけど、一緒にどうですか」
 各務は思い切って誘ってみたが、神束は顔を伏せ気味にして、なにやら考え込んでいた。クリスマス会の誘いはスルーされてしまったらしい。やがて顔を上げたとき、神束はまったく別のことを口にした。
「コラムの件ですけど、ちょっと保留にさせてください。確かめたいことがあるんです」

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