8 最初から解釈だから

文字数 3,485文字

 ああ、そうだった。このへん、俺にはどうも間違いやすいところのようだ。俺が口をつぐむと、神束は次の項目に移った。
「次は『行動案の列挙・選択』ですが、今回は『客観的合理性』が該当することが確定していますので、これの分類を説明します」
 神束は、『客観的合理性』と書いたところから線を伸ばし、いくつかの項目を書き加えて下のように直した。

  客観的合理性
   │
   ├─攻撃的行動─┬─直接的行動……能動的行動、受動的行動
   │       └─間接的行動……誘導、攪乱・陽動、情報取得診、情報送信、時間稼ぎ
   └─防御的行動……主体の隠匿、行為・手段の隠匿、意図・目的の隠匿、痕跡・証拠の隠匿
           、失敗・副作用の隠匿、不存在の隠匿

「客観的合理性は、大きく二つに分けることができます。一つはその目的を達成するための行動、もう一つは犯人を守るための行動です。前者は『攻撃的行動』、後者を『防御的行動』と呼ぶことにします。攻撃的行動は、さらに『直接的行動』と『間接的行動』の二つに分かれます。

 『直接的行動』には、『能動的行動』と『受動的行動』の二種類があります。前者は、例えば『Xを殺す』ための『首を絞める』『ナイフで刺す』など、目的達成のために直接的・能動的にとった行動。後者は、他に手段がないために受動的に選択した行動です。『チョコを買っては見知らぬ人にプレゼントする人』の目的が、実は金色のアルミホイルを手に入れるためだった、などの例があります。
 『間接的行動』とは、目的の成就を間接的に支援するための行動です。これは『誘導』、『攪乱・陽動』、『情報取得』、『情報伝達』、『時間稼ぎ』の五つに分かれます。『誘導』は、相手の行動を誘導するもので、家人に家を空けさせるための『隣家への犯行予告』、眠り薬入り飲料を飲ませるための『飲料を一つだけ残して他を捨てる』、電車を止めるための『人形を線路に置く』、などの例があります。『攪乱・陽動』は、混乱を引き起こしてその間に目的を達成しようとするもので、時間感覚を狂わせるための『睡眠薬の使用』や、発見者が驚いている隙に証拠を隠滅する『死体の奇妙な装飾』などがあります。『情報取得』『情報送信』は、相手から情報を得る、あるいは送るもので、相手の反応を見るための『死んだふり』、文字を送信するための『ゆっくりと振られるペンライト』などがあります。最後の『時間稼ぎ』は、文字通り時間稼ぎをしてこちらの行動を間に合わせるためのもので、被害者の死を確実にするための『代返』といった例があります。

 『防衛的行動』は犯人を守るための行動ですが、これは被害者の反撃から身を守るのではなく、犯行後の公的・私的な捜査から守る、という意味です。ですから、犯人に関連した何らかのものを『隠す』のが主な機能となります。分類としては『主体の隠匿』、『行為・手段の隠匿』、『意図・目的の隠匿』、『痕跡・証拠の隠匿』、『失敗・副作用の隠匿』、『存在しないことの隠匿』に分けられ、それぞれ『低い身長を隠すために横たわる』、『電球を赤く塗るために部屋中に赤インクをまく』、『矢を使った刺殺をごまかすために犯行予告の矢を射る』、『スリッパについた泥を自然にみせるために人形に中庭を歩かせる』、『ダイイング・メッセージのカードを目立たせなくするため死体をカードで飾り付ける』、『ドアを開けなかったことを隠すためにドアに注油して音がしないようにする』といった例が挙げられます。なお、『主体』『行為』は犯人や行動そのものだけではなく、その属性も含むので注意してください。例えば、『犯人』であれば『犯人のいた場所』、『行動』であれば『行動を起こした時間』なども、ここに含まれます」

 神束は長々と解説を加えていく。おそらく今話しているのは、神束なりに収集した事例を分類したものなのだろう。はたしてその分類は正しいのか、という疑問も湧いたが、質問するのはさし控えた。もしも訊いたら、こんな答が返ってくるのだろう。「分類の正しさは証明はできません。が、それでもいいんです。最終的に観察者が納得してくれたかどうか、そこが重要なんですから」……同じことを考えているのだろうか、宇津井も黙って話を聞いていた。

「今度の事件に、これらの項目は該当するでしょうか。まず、両替は直接の目的ではないのですから、『直接的行動』は該当しません。また、男は急いでいたのですから『時間稼ぎ』も該当せず、仮定『目立つためやカモフラージュのためではない』により、各種の隠匿や『攪乱・陽動』『情報』といった項目も除外されます。ただし、隠匿の中でも『不存在の隠匿』だけは、少々毛色が異なります。これは実際にはなかった行動をあったかのようにみせるものですから、その行動が目立とうと目立つまいと、同じことを繰り返すことになるでしょう。よって、これは仮定の適用対象にはなりません。結局、客観的合理性の項目からは、『行動の誘導』と『不存在の隠匿』が残ることになります。

 最後に、『状況の途中変化』と『行動の途中変化』です。状況の変化があり、犯人の目標が修正されると、行動に一貫性がなくなって動機の推定が難しくなることがあります。『子供ができない妻の殺害計画を練っていたのに、妻が妊娠したため、邪魔になった愛人を殺した』などが実例ですが、特に間違いやすいのは『動機の分割』です。犯人によって複数の行動がなされた場合、すべてを一つの動機で説明しようとしがちですが、実際には理由が異なっていることがあります。『1件目の犯行で証拠を残したため、2件目以降でその証拠になぞらえた筋書き殺人にした』がよくある例ですね。本件はまさしく、同じ行動が繰り返されていますから、これが該当する可能性があります」
 神束は淡々と、結論部分に入った。
「残ったのは四つです。
 一つ目は『行動の誘導』。つまり、『両替は、何らかの行動を誘導するための行動だった』。
 二つ目は『不存在の隠匿』。つまり、『両替は、なんらかの存在や行動が、実は存在しないことを隠すための行動だった』。
 三つ目は『動機の分割』。つまり、『一連の行動の動機は、共通ではなかった』。
 最後に、『一連の行動は、別の行動の失敗や副作用が原因となって実行された』」

 神束はここで言葉を切った。例によって、これで証明終わり、みたいな顔をしているが、長々としゃべったわりには説明になっていない。おれたちの不満そうな顔を見て、神束は再び口を開いた。
「モデルから導けるのはここまでですが、少し敷衍(ふえん)して、解釈も足しましょう。このあたりは、いつもより気楽ですよね。動機って、最初から解釈なんですから。それから、この四つの答は、それぞれが補完しあっています。動機とはエンターテイメントなのですから、それによって説得力を増すのなら、複数の答をつなげてしまってもかまいません。全部まとめて、見てみましょう。

 まず、『両替は、なんらかの存在や行動が、実は存在しないことを隠すための行動だった』は、逆に言えば、両替によって何らかの存在・行動が存在することになったことを意味します。が、両替で引き起こされた事象はほとんどありません。千円札がレジから出たこと、五十円玉が入ったこと、それから書店員の間で両替男が話題になったこと、くらいでしょう。仮定により、犯人が千円札を入手することは目的ではありませんから、『両替は、両替男が存在しないことを隠すために行われた』、または、『両替は、余分な五十円玉がレジに入っていることを隠すために行われた』となります。
 ところで、『両替男が存在しないことを隠す』が正しいとしたら、どうなるのでしょうか。隠すくらいですから、そこには彼がいてくれないと説明がつかない、不自然なことがあったはずです。しかし、彼が行ったのは、書店に入り、五十円玉を千円札に換え、急いで外に出た事くらい。店の出入りについては説明の必要もなさそうですし、千円札関連も除外できますから、残るは五十円玉の動きしかありません。その目的は『余分な五十円玉がレジに入っていたことを隠すため』だった、となります。これで、二つの答は一つに合流しました。

 何らかの失敗あるいは行動の副作用のため、レジに余分な五十円玉が入ってしまった。その説明のために、両替男という仮構が必要になったんです。現実に姿を現した両替男は、彼が実在することを示すために、後から付け加えられた。これがモデルから導かれる答になります」

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